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5歳男児餓死事件はなぜ起きたのか 救えた命、児童相談所の課題

山脇由貴子元東京都児童相談所児童心理司 家族問題・心理カウンセラー
(写真:アフロ)

 5歳の男児に十分な食事を与えずに餓死させたとして、福岡県警は2日、母親の碇容疑者、その知人の赤堀容疑者を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕しました。両容疑者は共謀し、2019年8月頃から食事を与えないなどし、重度の低栄養状態だったのに放置し、餓死させた疑いです。

 痛ましい事件です。なぜこんな事件が起こってしまったのでしょうか。

 離婚を考えている女性、離婚調停中の女性というのは自分のこれからの生活に不安を抱えています。ましてや子どもがいれば、子どもを育てていけるのか、経済的な不安はとても大きいのです。孤立してしまっていた碇容疑者は、赤堀容疑者しか相談に乗ってくれる人はいなくなっていました。だから赤堀容疑者の言葉を信じ、言う通りにしているうちに、完全に支配され、マインドコントロール下に置かれた、と考えられます。報道によると、赤堀容疑者は碇容疑者宅に監視カメラを設置し、共通の知人が監視しているから、子どもに食べさせ過ぎないように、と言っていたそうです。子ども達だけでなく、碇容疑者の食事も赤堀容疑者にコントロールされていたそうです。そしてたくさんのルールを課し、碇容疑者がルールを守らないと、屋外に長時間立たせたり、睡眠をとらせなかったりしていました。碇容疑者は、赤堀容疑者の虐待によって支配されていた、とも言えるのです。実際、碇容疑者は、「監視されている感じ、食べ物を与えられなくなるのが怖くて言うことを聞いてしまった。その日を生きることに精いっぱいだった。」と当時の状況を説明しているそうです。

正常な判断力を失った母親 虐待を受け続けた子の心理に共通

 監視カメラの存在なんて、なぜ信じたのか。そう思う方も多いと思います。これは虐待を受け続けた子どもの心理と共通しています。親から虐待を受け続けた子どもは、外にいても親に監視されている、と怯えるのです。碇容疑者も常に怯えていたのでしょう。

 それでも、衰弱していく子どもを見て、食事を与えないなんて、信じられません。碇容疑者は赤堀容疑者のマインドコントロールによって、正常な判断力を失っていたのです。言う通りにしないと、もっとひどい目にあわされると怯えていたのです。碇容疑者は翔士郎君が亡くなった日、翔士郎君がぐったりして動けなくなった時、119番でなく、赤堀容疑者に電話をしています。正常な判断力を失っていたからであり、119番通報したことが赤堀容疑者に知られたら、ひどい目にあわされる、と思ったからではないでしょうか。

 どうにかして救えなかったのか。そう思わずにいられません。実際に救うチャンスはあったのです。

なぜ児相は保護しなかったのか? 浮き彫りになった児相の問題点

 篠熊町では、碇容疑者の家庭は見守り対象となっていました。近隣からの通報で、碇容疑者宅を家庭訪問した警察は、傷・あざはなく、保護の必要性はない、と判断しましたが、児童相談所に心理的虐待、ネグレクトの疑いがある、と通告しています。

 通告を受けた児童相談所は、翔士郎君が亡くなる約1か月前の2020年3月11日に家庭訪問しました。記者会見で福岡児童相談所は翔士郎君を目視し、「傷・あざはなく、元気な様子だったので、差し迫った危険はないと判断した」と述べました。警察が、保護の必要がないと判断していたことを踏まえ、という発言もありました。

 警察の保護の基準と児童相談所の保護の基準は違います。警察は傷・あざなどの事件性がないと保護出来ません。だからこそ、傷・あざがなくても、ネグレクトによる体重減少、という理由で保護できる虐待の専門機関に委ねたのです。それが警察からの通告です。警察が保護は必要ないと判断したからといって、児童相談所が保護する必要はない、ということではないのです。

 傷・あざがなければ保護しない。今まで多くの事件で繰り返されてきた児童相談所の問題点です。碇容疑者の子どもは体重が減少している、という情報は入っていたのです。心配されていたのは、身体的虐待ではないのです。心理的虐待・ネグレクトが疑われていたのです。なぜ、翔士郎君の体重を測らなかったのでしょう。児童相談所に連れて行って、体重を測っていれば、明らかな痩せが認められて、保護出来たのではないでしょうか。体重を測らなくても、母親のいない場所で、食事は何を食べているのかを聞けば、異常な食生活がわかったはずです。さらに、碇容疑者の親族から、翔士郎君が死亡する1か月前から、何度も親族が、福岡児童相談所に、一家の生存を確認するように訴えていたのです。ですが、児童相談所は「訴えの直前に生存が確認できていたので児相として直ちに面会の必要がないと判断した」述べています。私の経験上、親族が、「生存の確認」を訴えるという事態は児童相談所としても、珍しいことであり、何かおかしい、と思い、すぐにでも家庭訪問すべきでした。訪問していれば、翔士郎君は救えたはずです。

 さらに児童相談所の対応の問題点としてあげられるのは、碇容疑者との面談に、赤堀容疑者を同席させていたことです。最後の家庭訪問の時に対応したのは赤堀容疑者でした。

 児童相談所が話をすべきなのは、親権者です。全国に徹底されているルールではありませんが、東京は親権者以外の面談同席は、お断りしています。3月11日の家庭訪問で、児童相談所は赤堀容疑者の可能性のある女性に「母親である碇容疑者は1か月ほど体調が悪くて起き上がれない」と応対された、とのことです。母親の体調が悪いなら、家の中に入って母親の様子を確認すべきでしたし、1か月も起き上がれないなら、子どもの面倒をみられるはずがないのですから、それを理由に保護することも出来たはずです。

 児童相談所は赤堀容疑者を同席させるべきではありませんでした。面談の中で、碇容疑者と赤堀容疑者の歪んだ依存関係、支配関係を見抜かなければいけなかったのです。母親が知人を頼り過ぎている。面談の同席を希望する。それは、母親の育児には、自分の意思が存在していないことを意味するのです。そして、赤堀容疑者を同席させずに碇容疑者との面談を重ねていれば、碇容疑者の本音が聞けたかもしれません。児童相談所が赤堀容疑者を徹底的に相手にしないことが分かれば、碇容疑者は本当のことが言えたかもしれません。虐待された子どもが、親から絶対に守ってくれる、と分かった時に、児童相談所に本当のことを話してくれるように。

悲しい事件を繰り返さないために

 どうしたら同じような事件が起こることを防げるのか。児童相談所の改革については、何度も書いていますし、簡単に実現できることではありません。では、どうしたら母親が碇容疑者のようにならないように出来るのか。

 子育てに悩んでいたり、夫婦関係に悩んでいるお母さん達は心が弱っています。助けてくれる人、アドバイスしてくれる人、寄り添ってくれる人を求めています。そんな時に優しくされると、信頼し、依存してしまうのは誰にでもあり得ることです。心が弱っている時、誰かに助けて欲しい時、優しくしてくれる人の言葉を信じたくなります。でも、その中に「何かおかしいかも」と思う発言やアドバイスがあった時は、他の人の意見を聞いてみることが必要です。「この人のことを絶対に聞かなければいけない」という思考から抜け出し、「他の方法もあるんだ」とようになること、つまりは選択肢を持つ、ということです。碇容疑者も生活保護のケースワーカーや、児童相談所に職員に赤堀容疑者に言われていることを伝えれば「それはおかしいよ」と言われたはずです。

 子育てや夫婦関係に悩んでいるお母さんだけでなく、何か悩みを抱えている人たちで、身近な人のアドバイスにちょっとでも疑問を感じている人がいたら、第三者の意見を聞いて欲しいと思います。ぜひ、公的機関を頼って下さい。

厚生労働省
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元東京都児童相談所児童心理司 家族問題・心理カウンセラー

都内児童相談所に19年間勤務。現在山脇 由貴子心理オフィス代表

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