被告の心理と行政側の問題 心愛さん虐待死の裁判で見えた意義

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

16年の有罪判決

 千葉県野田市で当時小学校4年生の栗原 心愛さんが自宅浴室で死亡した虐待事件で、父親である勇一郎被告に対して懲役16年の判決が言い渡されました。

 心愛さんが受けた虐待の内容を考えると、「軽い」と感じざるを得ません。けれど私が児童相談所で勤務している時、子どもを虐待した親が逮捕もされずに普通の生活をし続けていたことは多々ありました。その理由の一つには、児童相談所は子どもを保護するのが目的なので、虐待を受けた子どもを保護しても、児童相談所から警察に通報することは少ないため、と言えます。また警察が関わった場合でも、子どもの言い分が曖昧だったり、日時が特定出来ない、証拠がない、などの理由で逮捕に至らないこともたくさんありました。その意味では、心愛さんは亡くなってしまったけれど、勇一郎被告が心愛さんを虐待死させた、と決して短くはない懲役を科されたことには意味があったと思います。

勇一郎被告の心理

 

 勇一郎被告はなぜ、傷害致死の罪は争わない、と言いながらも虐待を否定し続けたのか。

 勇一郎被告は、今でも正しいことをした、と思っているのだろうと思います。自分のやったことは虐待ではなく、あくまでしつけの為、子どもの為。家族の幸せを考えていた。未だに、自分のやったことを正当化し続けている。児童相談所や教育委員会い対してしてきたように。

 児童相談所で働いていた時、虐待を否定し続ける親にはたくさん出会いました。認める親の方が少数でした。認めない親たちは、否定し続け、子どもが嘘をついているんだ、と言いました。「この子、嘘をつく子なんです。」と子どものせいにして。勇一郎被告の態度は、その親達の態度と一致しています。勇一郎被告は心愛さんに暴力を受けていたというのは、嘘だという手紙を書かせていますから、被告はずっと「自分は悪くない、心愛が嘘をついている」言い続けているわけです。

 それでも、裁判という場でもその主張を続けたのは、許せないとしか言えません。児童相談所とは違うのです。勇一郎被告は、「自分はやっていない」という主張を繰り返しているうちに、記憶すらも修正してしまっているのかもしれません。自分の都合の良いように。

 ですが、心愛さんの母親の証言や担任の先生、担当の児童相談所職員の証言を全て嘘だと言い、何よりも裁判の場でも「心愛が嘘をついている」と主張したことには誰もが強い憤りを感じたと思います。動画を示されても、心愛さんが自分でやったのだと主張したことも。反省していない。それだけは間違いないと言えます。

 勇一郎被告は罪を償いたくないのか。刑務所に入りたくないのか。それが彼の一番の目的ではないように思います。自分は虐待などしていない、ということを裁判で、裁判員に認めて欲しいのだと思います。自分が子どもを虐待した親だ、ということを認めるのは彼のプライドが許さないのだと思います。結局被告は、教育委員会と児童相談所に対してと同じように、虐待した親、というレッテルを剥がせ、と主張し続けたのです。

裁判の意義

 このニュースはもう辛くて観たくない、という方もたくさんいらっしゃいました。確かに、新しい情報が出てくる度に、心が苦しくなる事件でした。ですが、この裁判を通して、勇一郎被告の行った虐待の内容が明らかになったことには意義があったと私は思います。児童相談所の中で行われたことは一切公開されませんから、裁判を通して多くの人が、勇一郎被告の行ったことを知ることが出来ました。実の親であっても子どもを虐待する親がいるのです。子どもを保護されても、虐待を認めずに、子どもを取り戻そうとする親がいるのです。前に記事に書きましたが、虐待は非常に中毒性が高いのです。再び虐待を繰り返すために、子どもを取り戻そうとする親がいるのです。勇一郎被告が見せた言動は、悪質な虐待者の典型的行動と言えます。これを少なくとも、児童相談を始めとした、子どもに関わる現場の人間は学ばなくてはなりません。

 そしてこの事件では、教育委員会や児童相談所などの行政側の問題が明らかになりました。なぜ教育委員会はアンケートを渡したのか。なぜ児童相談所は心愛ちゃんを勇一郎被告のもとに帰したのか。誰もが疑問に思いました。救えた命なのに。やはりこの事件を通して、行政側の課題も見えてきたと言えます。児童相談所の中で何が行われているのか、どんな人間が働いているのか、知らなかった人がほとんどだと思いますが、今回の事件の対応から、児童相談所の問題も明らかになったと言えます。児童相談所の職員の配置も大きな課題です。各自治体職員の異動先の一つでいいはずがありません。国が児童福祉司を大幅に増員する方針を出していますが、自治体任せで育成制度も整っていません。人も集まっていません。そして何より、虐待から子どもを守りたい、という気持ちがある人間を集めなくてはならないのです。公判の中で、当時担当だった児童心理司が「私が殺されてもいから守りたかった。」と証言しました。殺される覚悟ほどではなくとも、必死で子どもを守る、虐待者と戦うという覚悟を持った職員を集めなくてはならないのです。子どもの命が関わる仕事なのですから。

 そして子どもを虐待した親は、逮捕され、罪を償うべきです。虐待者が逮捕されずに、のうのうと生活出来るなんておかしいのです。児童相談所は積極的に警察に通報してゆくようにしなければなりません。

 このニュースが、子どもを虐待している親に届いているか分かりませんが、子どもを虐待したら、たとえしつけと自分が思っていても

罪に問われるのだ、ということも広く知られていき、虐待の抑止につながって欲しいと思います。