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「気をつけましょう」では事故はなくならない-本の帯紙に思う

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
今回出版された書籍の「帯紙」(筆者撮影)

 2019年5月20日に、われわれのグループで本を出版した。保育士向けの本で、保育管理下の事故を予防するための教科書として作成した。

本の帯紙とその役割

 本の帯紙は、本の表面の下部に巻かれている紙で、本の内容のキャッチコピーとして作られている。本屋で、客が本一冊を見る平均時間は0.2秒というデータもあり、帯紙はその一瞬で本の内容がすぐにわかるように、かつ手に取ってもらうように仕向ける広告としての役割がある。

 

 この本の白地の帯紙には、紺の文字で4段に渡って文字が書かれている。その2段目は「『気をつけましょう』では」、3段目は「事故はなくならない」と書かれており、この2行が本の表紙より浮き上がって見え、目に飛び込んでくる。この本で伝えたかったことは、まさに、この2行だ。今回、この本を出版するにあたり、内容については編集者と何度も相談をしたが、本の帯紙の文言について一切相談はなかった。

 そして、これまでのことを思い出した。

これまでは

 30数年前から、子どもの事故予防に取り組んできた。最初は、事故の情報を収集して、医療スタッフ、保健師、保育士、時には保護者に「こんな事故が起こっています。気をつけましょう」と言っていた。小児科医ができることはそれくらいしかなかった。

 しかし、いくら注意を促しても、同じ事故が起き続けていた。予防につながる活動ができず頭を抱えているとき(2003年8月)に、産業技術総合研究所の西田 佳史さんと知り合った。そして、技術の力で予防が可能になることを知った。いくつもの傷害の予防に取り組み、傷害予防の原則を提示できるまでになった。

 それからは、注意ではなく、製品や環境を変えることに力を注いだ。ときどき、育児雑誌の記者が取材に来る。誤飲、やけど、転落など、予防するにはどうしたらいいかを聞かれる。予防するためには「ちょっとは目を離してもいい、あるいはあまり気をつけなくてもいい製品や環境を整備することが必要だ」と話した。記者の方は、「そうですね、よくわかりました」と言って帰る。その後、原稿案が送られてきたものを見ると、あちこちに「○○の事故が起こっています。気をつけましょう」と書かれていた。あれほど言ったのに、全然わかっていないのだ。がっかりして、深いため息が出る。私の真意とは真逆のことが書かれているので訂正のしようがなく、削れるところを削って返却した。こういう経験を何度もし、何度も落胆した。事故の予防として「気をつければいい」という考えが社会に染みついている。

キャッチコピーの検討

 今回、きっぱりと「『気をつけましょう』では事故はなくならない」と帯紙に明記された。この帯紙に文言を入れるにあたっては、担当編集者が提案し、編集グループで「どうしたら目を引くインパクトがあるか、どうしたら手に取って買ってもらえるか」について検討されたはずである。いくつかの案が検討され、会社の幹部や社長も合意したうえで決定されたはずである。

 これまで、われわれと接点がある記者や編集者を説得することはできたが、彼らの上司を説得することはむずかしかった。チャイルドシートの使用率の問題を取り上げようと思っても、上司が「65%の使用率なら取り上げる必要はない」となる。アメリカでは95%の使用率でも問題視されているのに、日本では潰された。

 年齢が高い人たちの多くは、「子どもの事故は親の責任」、「子どもにケガは付き物」、「自分たちが子どもの時は、少しぐらいケガをしてもいちいち言わなかった」などと言って取り合わない。これが一般的な状況で、今回のような文章を帯紙に書くことなどあり得なかった。

技術の進歩で

 最近の技術の進歩は著しい。10年前、交通事故を予防するための表示として「安全運転を心がけましょう」などと書かれた電光掲示板をよく見た。掲示板に何が書いてあるのかと見上げると、たぶん、0.2〜0.5秒くらいは前方を見ていないはずである。その表示を見る方がよほど危険性が高くなる。

 今では、自動車にはドライブレコーダーが設置されて、事故が起こった時の状況を正確に分析できるようになり、自動運転のシステムが実社会で使用されるようになった。心がけで予防するのではなく、技術で予防するということが社会で理解されるようになった。

 10年前には、今回のような表記の帯紙をつけることは考えられなかった。本の帯紙など、すぐに捨てられるものかもしれないが、私にとってはうれしい帯紙だった。

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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