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サッカーゴール等の転倒事故を防ぐ その4〜晴翔くんのひまわり〜

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
梅崎 清人さんの畑に咲くひまわり(梅崎 清人さん 提供)

 2018年7月28日、西日本新聞のウェブサイトに、「『晴翔、見えているか?』事故死の小4が祖父に託した種…ヒマワリが満開に」という記事が掲載された。「晴翔」とは、2017年1月13日、福岡県大川市の小学校で体育の授業中にハンドボールのゴールが転倒、その下敷きになって亡くなった梅崎 晴翔くん(当時10歳)のことである。

 記事によると、晴翔くんは事故が起きる1か月ほど前に、ひまわりの種を祖父である梅崎 清人さんに手渡していた、今年になって清人さんがその種を蒔き、7月にひまわりが満開になった、ということで、記事に添えられた写真には見事なひまわりの花の前で微笑む清人さんの姿があった。

※参照 

サッカーゴール等の転倒事故を防ぐ〜その1〜

サッカーゴール等の転倒事故を防ぐ〜その2〜

◆西日本新聞がつないでくれた縁

 記事には「ひまわりはあの子が生きていた証し。晴翔を知る人に見に来てもらいたいんですよ」という清人さんの言葉があった。この記事に心を打たれ、西日本新聞に連絡してみた。このハンドボールのゴール転倒事故の件では、西日本新聞から取材依頼があり、何度かやり取りをしていたので、その時の記者のNさんに電話をした。記事の感想を伝えるとともに、このひまわりをSafe Kids Japanが実施している「サッカーゴール等固定チェック」活動のシンボルにしたいという思いを伝えた。

 突然の依頼にもかかわらず、N記者はこの記事を書いた同社支局のT記者に連絡を取ってくれた。そしてお盆の最中、T記者からSafe Kids Japanの事務局に電話がかかってきた。聞けば、T記者は梅崎さんのお宅から電話をかけているという。「清人さんもここにいらっしゃいますから」と言われ、電話を代わってもらい、直接話をすることができた。清人さんは「晴翔は、自分の家にはひまわりを植えるところがないから私のところに持ってきたのかな。うちだってそんなに広くはないけれど、新聞で見るとずいぶん広く見えるね。新聞に載ってから、実際に見にきてくれた人もいましたよ。このあいだも長崎から3人の女性が来られてね」と話してくださった。ひまわりをゴール転倒予防活動のシンボルにしたいと伝えると、「ぜひ活用してください」、「8月下旬には種が採れるから、そうしたら送ってあげましょう」と言ってくださった。

◆送られてきたひまわりの種

 清人さんによると、ひまわりの種はお盆を過ぎた頃に花の部分ごと切り取り、天日に干して乾燥させて採取するとのこと。西日本新聞のT記者が再び梅崎さんのお宅に行き、ひまわりの種500gを預かって、それを東京のSafe Kids Japan事務所に送ってくれた。清人さんからは「学校などでひまわりを育てることが、校内の安全に目を向けるきっかけになれば。事故を風化させないためにも、息の長い取り組みにしてほしい」というメッセージをいただいた。

送られてきたひまわりの種(筆者撮影)
送られてきたひまわりの種(筆者撮影)

◆ひまわりを「ゴール等固定チェック」活動のシンボルに

 2018年1月から始めた「サッカーゴール等固定チェックの日」では、それぞれの学校やスポーツ施設等でゴールを固定している状況を撮影し、その写真をSafe Kids Japanに送っていただき、ウェブサイト上で共有する「フォト・シェアリング」というキャンペーン活動を実施した。このキャンペーンはこの冬も実施する予定だが、今後は、写真を送ってくださった方にこのひまわりの種を、固定チェックの重要性をまとめた冊子といっしょに送りたいと考えている。ゴールの転倒事故がなくなる日まで、全国にこの種を蒔き続けたい。

フォト・シェアリングで寄せられた写真から
フォト・シェアリングで寄せられた写真から

◆晴翔くんに見えるように

 今年の夏は、晴翔くんの祖父である清人さんの畑で大輪のひまわりが咲いた。清人さんの願いどおり、晴翔くんは空の上からきっとそのひまわりを見ていることだろう。

 来年の夏には、全国の学校やスポーツ施設のゴールのそばに、黄金色に輝くひまわりが咲いていて欲しい。わずか10歳で亡くなった晴翔くんが遺してくれたひまわりが全国各地に広がり、ひまわりを見た人が晴翔くんを思い出し、その死を無駄にしないよう、しっかりとゴールを固定して欲しい。そしてゴール近くに咲くひまわりを、晴翔くんに見えるよう大きく咲かせて欲しい。そんなことを願っている。

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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