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改正特措法は報道規制の道具になりうる~緊急事態対処法である新型コロナ特措法の大きな罠

山田健太専修大学ジャーナリズム学科教授
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 「今回、民放は指定しないが、法律の枠組みとしては民放を指定して『いま、この情報を流してもらわないと困る』ということで指示を出す。そして放送内容について変更、差し替えをしてもらうということは、本来の趣旨に合う、そういったことはあり得るものだ」

新型インフルエンザ等特別措置法の改正案が審議されている最中の3月11日、衆院法務委員会で山尾志桜里・立憲民主党議員が「緊急事態宣言が出た際、首相から必要な指示を受ける『指定公共機関』に民放テレビ局は指定されるか」との質問に対する政府答弁である。

 本日13日に成立し、明日14日に施行される予定の同法には、緊急事態宣言によって直接的な報道規制が可能であることを、改めて確認しておいた方がよかろう。

●番組変更指示はありうる

 やっぱり――予想通りの政府の認識だ。宮下一郎・内閣府副大臣のこの答弁に対し、13日になって西村康稔・特措法担当大臣(経済再生担当大臣、全世代型社会保障改革担当大臣、新型コロナ対策担当大臣、内閣府特命担当大臣)は、「この新型インフルエンザ特措法の制定時の議論も踏まえて、民放テレビ局等は指定しないこととしている」と、この答弁を事実上修正したことになっている。

 しかし、宮下副大臣は先の答弁の前段ですでに、「法的には指定しうるが、実際には新型インフル特措法制定時の議論を踏まえ、指定しない」と答弁しているのであって、大臣が改めて何を修正したのか不明だ。少なくとも、発言のポイントである番組変更の指示ができるかどうかについては、一切触れていない。その意味するところは、番組変更の指示可能性はあるということだ。

 法案の成立を目指したがためか、宮下副大臣自身、13日になって衆議院法務委員会の理事会において、撤回、謝罪したと伝えられているものの、十分な説明はなされないままである。

 この緊急事態対処法たる特措法では、NHKが「指定公共機関」とされており、政令によってすぐに民放テレビ局や新聞社への拡大も可能である。国会を経ることなく、現政権お得意の閣議決定で十分だ。そして政府対策本部長(総理大臣)などが、指定公共機関に「新型インフルエンザ等対策に関する総合調整を行うことができる」(法20・24・36条)と定められている。

 さらに、「総合調整に基づく所要の措置が実施されない場合」には、指定公共機関に「必要な指示をすることができる」(法33条)となっているのだ。冒頭の宮下副大臣の<指示>はこれをさしている。

●他の類似法から規制の類推可能

 ではいったい、どのような「指示」が出されるのか。参考になるのは、他の緊急事態対処法における「指定公共機関」に対する指示内容だ。新型コロナ特措法では具体的な記述がないものの、いわゆる有事法体系のうち情報伝達に関わる規定を持つのは以下の法律だ。

◇武力攻撃事態対処法(2003年)

◇武力攻撃事態施設利用法(2004年)

◇国民保護法(2003年)

 このなかで、施設利用法17・18条では、「電波の利用指針」が定められており、大臣は電波法に基づき、放送免許の条件を変更できることになっている。有事になった場合、政府が放送局の改廃を自由に行うことが可能であることをさす(詳細は、拙著『3.11とメディア』トランスビュー、参照)。

 これらの法律では、国や自治体が「国民に対し、正確な情報を、適示に、かつ適切な方法で提供しなければならない」と、まず公的機関の義務を謳う。そのうえで、指定公共機関に対しては、「国民の保護のための措置に関する情報については、新聞、放送、インターネットその他適切な方法により、迅速に国民に提供するよう努めなければならない」としている。

 この規定によって報道機関は、政府の発表情報を報道する事実上の義務を負うことになったと解されている。憲法上の表現の自由との兼ね合いで、罰則の適用から外し「努力義務」としているが、政府意向に反する可能性がほぼゼロなことは、現在の法に基づいた運用から明らかだ。

●政府指示を撥ね退ける力はない

 そのもっともわかりやすい実例は選挙報道だろう。政府は度重ねて、放送法や公職選挙法の「政府解釈」を報道機関に押し付け、「公正な報道」を「数量公平」であることとし、公職選挙法上の選挙期間以外も含め、一方的な政府批判(与党候補者批判)を「偏向報道」として厳しく抗議・批判してきた。

 その結果、テレビやラジオの放送局はもちろんのこと、多くの新聞社においても、必要以上に数量的な平等性に縛られ、自由な選挙報道ができない状況が続いている。いわば、政府の意向を遵守するという状態が生まれているということだ。

 そうしたなかで、今回の一連の新型コロナ禍においても、政府の方針や施策に異を唱える報道に対し、政府が公式に反論するということが起きている。前の記事でも触れた内閣官房・公式ツイッターによる特定番組批判などがそれにあたる。

 これに関し、安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、伊藤孝恵・国民民主党議員の質問に答え、「政府が正しい情報を発信していくのは当然の役割」と述べ、内閣官房ツイッターは問題ないとの認識を示している。首相自ら、いわば情報の統制を行う姿勢を示しているということになるだろう。

●法の危険な性格や適用条件の欠如

 最後に念のためもう一度、法がどういう定めをしているか見ておこう。

 政府対策本部長(総理大臣)が、「国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれ」があって、「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがある」の条件が揃ったと判断した場合、「緊急事態宣言」を発令できるとされている(法32条)。具体的な判断基準があるわけではなく、首相が「いまだ!」と思えば明確なエビデンスなしでも、いつでも「緊急事態宣言」を発令できてしまうのである。

 歯止めとして、法の規定にある「政府対策本部(新型インフルエンザ等対策本部)」のもとでの「諮問委員会(有識者会議のもとに設置された基本的対処方針等諮問委員会)」の意見を踏まえること(法18条4項)や、付帯決議で盛り込まれた「国会事前報告」があるとされる(「特に緊急の必要がありやむを得ない場合を除き、国会へその旨及び必要な事項について事前に報告する」)。しかし、これまでの学校一斉休校や入国制限などの決定過程を見ても、どこまでこうした歯止めが有効かは不明である。

 そうであるならば、緊急事態宣言の発令は少なくとも現時点においてあってはならない。ダメの理由を3つだけ挙げておく。第1に、何よりもこの法律は、数ある緊急事態法制の中でもとりわけ「曖昧で強力」なものである。緊急事態の定義が曖昧で恣意的運用の危険性が高いということだ。しかも、その影響が大きく、私たちの私有財産の没収のほか、移動・集会・表現の自由など広範囲な人権制約という甚大な影響をもたらす。

 だからこそ、きちんとした議論や条件整備が必要だが、「審議不十分で前提条件が欠如」している。今回の改正のための国会審議も実質ゼロといってもよい状況だし、2012年の法成立時の審議時間もわずか9時間で、当時野党の自民党は審議に十分加わっていない。そして、十分な情報提供、意思決定の判断根拠の提示や説明責任の発揮といった、最低限の法適用の前提条件がそろっていない。

 そして第3に、「不要だしデメリットが大きすぎる」といえる。いま現在、現行法でどうしてもできないことの説明がなされていない。ということは、いらないということになるのではないか。しかも、現在でも一部で発生している同調圧力がより顕在化し、たとえば予防接種をしていないと学校への登校を認めない、といったことが生まれかねないし、むしろ容易に想定される。

 法が施行されるいま、改めてその運用のあり方が問われる。

専修大学ジャーナリズム学科教授

専修大学ジャーナリズム学科教授、専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ副会長のほか、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスの各理事、世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長などを務める。新刊に『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』のほか、『法とジャーナリズム 第4版』『ジャーナリズムの倫理』『愚かな風~忖度時代の政権とメディア』『沖縄報道』『放送法と権力』『見張塔からずっと~政権とメディアの8年』『言論の自由~拡大するメディアと縮むジャーナリズム』『ジャーナリズムの行方』『3・11とメディア』『現代ジャーナリズム事典』(監修)など。東京新聞、琉球新報にコラムを連載中。

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