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情報統制が不安を増幅させる~なぜいま、新型コロナ特措法がなぜダメなのか (タイトル変更)

山田健太専修大学ジャーナリズム学科教授
すでにスーパーでは食料品の買い占めまで起こっている。これも情報の不足が根源に。

 13日に成立見込みの改正新型インフルエンザ等特別措置法は、いわゆるパンデミック対処法であり、戦時や大災害時に適用される「緊急事態法」の一形態だ。その問題点を、表現の自由の観点から解説する。(誤植を12日に一部修正)

 現政権に緊急事態法制を運用する資格がないことは、前の記事でも書いた。さらに表現の自由の観点からも、大きく2つの理由がある。1つには情報操作の危険性、もう1つにはプリミティブ表現(大衆表現)の軽視だ。どちらも、民主主義社会にとっては、極めて重要な問題であって、表現の自由を理解しない公権力に、自由を制約するための強力な道具を与えることは、あまりに危険である。

●過度な表現規制にあたる

 現政権は一貫してメディア戦略として「異論封じ」を行ってきた。少し前でいえば、選挙に際し、公平報道を理屈として、政権批判を過少に報じるよう放送局に要請や抗議を繰り返してきた歴史がある(拙著『放送法と権力』田畑書店、参照)。原発事故後の放射能汚染(被害)についても、政府の見解と異なる言説を厳しく批判・抗議してきている。沖縄・辺野古新基地建設を巡っても同じだ(拙著『沖縄報道』ちくま新書、参照)。いわば、政府の見解が唯一であって、それ以外は「誤り」であって「認められない」という立場にあたって、こうした言動を力づくで抑え込んできたのが、この10年間である(拙著『見張塔からずっと~政権とメディアの8年』田畑書店)。

 今回の新型コロナ禍についても、同じことをし始めている。テレビ朝日の朝の情報番組である「羽鳥慎一モーニングショー」をターゲットに、テレビ朝日社員のレギュラーコメンテーターと、今回の問題で出演が続く大学教員や開業医の発言をとらえ、誤報であると公式ツイッターで反論したからである。厚生労働省の3月5日早朝のツイッターと、内閣官房国際感染症対策調整室の6日のツイッターで、すでに多くの指摘がなされているところであるが、あまりに唐突であり、個別番組への批判は奇妙に映らざるを得ない。

 記録のため、それぞれのツイッター内容全文を掲出しておこう。まずは厚労省から(3月5日午前7時43分)。

3月4日午前8時からの「羽鳥慎一モーニングショー」の主演者から、「まずは医療機関に配らなければだめ。医療を守らなければ治療ができないから、医療機関、特に呼吸器関係をやっている人に重点的に配っていく」とのコメントがありました。(1/3)

厚生労働省では、感染症指定医療機関への医療用マスクの優先供給を行ったほか、都道府県の備蓄用マスクの活用や日本医師会や日本歯科医師会のルートを活用した優先配布の仕組みをお知らせしています。(2/3)

最終的に全ての医療機関に十分なマスクが届くことが必要であり、引き続き、マスクの増産や全ての医療機関を対象とした優先供給を進めてまいります。(3/3)

 しかもこの厚労省の発信内容は、その後のテレビ朝日の取材で勇み足であったことを当局が事実上認め、訂正というべき追加情報を発信している。最初のツイッターを好意的に読めば、メディアでの指摘を受け止め、供給実態を説明したと読めなくもない。しかしニュアンスは明らかに、政府はすでに万全な対応をしているのであって、報道内容は誤報であると取れる内容だ。

 もし百歩譲って「反論」したいのであれば、短文ツイッターで3回に分けて投稿するといった姑息な手法ではなく、きちんと記者会見で実勢を説明するなり、所轄官庁のサイトで供給実態を説明すべきだ。しかし現時点においてすら、厚生労働省と経済産業省の共同特設サイト「マスクや消毒液やトイレットペーパーの状況 ~不足を解消するために官民連携して対応中です~」においても、マスクの供給実態の説明はゼロのままである。

 現時点で供給実態を説明するのは、厚生労働省の報道発表資料にある北海道一部地域への「優先配布」の資料だけではないか。ここでは、「3月1日の新型コロナウイルス感染症対策本部での総理指示を受けて、本日、国民生活安定緊急措置法第22条第1項に基づき、厚生労働大臣から一般家庭用マスクの製造販売事業者及び輸入事業者に売渡しを指示しました」とのプレスリリース分が掲出されている。

 またそのほか、同省の2月25日付「新型コロナウイルスに関連した感染症の発生に伴う医療用マスクの安定供給について(協力要請)」事務連絡文書の中で、医療用マスクの安定供給スキームについての説明ペーパーが示されている。先のツイッターはこれをさすものと想定されるが、もしそうであればむしろ、このペーパーをわかりやすい形で情報開示(提供)するのが先であろう。

●異論を認めずの対応

 次に内閣官房のツイッターはこうだ(3月6日午前1時35分)。厚労省のようなニュアンスではなく、明確に番組を否定・批判している。これはまさに、前述の異論封じの典型のような政府の言動といえよう。

3月5日のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で、「総理が法律改正にこだわる理由は、『後手後手』批判を払しょくするため総理主導で進んでいるとアピールしたい」というコメントが紹介されています。(1/3)

法律改正をする理由はそうではありません。あらゆる事態に備えて打てる手はす全て打つという考えで法律改正をしようとしています。(2/3)

現行の新型インフルエンザ等対策特別措置法では未知のウイルスしか対象としておらず、新型コロナウイルスはウイルスとしては未知のものではないので、今のままでは対象とならないからです。(3/3)

 このツイッターの発信元は内閣官房国際感染症対策調整室であるが、同部局のウエブサイトのトップページからは、「新型コロナウイルス感染症対策本部」、同「専門家会議」、そして「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する関係閣僚会議」の会議日程を確認することができる。これら会議の所轄は、「内閣官房新型インフルエンザ等対策室」で、会議の所轄部局名の法律が役立たずと否定していることがわかる。

 しかも、重要な政策決定の主体である関係会議や対策本部の会議は「議事要旨」のみの掲出で、議事録も配布資料のほとんども公開されていない。国会での質疑から判明したことは、そもそも議事録が存在しないということであって、詳細は公開する気がないばかりか、記録して残す気がないことがわかる。要旨は主として「結論」だけであって、その結論に至った理由、その経緯は全く分からないままだ。なお、そのA4で2~3枚程度の簡単なペーパーでさえ、3週間前のものまでしか公開されていない。

 さらに致命的なのは専門家会議である。この会議に至っては、議事録がないばかりか、議事要旨さえ公表されるかどうか怪しい(とりあえず、実質1ページ半の第1回の議事要旨は公開された)。また、配布資料も、後日修正したものを掲出するなど、その時の会議で何をもとに議論したのかもわからない状況が生まれがちだ。なぜそこまで隠すのかというより、最初から記録を残すとか公開すべき性格の会議だという意識が欠如しているとしか思えない対応である。

 このように、決定のエビデンスをいまでさえ全く残そうとしない政府が、緊急事態だからという名のもとに、より密室で、恣意的な判断をする環境を整備し、私権の制限を大幅に含む施策を促進させることは、あまりに国家としてのリスクが大きすぎる。

●政府批判包囲網の形成

 こうした政府のツイッターが出ると、それにすぐ反応し、報道批判が始まるのが日本の現状だ。いわば、市民社会と政治・立法の間でのやり取りの中で、メディア封じが進んでいくという構図だ。兆候は1990年代から見られたが、よりはっきりとした形で現れるのは2000年代に入ってからだ(前出『放送法と権力』田畑書店、参照)。

 まず自民党が6日にツイッターで同番組を名指しで批判した(自民党広報3月5日午後7時30分)。内閣官房とほぼ同文であることがあまりに痛々しい感じがする。いわば、政官一体となり、どこかの指示のもとにやっていることが見え隠れしているからだ。実際、7日付毎日新聞朝刊では、こうした一連の政府の反応が「首相官邸幹部」の話として「事実と異なる報道には反論するよう指示した」ことを報じている。

3/5テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で「総理が法律改正にこだわる理由は『後手後手』批判を払拭するため総理主導で進んでいるとアピールしたい」との政治アナリストの発言がありました。#新型インフルエンザ等対策特措法 の改正を目指す理由は?(1/2)

自民党広報 (@jimin_koho) March 6, 2020

#新型コロナウイルス はウイルスとしては未知のものではないため「未知のウイルスしか対象としていない」現行の法律が適応できません。不測の事態に備えるため「打てる手は全て打つ」というのが法律改正を目指す理由です。

引き続き、新型コロナウイルス 対策への皆さんのご協力をお願いします(2/2)

自民党広報 (@jimin_koho) March 6, 2020

 さらには、同じ出演者を名指しした批判投稿も行っている(自民党広報3月5日午後6時2分)。いわば、専門家のコメントを「デマ」扱いし、信憑性の低下を狙ったものだ。

3/4のTBS「Nスタ」で女性出演者が「新型のコロナであるため感染が新しいウイルスであり、私たちには基礎的な免疫がなく普通のインフルエンザよりも罹りやすい」と発言しましたが、厚生労働省は「季節性インフルエンザと比べて感染力は高くない」との世界保健機関(WHO)の見解を紹介しています(1/2)

真偽不明の様々な情報が飛び交い、多くの皆さんが不安や疑問を感じておられるかと思います。

首相官邸や厚生労働省には #新型コロナウイルス に関する情報サイトが開設され、随時更新されています。ぜひご活用ください。(2/2)

●報道規制にも直結

 仮に、明らかな事実誤認があったり、意図的なフェイクがあった場合に、政府がその訂正を求めたり、正しい情報を提供することはあるだろう。そうした政府の対応を伝えることもまたメディアの役割だ。しかしそうした場合でも、始めから政府の言い分が正しいとの思い込むのではなく、事実関係を確認するのがジャーナリストの基本的立場ではないか。今回のような、政府がメディアを糾弾するような行為をSNS上で煽るのは極めて残念なことで、しかも彼女が大手新聞記者出身で、十分な記者教育を受けてきたバックグラウンドを持つだけになおさらである。

 しかもそれらが、同じ時期から一斉になされていることも気になる点で、緊急事態宣言が出されれば、法条文にもある「事実報道」を旗印にして、さらにこうした報道干渉が増えることが目に見えている。具体的な条文は以下の箇所である。

 特措法は、政府対策本部長あるいは都道府県対策本部長が、新型インフルエンザ等緊急事態において、指定公共機関に対し、特措法第20条第1項の総合調整に基づく所要の措置が実施されない場合に、必要な指示をすることができる、としている(特措法33条1項、2項)。この「指定公共機関」には日本放送協会(NHK)が含まれる(特措法2条6号)。しかもこの対象は、政令で自由に拡大可能であって、似たような法令の武力攻撃事態等対処法では国内すべての地上波放送局と一部のラジオ局が対象だ。

 さらに、災害対策基本法の指定対象機関には新聞社も含まれる。いわば、国内のすべての報道機関は政府の指示下に置かれるということだ。そして問題は、「総合調整」の中身だ。同時に、「必要な指示」の内容も無限定に広がりかねず、表現に対する規制として広範にすぎることが立法時から指摘されてきた。

 しかもより具体的にどのようなことが想定されているかと言えば、武力攻撃事態法などの法令が参考になる。そこでは主に、2つのことが想定されている。1つは、事実の遅滞なき伝達、もう1つが機材・人員の提供である。前者の事実報道は報道機関にとって当たり前のことであるが、この「事実」が政府判断になる可能性が拭えない。実際、前述したように今回の場合も過去でも、政府見解と違うことを「誤報」扱いしているからだ。現在は、自らの媒体で「反論」するにとどまっているが、緊急事態宣言下では「指示」となり、これらは削除・訂正の対象だ。これでは報道の自由は守れない。

 またもう1つの提供も大きな問題がある。例えば、NHKの職員である記者・カメラマンらが、官邸に出向き、意向にそった取材・報道をすることを想像してほしい。いまでも「御用メディア」などと批判される公共放送であるが、こうなれば完全に「国営放送」である。それを強制するのが緊急事態法であるということを知っておく必要がある。だからこそ、こうした大きな制約を伴う法の適用は、具体的な重大な危険を回避するために、他に取りうる方法がない場合に限られなければならず、いまはその段階ではない。

 これは、順序が決定的に違うということでもある。現在、政府の新型コロナ禍に関する情報発信は、質・量・方法ともに、完全な落第点だ。各省庁バラバラで、1つの省庁のウエブサイトも各ページにまたがるなど、すぐに欲しい情報が見つからない状態が続いている。しかも、政府が言いたい情報はあっても、市民がほしい情報はない、というアンバランスも変わらずだ。

 それは、29日の首相緊急記者会見を見ても想像がつくものではあるが、まずは、きちんと情報の開示をしていくという姿勢を見せなければ始まらない。にもかかわらず、ツイッターで攻撃することには熱心でも、発信情報の充実は進んでいない。しかも、こうした報道機関たたきが情報戦略だと思っている節がある。

 報道機関の表現行為である報道の自由だけでなく、市民レベルの表現の自由はより、緊急事態宣言のもとで制限がかかりやすい。そのなかでもとりわけ、プリミティブ表現と呼ばれる、デモや集会、ビラやチラシがもっとも狙われやすいといえるだろう。実際この間、現政権は、街頭演説の際のヤジを制限するなど、市民の表現活動を抑えることに熱心だ(北海道では、首相の選挙演説にヤジを飛ばした市民を拘束するなどした)。

 こうした自身(の政策)に批判的な表現行為に対して、不寛容の姿勢を強く打ち出していることは、昨年夏以降の「あいちトリエンナーレ」をめぐる文化助成のカット事例を見ても明らかである。そして表現の自由は、こうした攻撃しやすいところ、市民社会において「仕方ないか」と思われがちな弱いところから崩れていくのが歴史の教訓である。

 買い占めパニックも過度な自粛騒ぎも、いずれも「不安」感がベースにある。そしてこの不安は、情報の不足が最大要因だ。そうなると、もっとも情報を有している政府がすべきことは、いかに迅速に情報を開示するかである。にもかかわらず、緊急事態法の目指すものは「統制」であって、当然、社会に流れる情報を中央統制することがめざされる。方向性は全く逆ということだ。

 いまこそ、報道機関そしてここのジャーナリストの執拗な取材と冷静な判断に基づく報道が求められる。とりわけ、政府が次々と「禁じ手」を繰り出す中で、その判断根拠を厳しくチェックし、施策の必要性と妥当性を確認していくことが必要だ。いまは「戦時」で国民が一体となって国難に立ち向かうべきという勇ましい言説が飛び交う時節だ。首相も記者会見で「戦いに勝利しよう」と言わんばかりに呼び掛けた。もしいまが「平時」でないとすれば、ジャーナリズムに求められるのは、政府益たる国益とは一定の距離を保ち、より一層冷静な報道をすることだ。

(追記)読者からのご指摘などがあり、12日に誤植を訂正しました。なお、12日に衆議院を通過、13日に成立、即日施行の予定である。

(追記2)28日にタイトルの一部を変更しました。また、タイトル写真を変更しました(当初の写真が新型コロナ特措法改正時の写真ではなかったためです)。

(追記3)長くて読みづらいとの指摘を受け、4月6日に本筋とは関係のない箇所をカットしました(単純な一部削除で、書き替えはありません)。

専修大学ジャーナリズム学科教授

専修大学ジャーナリズム学科教授、専門は言論法、ジャーナリズム研究。日本ペンクラブ副会長のほか、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスの各理事、世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長などを務める。新刊に『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』のほか、『法とジャーナリズム 第4版』『ジャーナリズムの倫理』『愚かな風~忖度時代の政権とメディア』『沖縄報道』『放送法と権力』『見張塔からずっと~政権とメディアの8年』『言論の自由~拡大するメディアと縮むジャーナリズム』『ジャーナリズムの行方』『3・11とメディア』『現代ジャーナリズム事典』(監修)など。東京新聞、琉球新報にコラムを連載中。

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