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大坂なおみ選手は「日本人」ではない。なぜ、都合のいいときだけ「日本人」にしてしまうのか?

山田順作家、ジャーナリスト
彼女の本当のアイデンティティとは?(凱旋記者会見での大坂選手)(写真:つのだよしお/アフロ)

 連日、大坂なおみ選手の大報道が続いている。全米オープンを制覇して凱旋帰国。一夜にして誕生したニューヒロインに、日本中が熱狂し続けている。

 しかし、この状況が、私にはなぜか非常に気持ち悪い。とくに気持ちが悪いのが、テレビでコメンテーターたちが口々に「本当に日本人らしい」と、彼女の20歳としてのシャイな面を褒めまくり、彼女の素直な言動をぜんぶ日本人に結びつけて語ることだ。

 だから、「トンカツ、カツ丼、カツカレー、抹茶アイス」インタビューが、毎日のように続いている。

 ついこの前まで、ほとんどの日本人が「大坂なおみって、ハーフだし、日本人じゃないんじゃない」と言っていたのに、手の平を返して、いまは「日本人らしい」の大合唱だ。

 もし、彼女を本当に日本人と思うなら、こんな見方、報道の仕方はしないだろう。

 さすがにいまでは、公式にはハーフとは言わなくなったが、いまだにこの言葉を使っている人間は多い。悪気はないと思うが、これは英語ではないうえ、根底に「半分は日本人」という差別がある。ちなみに、英語なら、ミックスド(mixed )だろう。

 ドイツ人との“ハーフ”で『ハーフが美人なんて妄想ですから』(中公新書ラクレ)などの著書のあるサンドラ・ヘフェリンさんは、常に、自分がハーフであることを意識して、日本社会のなかでの“ハーフ”の生き方について悩んできた。彼女とは最初の本をプロデュースして以来の付き合いだが、「ハーフでなくダブルのほうがいい」と言っていた。その理由は「ダブルだと両方のいいところを2つとも持っていることになるから。ハーフだと片方だけです。それに、日本人は都合のいいときだけハーフを日本人扱いするけど、それがいやです」とのことだった。

「同じ肌の色で、同じ言語をしゃべる人」を、日本人は日本人だと思っている。ところが、最近、この「定義=肌感覚」に当てはまらない人間が増えたので、日本人は大いに戸惑っている。そんななか、大坂選手のように、じつに素直に「日本大好き」というスターが現れたので、ここまでフィーバーしてしまったのだろう。

 ただし、彼女を「日本人らしい」と言う人々の心の奥には、抜きがたい人種的劣等意識がある。私たち(日本人に限らず東アジアの民族はみな)は、100年以上にわたって西欧文明から遅れてきたという意識があり、この意識はいまも抜きがたいのだ。

 横浜で行われた凱旋記者会見で、大坂なおみ選手は自身のアイデンティティについて問われ、こう答えた。

 “I don't really think too much about my identity or whatever. For me, I'm just me. And I know that the way that I was brought up. I don't know, people tell me I act kind of Japanese so I guess there's that. But other than that, if you were talking about tennis I think my tennis is very--not very Japanese.”

 (私は自分のアイデンティティについてそこまで深く考えることがなくて、私にとっては、私は私としか思っていないんです。そして私は、自分がどのように育ってきたのか知っています。自分では意識していないのですが、振る舞いが日本人らしいと言う人もいるから、きっとそんなところもあると思います。でもそれ以外、もし、(あなたの質問が)テニスの話なら、私のテニスは本当に日本らしくないです)

 このとき、大坂選手は、最初、テニスの話かと勘違いして、こんな答えになった。質問者は、最初「Foreign media--they're saying」(海外メディアが伝えるところでは)と言ったので、これは『ニューヨークタイムズ』(NYT)紙の記事『Naomi Osaka's Breakthrough Game』(大坂なおみのブレイクスルーゲーム)』を踏まえたものだった。

 この記事は、大坂選手の優勝が、「血統を重視する日本の伝統的な考え方に異を唱えることに一役を買っている」とし、大坂選手が「日本人像」を変えるだろうとしていた。要するに、リベラル『NYT』紙が得意とする日本人の偏狭さを見下したものだった。

 とはいえ、この21世紀、私たちはこうした主張を受け入れ、自分たちの人種や民族に対する意識を変えていかなければならないだろう。

 大坂なおみ選手は、「自分のアイデンティティについてそこまで深く考えることがない」と言ったが、これはウソであり、また本当でもある。ウソというのは、大坂なおみ選手のような環境で育った子供で自分が誰か考えたことがない子供はいないからだ。

 私の娘も日本の学校にはいっさい通わずに育ったが、常に自分のアイデンティティを意識していた。それは、日本国内で日本の学校で育つ子供とは大きく変わっている。日本人よりも日本を強く意識するようになる。

 インターナショナルの環境では、ほとんどの子供がルーツや文化を別にする親や親戚を持っている。だから、お互いになにが違うのか意識して育つ。

 学校でも、多文化、多様性を重視し、授業で子供の「family tree」(ファミリーツリー:家系図)を書かせて、自身の家族や国について説明させる。また、「メキシコデイ」「アイルランドデイ」「ジャパンデイ」などを設けて、その日はその国の勉強をしたりする。

 こういうなかで育てば、いやおうなしに自分を意識する。そうして、みんな違うとわかって、はじめてアイデンティティが確立する。

 大坂選手の場合も、最初は自分が何人か悩んだはずだ。日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親の間に生まれ、3歳のときにアメリカに移住した大坂選手は、3カ国のバックグラウンドを持っている。これをどう自分のなかで調和させるか、悩まないはずがない。

 しかし、テニスに打ち込むにつれ、大坂選手は自分は自分でしかないと思うようになったはずだ。スポーツは、その意味で大切だ。スポーツが求めるのは、国、文化などの違いではなく、個人のプレーだからだ。その意味で、これから、どんな「なおみスタイル」が確立されていくのか、本当に楽しみだ。

 メディアが“疑問”報道を続けるなか、救われるのは、子供たちの反応だ。 東レ・パン・パシフィック・オープンを観戦した小学生や中学生のテニス少女たちが、みな目を輝かせて、「大坂選手は本当にすごかった」と、メディアのインタビューに答えていたことだ。素直に「大坂選手のようになりたい」という子供たちが、これからの日本をつくっていく。

 大人になって、偏見や差別感情にとらわれないことを切に願いたい。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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