戦争もできず、平和と安全も保たれず、立憲主義も破壊してしまった「安保法案」の危険度

(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

今回の安保法案は欠陥法案である。なぜなら、こんなものでは、反対派が言うような「戦争」ができるわけがないからだ。その意味で、反対派が「戦争法案」(=戦争ができるようになる)と呼ぶのは200%(=完璧に)間違っている。

戦争をするためには、現行憲法を改正ではなく破棄し、新憲法を制定する必要がある。そうして、日米同盟を結び直して強化しなければならない。

憲法9条を変更しないまま集団的自衛権の行使を可能にする法改正を行おうとしたことは、安倍政権の完全な失敗だ。学者に言われるまでもなく、普通の国語能力を持っていれば、この法案が論理的に成り立たないことはわかる。いまさら、丁寧に説明してもらっても意味はない。

その意味で、「国民の理解が足りない」などと言っている政治家は、国民を完全に舐めきっている。

というわけで、私は今回の安保法案には大反対である。

憲法を無視して解釈だけでやると決めたなら、こんな中途半端な法案をつくってはいけない。徹底して集団的自衛権を行使でき、自衛戦争ができる法案をつくるべきだった。今回の法案で、本当に私たち日本の安全と平和・独立が保たれると思っている人がいたら、頭がおかしいとしか言いようがない。

ところが、反対派というのは、私とはまったく違う考えで反対している。どう考えても、彼らは日本という国を理解していないし、愛してもいない。平和主義者ではなく平和破壊主義者だ。

彼らの主張の次の部分はわかる。

「法の手続きを無視して立憲主義を壊す」

「憲法の平和原則を根本から破壊する」

つまり、手続きとしては間違っていると、反対派は主張している。しかし、そうであるならば、なぜ彼らは「憲法を改正しろ」とは言わず、憲法9条を守ろうとするのだろうか?

そればかりか、「日本はこれまで憲法9条のおかげで平和が保たれてきた」とまで言いだす。これを聞くと、彼らは歴史を単なるファンタジーと考えているのかと、私は思ってしまう。

戦後70年間、日本の平和が保たれてきたのは、憲法のおかげではない。「平和を愛する諸国民の公正と信義」などいまだに存在しない世界で日本が平和を維持できたのは、日米同盟、アメリカの核の傘があったからである。

1923年に日英同盟が破棄されて以来、単独行動をとって、ついに世界最強国(=アメリカ)と戦争するしかなくなった歴史を振り返れば、こんなことは簡単にわかる。

むしろ憲法があるせいで、私たちは北朝鮮の拉致事件には泣き寝入りするしかなく、湾岸戦争では世界の失望を買い、いまは中国の反日政策と拡張主義に晒されている。

国会を取り巻いて、「戦争反対」を叫んでいる人たちは、それがトレンド、ファッションとしてやっているのだろう。そうではなく本気だとしたら、それはトレンドでもファッションでもなくて、醜悪(=ダサすぎる)だ。

戦争をできる国のアメリカ国民が、たとえばベトナム戦争で「反戦」を訴えたのは理解できる。しかし、できない国の日本国民が「若者を戦場に送るな」などと言っているのは、悪い冗談だ。「私たちは、戦争に突入することを危惧し、声を上げる必要性を感じました」(学生グループ「SEALDs」)と言っている学生たちは、天才的なコメディアンだ。

ただ、反対派の主張で納得できる点はある。

「これはアメリカのための安保法制だ。アメリカの戦争に巻き込まれる」「日本はこれ以上アメリカの属国になっていいのか」である。まったくそのとおりだから、反論できない。

ただ、これのどこがいけないのか、私にはわからない。核を持たない国家は、核を持つ国家と同盟し、なおかつその同盟国と同じフィールドで戦争ができなければ、安全保障は保てない。アメリカが嫌というなら、日本はどこと同盟すればいいのか?

結局、この法案は日米同盟を強化するために、先の首相訪米で決められたものだ。つまり、日本は今後もアメリカ陣営に属し、中国を仮想敵として自国を防衛するということを強化するためのものだ。

つまり、けっして中国の属国にならない(=かつての中華秩序を復活させない)と宣言するものだ。ならば、もっと徹底的にアメリカと共に戦える法案にしてほしかった。そうでないから、この法案は本当に危険である。