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ニュースにもっと「偶然の出会い」を。ジャーナリスト・江川紹子さんがこれからのメディアに期待すること

年間を通じてもっとも社会の課題を伝え、議論を喚起し、解決促進に寄与したコメンテーターに贈られるYahoo!ニュース 公式コメンテーター「コメンテーターアワード2022」に、ジャーナリストの江川紹子さんが選ばれました。

安倍元首相銃撃事件に端を発して旧統一教会問題が明るみになった2022年。江川さんはメディアのあり方や教団の実態、宗教二世の苦しみや脱会の難しさなどを指摘し続けました。

「Yahoo!ニュース 個人 10周年感謝祭」で実施された授賞式での一枚。この後に行われたパネルディスカッションではパネラーの一人として登壇した
「Yahoo!ニュース 個人 10周年感謝祭」で実施された授賞式での一枚。この後に行われたパネルディスカッションではパネラーの一人として登壇した

40年以上にわたりジャーナリストとして第一線で活躍する江川さんに、ニュースとの接し方、メディアとの付き合い方についてお話を伺いました。

生粋の「新聞好き」として、ネットニュースへ期待すること

――江川さんは普段どのようにニュースをキャッチされていますか?

基本的に古い人間なので、新聞とテレビは私にとって(比重が)大きな媒体ですね。朝は必ず新聞を何社か読みます。時間がぜんぜんないときは別ですけどね。

新聞のいいところは、一覧性。時間がなくても見出しを見るだけで、今どんなニュースがあるのか、新聞社がどのニュースを重要と考えているのかが瞬時にわかります。また、新聞だと興味がないトピックのニュースも必然的に目に飛び込んできます。最近は新聞の紙面レイアウトをそのまま配信するアプリを各社リリースしていて、スクラップするのも簡単なので活用しています。出かけるときでもタブレットを持ち歩いて、「紙の新聞」を読む。そんな感じが多いです。やっぱりある種の習慣でしょうね。あとは出先でネットニュースを見ることもあります。

終始フランクにインタビューに応じてくれた江川さん。普段持ち歩いているタブレットをバッグから取り出し、実際に新聞社のアプリを使ってみせてくれた
終始フランクにインタビューに応じてくれた江川さん。普段持ち歩いているタブレットをバッグから取り出し、実際に新聞社のアプリを使ってみせてくれた

――新聞を何紙も読むことの利点はどこにあるのでしょうか?

こういう(ジャーナリストという)仕事でもあるし、「新聞好き」っていうこともあるので、何紙も取っていますけど、「読み比べる」っていうのはけっこう大事なことじゃないかと自分では思っていますね。例えば、全紙が同じニュースを1面トップにすることもありますが、そうでないときもあります。同じニュースでも評価が違うとか、見方が違うとか、ある社は大きく扱っているけど、ある社はまったく扱っていないみたいなことがあるんですよね。どちらが正しい、どちらが間違っているというわけではなく、「こういう見方もできるんだ」という違いに触れる意味でも、自分を固定せずに頭を柔らかくしておくことができますよね。

大学で教えている学生にも「教材費だと思って自分で新聞を買って読みなさい」と言っているんですけどね。学生にとっては、Yahoo!ニュースがニュースに接する大きな窓口になっているみたいですよ。

――新聞好きの江川さんから見て、新聞とネットニュースの違いをどう感じていますか?

一覧性の高い新聞の場合、興味のないニュースも必然的に目に飛び込んできます。そういう「偶然の出会い」みたいな機会が多い。それがいいんじゃないかなと思っているんですけどね。

ネットニュースでも自分の関心のあるものだけではない、アルゴリズムに乗らないような「偶然の出会い」がもっとあったらいいなと思いますね。Yahoo!ニュースではYahoo!ニュース トピックス(主要トピックス)に自分には関心のないニュースも出てきますけど、本数が少ないと感じます。あそこの枠はもう少し増やせないものかな。

百戦錬磨のジャーナリストが感じる「コメントの難しさ」

長いジャーナリスト生活で嬉しかった出来事は、江川さんの著書を読んでカルトへの入信を踏みとどまった大学生がいたことだという。「私はこの人のために本を書いたんだなと思いました」(江川さん)
長いジャーナリスト生活で嬉しかった出来事は、江川さんの著書を読んでカルトへの入信を踏みとどまった大学生がいたことだという。「私はこの人のために本を書いたんだなと思いました」(江川さん)

――今回のコメンテーターアワード受賞に関して伺います。江川さんは2017年に記事の書き手を対象としたオーサーアワードも受賞していますが、記事の執筆とコメントの執筆はやはり違うものでしょうか?

記事を執筆する際は、自分で取材をしていたり、資料を集めて読み込んだり……。自分がもともと知っている、あるいは調べた情報をもとにして執筆する一方で、コメントは人が書いた記事に情報を付け加える形です。ですからコメントを投稿する際には、その記事に書いてあることが正しいのか、他のメディアはどう報じているのかを確認するために複数の媒体を必ずチェックしますし、コメントを投稿するタイミングについても検討します。

実際に自分が取材をしている場合には、「もうこれで確定だな」とか「今の段階では論評するのは早いな」といったところは実感としてわかるものですが、特に刑事事件なんかは、情報が流動的だったり、後からいろいろなことがわかったりするので、コメントを今出していいのか、慎重になりますよね。迷ったり踏ん切りがつかないでいるうちにコメント投稿の時期を逸する、そういうことはよくあります。

――Yahoo!ニュースへのコメント投稿で、意識していることや工夫していることなどはありますか?

新聞やテレビのニュース番組を普段見ない人も見るメディアです。たくさんの人がニュースに接する大事な窓口だと思うんですよね。 Yahoo!ニュースのコメントは行数が限られていますし、最近はあまり長い文章を読まない人たちも多いので、何が優先度の高い情報なのかを考えて書くようにしています。

あとは主語と述語はなるべく近くするとか、文章論的なことですよね。そういう風なことにちょっと気を使ってるところはあります。

自身のコメントが立ち止まって考えるきっかけになったら嬉しいと語る。「そう思っててもね、うまくいってるかどうかわかんないね。あんまり偉そうというか、大きなことは言えませんね」(江川さん)
自身のコメントが立ち止まって考えるきっかけになったら嬉しいと語る。「そう思っててもね、うまくいってるかどうかわかんないね。あんまり偉そうというか、大きなことは言えませんね」(江川さん)

――記事と比較して、コメントにはどういう役割があると考えますか?

コメントには記事では伝え切れないことを伝えるという役割があると思っています。Yahoo!ニュースは雑誌社から配信されるような長い記事もありますが、紙の新聞と比べると短い記事も多い。紙の新聞は大事な情報から伝える構造になっているのですが、配信される新聞社のニュースの中には記事の下のほうで書かれることはカットされているものもあります。そのような短い記事を読むと誰が何をしたかはわかっても、どういう背景があるのかなどはわからないことも多いので、コメントで補足する必要がありますね、そこから「記事がすべてではない」ということが伝わればいいなと思いますね。

けっこういるんですよ、ニュースや見出しを見ただけで全部を知っているような気がしちゃうっていう学生も。それが怖いと思うんですね。わかったような気になると、それ以上考えないじゃないですか。あるいはそれ以上知りたいとは思わないでしょう。だから、わかった気にならないっていうのも、やっぱり大事なこと。書いてあるコメントに納得しなくてもいいんですよ。反発すれば別の論拠を探そうとして考えるから。すべてわかった気にならないようにさせるというのも、コメントの役割かなと思います。

――江川さんが投稿してくださった旧統一教会の記者会見に関するコメントは、まさにそういった効果があったと思います。あのコメントはSNSでも大変話題になりましたね。

安倍元首相銃撃事件を受け開かれた旧統一教会の記者会見記事に対し投稿したコメント。カルト問題を追い続けてきた江川さんならではの鋭い視点が光る。SNSでも拡散され多くの議論を巻き起こした
安倍元首相銃撃事件を受け開かれた旧統一教会の記者会見記事に対し投稿したコメント。カルト問題を追い続けてきた江川さんならではの鋭い視点が光る。SNSでも拡散され多くの議論を巻き起こした

あの記者会見がオープンなものだったと思われてしまうと、ちょっと違うなと思ったんですね。記事を読んでいるだけではひょっとしたら出てこなかった発想を、考える材料にしてもらえたらいいなと思っています。

二元論的思考に陥らず、議論の余地を

最近はオウム真理教関連の裁判資料を集める作業にも力を入れている。「私が死んだ後もちゃんと次の時代の人たちへ資料が伝わっていくようにするのが大事」(江川さん)
最近はオウム真理教関連の裁判資料を集める作業にも力を入れている。「私が死んだ後もちゃんと次の時代の人たちへ資料が伝わっていくようにするのが大事」(江川さん)

――以前、Yahoo!ニュース 個人へ期待することとして「マスメディアが尻込みするような事柄もしっかり伝えていくこと」とお話しくださいましたが、メディアはどういったことに対してナーバスになっていると感じますか?

それは「叩かれること」ですね。メディアは読者に非難される、叱られる、反発されるということを過度に恐れてしまっているように思います。

現代の日本においては、何か発信したからといって、弾圧されるとか、逮捕されるとか、会社を潰されるみたいなことはあまり現実的ではないですが、一方で、インターネットの中の意見がひとつの「勢力」になっているように感じます。読者にもいろいろな人がいるし、ネットの中で声の大きい人の意見ばかりに気を取られなくてもいいと思います。そちらを気にするあまり、声をあげていないサイレントマジョリティーの人たちが置き去りにされたりしないでほしいなという感じはありますね。

――それは誰でも情報を簡単に発信できる時代になったからこそ生まれた課題ですね。

誰でも発信できる時代になったのは、いいことだと思っています。インターネットにはよくない面ももちろんありますが、いろいろな知識や経験を持っていて、共有してくれる人がたくさんいるわけですよね。SNSに限らずですが、私は自分が発信したいという気持ちよりも、自分が知らないことを教えてもらいたいという気持ちが強いので、SNSもそういった観点で利用しています。

SNSを使うときには、信頼できる専門家たちの中でも、いつもは意見が一致していない人たちをどちらもフォローすると、さまざまな視点からの意見を聞けるし、自分で判断する材料にもなるので、そういった使い方もいいと思いますね。

SNSが嫌になってしまう場面がないわけでもない。「いつまで続けようかなとも思うんですけど、自分が知らないことを知ることができる機会もあるので、ちょっと踏みとどまっているんですよね」(江川さん)
SNSが嫌になってしまう場面がないわけでもない。「いつまで続けようかなとも思うんですけど、自分が知らないことを知ることができる機会もあるので、ちょっと踏みとどまっているんですよね」(江川さん)

正しいか間違っているかだけでなく、なんでもバランスが大事ですよね。0か100じゃなくて、じゃあどのへんで手を打ちましょうか、みたいなこと。そういうバランス感覚というのが本当はすごく大事なのに、二元論的な状況になってしまうとそれができなくなってしまいます。議論の余地があることが重要だと思います。

――2017年のオーサーアワード受賞インタビューでも、二元論的思考に向かっていくことの怖さについて指摘されていましたね。

それはさらに強まっているように感じます。当初はテレビが顕著で、わかりやすさを求めるあまり二元論的な方向になりがちでした。今はそこにインターネットも加わったことで、似たような考えを持つ人が結びついたり、短く切れ味がある文章を追求することで、以前よりも二元論的思考に拍車がかかっているような感じがします。

以前、特定の人物に向けて「死ね」と言い放つ言葉がSNS上で拡散されたときは、びっくりしました。私の尊敬している人もその言葉を使っていて、心が凍りつくような感覚がありました。その場で何の反応もできなかったことを今も後悔しています。そういうときには相手が誰であっても「それは違うんじゃないですか」と言わなければいけませんね。言葉はどのような文脈で使われたかにかかわらず一人歩きしてしまうので、特にメディアはきちんと言葉を精査できる人かどうかを見極めていく必要があると思います。

江川紹子(えがわしょうこ) ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は広く、精力的に取材活動を行っている。1995年にオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えている。

▼これまで江川紹子さんが提供した「Yahoo!ニュース 個人」コメント一覧

https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/egawashoko/comments

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【この記事は、Yahoo!ニュース 公式コメンテーター「コメンテーターアワード2022」受賞記念として、編集部がオーサーにインタビューし制作したものです】

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