Yahoo!ニュース

【マイスター・ハイスクール】教育で地域のウェルビーイングを実現するには?(福井県立若狭高校)

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
寒ブナのたたき網漁を体験する生徒たち(写真:若狭高校提供)

文部科学省が2021年にスタートした地域産業の担い手を育てるプロジェクト「マイスター・ハイスクール」。産官学が連携して、今までの専門高校のイメージをくつがえす最先端の人材育成を目指す。この連載では、そのモデル校に指定された全国の専門高校を取材し、取り組みと効果、課題や展望を整理し、「地域と共創するこれからの学びづくり」という視点で考えたい。(「マイスター・ハイスクール」の概要については前記事『【マイスター・ハイスクール】DX時代の創造的エンジニアを育成する場作りとは?(熊本県立八代工業高校)』をご覧ください)

若狭高校のマイスター・ハイスクールビジョン(若狭高校提供)
若狭高校のマイスター・ハイスクールビジョン(若狭高校提供)

●高校生の作った鯖缶が宇宙へ

2018年、高校生が作った「鯖味付け缶詰」がJAXAの宇宙日本食に認証されたというニュースがネットを賑わせた。作ったのは若狭高校海洋科学科。併設の実習工場では現在年間約500個の鯖缶がつくられている。同校が取得している衛生管理の世界基準「HACCP」は、NASAが開発したもの。「それなら、宇宙食にできるのではないか?」という生徒の意見でプロジェクトが始まった。教師と生徒の対話の中からプロジェクトが生まれる。徹底的な探究と対話のかけ算は、今求められている理想的な教育の王道といえる。鯖缶のプロジェクトは、宇宙食になるまで13年にわたって受け継がれてきたという。探究ブームに乗った付け焼き刃のプロジェクトではない。それを、ずっとやり続けてきたのが若狭高校である。

宇宙食は粘度も必要な上、味覚も弱くなるので味付けも研究が必要だった(写真:著者撮影)
宇宙食は粘度も必要な上、味覚も弱くなるので味付けも研究が必要だった(写真:著者撮影)

すでにある土壌や文化を活かすというのは、マイスター・ハイスクールに共通する考え方だ。地域に根ざした「エコシステム」の構築を目指すなら、自然かつ当然の前提である。「校長から提案があったときは仕事が増えるかと思っていたが、内容を見て、これってうちの学科がいままでやってたことだから申請すべき、と提言した」という海洋科学科の毛利誠教諭。マイスター・ハイスクールに指定されたから変えたことはないというが、結果的に変わったことはある。すべてがいままで通りというわけではない。青海忠久CEOは「先生方は走りながら考え、総括できずに進めてしまっていることも否定できない」という。失敗と改善を繰り返しながら、熟成していく期間が必要だ。「まずは3年間でその方向性を示したい」。

福井県立大学海洋生物資源学部教授として水産と環境について研究してきた青海忠久CEO(写真:著者撮影)
福井県立大学海洋生物資源学部教授として水産と環境について研究してきた青海忠久CEO(写真:著者撮影)

●探究と実践の基盤となる「対話力」

鯖缶プロジェクトを牽引してきた小坂教諭の授業では、グループに分かれて対話をしていた。テーマは「恋愛」から「ドラえもん」まで多岐に渡る。みな自由に意見を述べ、それを受けて何人かが感想をつけ加えたりリアクションをする。一見「海洋科学科」の授業とは思えない、本質的な対話の場である。ルールは「相手の主張を聞いて、問いを立てる」こと。それを意識することで、セーフティーな場が実現する。

対話の基本を築く授業のために、教師自身対話を意識して学んでいる(写真:著者撮影)
対話の基本を築く授業のために、教師自身対話を意識して学んでいる(写真:著者撮影)

小坂教諭は「少数派でもいいんだ、という合意形成をしていくことで安心安全な場になった」と振り返る。コミュニケーションは何よりも優先される技術であり、それを身につけるためのテーマは水産である必要はない。むしろテーマが専門に寄ることで全員が自由に話せなくなる。知っている人間がイニシアチブを取ってしまう場は、社会に出てからも散見する。限られたカリキュラムの中で大胆にテーマ以外の対話に時間をかけるのは、そのような社会課題を分かったうえで、あえて取っている戦略だ。結果としてこの後のプロジェクトはスムーズに進むのだ。これは私の専門であるリベラルアーツとも共通する考え方である。

「主張・根拠・具体例を重視する論理的な話し方やディベート的なものは、今までも授業で扱ってきましたが、これからはコミュニケーションの対話に力を入れていきたいと思っています。そういう対話力が幸せにつながってきます」。私はキャリアコンサルタントとしても活動しているが、基本的な対話力がないと、反対意見が出たときに自分が否定されたように感じてしまう。それでは建設的に進められないどころか、セーフティーな場にもならない。一般的に対話の授業は2人から数人のグループを作って行うことが多い。しかし、小坂教諭の授業では、あえて少し多めの人数でグループを作る。「うまくいかせようと思っていないんです。失敗したらそこから学んでいくことが大事だと考えています」。

●目的は「ウェルビーイング」

最近になって教育界で盛んに聞かれるようになった「ウェルビーイング」というキーワードがある。簡単にいえば、持続的に精神的・身体的・社会的な健康を保ち、幸福で充実した生活を送れている状態を指す。私自身もそうであったが、現在私が現場で関わる小中高生も、何らかのバランスを崩して不登校になるケースは少なくない。教育には成長するという目的があり、そのための指標やカリキュラムがあるのは分かるが、そのために脱落してしまう生徒たちがいては本末転倒である。もちろん、学業以外が原因となる場合も多いのだが、やはり持続可能であることが前提であり、むしろ学業以外のマイナスを学校が補完できるような場であることが望ましい。

生物資源学博士でもある小坂康之教諭はキャリアサポートセンターの室長も務める(写真:著者撮影)
生物資源学博士でもある小坂康之教諭はキャリアサポートセンターの室長も務める(写真:著者撮影)

若狭高校では、本気でウェルビーイングを目指してカリキュラムをつくっているという。幸せになるための資質能力としての対話力に注目しているからこそ、対話の授業に力を入れているのだ。小坂教諭は「大人もしっかりと議論していない状態で、生徒たちに議論させようとしたって難しい」と指摘する。「学校設定科目の中にウェルビーイングの要素を入れたいと議論しているのですが、そもそも議論していること自体に意味があるんです」。探究にしてもウェルビーイングにしても、学校のカリキュラムに実装しようとすると、どうしても思考力やコミュニケーション能力と結びつけがちである。もちろん抽象化すればそういう一面もあるのだが、もっと根源的な学びや成長の種があるはずだ。「実習の中で水産関係者の方々に、どこに幸せを感じているのか? というインタビューをすることで気づきがあるし、それだけでもフィールドワークとして意味があると思います」。

純粋に活動を楽しむことや没頭すること、プロジェクトとしての目標を達成することで学び成長することはもちろんだが、対話したり助け合うことでポジティブな人間関係を築き、自分の存在意義や人生の目的を見つけていく。それは、いきなり地域に出て行ってできることではない。そのための下準備をおろそかにしていないことが、若狭高校の授業には体現されていた。

●異質のものに対する理解と寛容の精神

若狭高校の校長室には「異質のものに対する理解と寛容」という言葉が掲げられている。

鳥居史郎元校長のメッセージ「“愛”という言葉も“教養”という言葉もその原点は “異質のものに対する理解と寛容である”と思うのです。」(写真:著者撮影)
鳥居史郎元校長のメッセージ「“愛”という言葉も“教養”という言葉もその原点は “異質のものに対する理解と寛容である”と思うのです。」(写真:著者撮影)

戦後、若狭高校が現在の形としてリスタートした際に、この目標が掲げられたという。ずっと「対話」にこだわってきた若狭高校の文化がうかがえる。江戸から明治にかけて、教養や修養という言葉の意味には人の気持ちが分かることという意味合いがあった。そのためには対話は不可欠である。

自らが興味があって学校の歴史を探究しているという小坂教諭は、「明治28年に水産高校の前身ができて、すぐに地域の人たちと定置網のところで実習したり、まだ地域になかった食品工場をつくって民間の人たちと膝をつき合わせて一緒にやっていたりした。その時にすでに「探究」という言葉が使われていたという記録があるんです」。日本に本格的に探究という言葉が入って来たのは、哲学者ジョン・デューイの著作の翻訳からだといわれている。だとすると若狭高校では探究学習に黎明期から取り組んできた歴史があることになる。

地元の方々と対話してプロジェクトを進めていく(写真:若狭高校提供)
地元の方々と対話してプロジェクトを進めていく(写真:若狭高校提供)

そんな歴史がある学校として、探究学習の取り扱いには慎重だ。青海CEOは「実験や調査をしっかりしてそれを土台に考えることが役に立つはずだが、課題探しで時間がなくなってしまったり、実験に失敗したときにリベンジする時間もない」と分析する。若狭高校では、現在週4時間の探究の時間を確保している。探究するには十分な時間とは言えないが、探究の時間を増やせば普通科目を圧迫する。学びの基礎体力がなければ探究活動も深めにくい。そこで、放課後や土曜日に部活と両立しやすいようなカリキュラムを採用している。その中で最低限の基礎体力をつけて、本格的な探究は大学で取り組んで欲しいという考えだ。

北村徹校長は、探究活動の究極的な目標は点数では測れないような非認知的な能力を育んでいくことであり、特に逆境に耐えるレジリエンスを鍛えて欲しいという。そのためには指導型の探究だけでは実現できない。「私が担当していたグループで、必要な実験キットの説明書が英語だったんです。困った生徒が、英語の先生に協力を要請したのですが断られてしまい、生徒も私も含めてみんなで分担して翻訳したんですが、持ち寄った翻訳文がまったくつながらずに大爆笑したんですね。そのとき、自分が指導するんじゃなくて、同じように楽しみながらやることの方が大事だと気づいたんです」。

このエピソードは、探究を語るうえで重要な示唆がある。私は20年以上探究の実践と研究を続けているが、近年の探究やファシリテーションは、指導する側の知識や経験が軽視される傾向がある。もちろん共に探究をする姿勢が大事なのは間違いないが、学校組織で構造的探究を行うのであれば、指導レベルである教師が生徒と一緒に楽しむことに最大の意味がある。生徒と同レベルの知識と経験では「指導しない教育」はうまくいかない。指導できる人間が教え込むことを手放してはじめて本質的なファシリテーションが実現する。

●対話から参画へ

今回マイスター・ハイスクールに指定された13校の中で唯一、運営推進委員会に生徒たちが参加して、自分たちのプロジェクトとして意見を出している。自分たちはこんな支援をされているということを認識すれば、責任も主体性も出てくる。また、今年度からはカリキュラム検討委員として20人くらいの生徒が生徒の視点でウェルビーイングを検討しながら意見する試みもはじめた。対話レベルでやり取りができているのかに注目しつつ、その成果を新年度のカリキュラムに実装すべく進めているという。

創立以来、探究や対話による地域との関わりを築いてきたが、戦後のシステム化で地域との断絶が出てきたと小坂教諭は分析する。「20年くらい前、生徒が集まらなかった時期に、地域の要望もあり、課題研究を地域に出てやるようになりました。学校を潰さないために何ができるかを考えた結果、地域とのつながりがある教員が鍵になりました。学校の目標設定も地域の人に共感してもらえ、「水産(現海洋科学科)行くとなんか良くなって出てくるよね」と言ってもらえるようになりました」。

マイスター・ハイスクールは「自分たちのための事業なんだ」と自覚が生まれたことに価値があったという毛利誠教諭(写真:著者撮影)
マイスター・ハイスクールは「自分たちのための事業なんだ」と自覚が生まれたことに価値があったという毛利誠教諭(写真:著者撮影)

日常的に、地域の人や大学の先生が学校に関わる環境が重要だと毛利教諭は指摘する。「それまで、いか釣り実習に行くと実習船は向こうでやってくれ、と言われていました。そこで、LEDと従来のメタルハライド灯とどっちが釣れるか比較検討しましょうよ、と同級生の漁業者に提案したら乗ってきてくれて、周りの漁業者にも声かけて最終的に20隻くらいが協力してくれるようになりました。そうなると生徒たちに責任感も生じるし、どんどんやる気になってきて、毎日いか釣り実習して結果をグラフにして漁師さんに届けたり、各所で発表したり、東京海洋大学稲田博史准教授のLEDに関する講義には、漁業者もたくさん来てくれました」。平成22年から始まったこのプロジェクトは、26年に環境大臣賞を受賞している。

エコシステムを作っていくためには、産業界側のメリットが必要だ。その点で若狭高校は教師の人脈を最大限に活かしたメリットの創出が実現している。マイスター・ハイスクールが終わっても、「プロジェクトはもちろん、教員がもともと持っている人脈をシェアして次の世代に引き継いでいくことが大事だ」と毛利教諭は言う。この引き継ぐ意志こそが学校の限られた時間で本質的な探究をするうえでの鍵になる。

●目指す「エコシステム」

変化の激しい時代、見通しのつかないなかで価値を見いだす力が必要だという橋本有司教頭は、「マイスター・ハイスクールの取り組みで海洋科全体が自信を持って、表情がイキイキしてきた。普通科や探究科にもその雰囲気は波及している」としながらも、「いちばんの課題は継続性。そのためには先生たちの主体性が鍵」だという。教師の主体性が、生徒の主体性に影響する。つまり、関わる大人の前のめりなモチベーションが保てるエコシステムを作る必要である。さらに、完全に生徒に任せると浅くなってしまうという問題点も見えてきた。指導しすぎても生徒に任せすぎてもうまくいかない。バランスが大事なのである。また、専門性があるからこその探究の深さがある。「普通科や探究科はどうしても次の学年に引き継ぐ文化がまだない。海洋科学科の実践から得たものをうまく取り入れていきたい」。

マイスター・ハイスクールで「特に対話する姿勢が変容した」という橋本有司教頭(左)と「放課後や土曜日に何をしてもいい時間を作ることで生徒が変わり、成績も上がった」という北村徹校長(右)(写真:著者撮影)
マイスター・ハイスクールで「特に対話する姿勢が変容した」という橋本有司教頭(左)と「放課後や土曜日に何をしてもいい時間を作ることで生徒が変わり、成績も上がった」という北村徹校長(右)(写真:著者撮影)

マイスター・ハイスクールはどの指定校も3年間という制限の中でできることを模索しながら走っている。若狭高校メンバーは、人生の基盤となる素養として、いかにウェルビーイングを実現するか、そのために「異質のものに対する理解と寛容」の精神を養い実践するための経験をするかという視点を共有していた。それぞれの主張を持ち、冷静に対話できてはじめてプロジェクトを建設的に進めていくことができる。それが若狭高校の目指す基盤だ。

寒ブナの味付けを研究する生徒(写真:若狭高校提供)
寒ブナの味付けを研究する生徒(写真:若狭高校提供)

新たなプロジェクトとして、地元三方五湖産「寒ぶな缶」の製品化や海洋プラスチックを使用した「Ocean箸」の販売もスタートしている。「漁連から、最近とれるようになったサワラの調理法を開発して欲しい」という依頼があったが、「生徒の主体性と合うかどうかで慎重に判断したい」という。マイスター・ハイスクールが始まってウェルビーイングという観点で地域との対話が始まった。若狭高校を中心とした地域の変容に注目したい。

◾関連サイト

文部科学省マイスター・ハイスクール(次世代地域産業人材育成刷新事業)

福井県立若狭高校

◾シリーズ記事

【マイスター・ハイスクール】DX時代の創造的エンジニアを育成する場作りとは?(熊本県立八代工業高校)

【マイスター・ハイスクール】未来をになう海洋・水産のプロを育成する職業教育とは?(新潟県立海洋高校)

アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

矢萩邦彦の最近の記事