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【光る君へ】藤原道兼は、なぜ花山天皇を騙したのか。その恐るべき真相とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」は、花山天皇が出家し、藤原兼家の悲願が実現した。花山天皇の出家に貢献したのが、兼家の子の道兼である。道兼は花山天皇の出家を実現すべく、謀略の限りを尽くしたので、その辺りの裏事情を探ることにしよう。

 寛和2年(986)6月22日の夜、花山天皇は内裏から抜け出し、出家をすることになった。その際、花山天皇を内裏から脱出させ、逃避行の手助けをしたのが道兼である。

 道兼は花山天皇が亡くなった女御の忯子の手紙を持っていきたいと言い、いったん戻ろうとしたが、出家の決心が鈍るのを恐れて、それを断念させた。道兼がいなければ、花山天皇の出家は実現しなかったかもしれない。

 2人は内裏を密かに抜け出すと、都大路から東山を抜けて、花山寺(元慶寺。京都市山科区)に向かった。以下、歴史物語の『大鏡』によって、花山天皇が出家した経緯を記すことにしよう。

 花山天皇は花山寺に入ると、髪を剃って出家した。天皇の出家を確認した道兼は、いったん父の兼家のいる屋敷に戻ると述べた。というのも、道兼は花山天皇を連れ出すとき、自分もいっしょに出家すると言っていた。道兼は出家前の自分の姿を見せるため、いったん戻り、父に事情を説明すると述べたのである。

 その言葉を聞いた花山天皇は、道兼に騙されたことを悟り、涙を流したのである。道兼は花山天皇が出家した際は、自分も出家して弟子として仕えると嘘を言っていた。誠に酷い話である。しかも、この謀略には、道兼の父・兼家のサポートがあった。

 兼家は道兼に万が一のことがあったら困るので、2人の武士を警護のため尾行させていた。武士は道兼が花山天皇から出家を強要されぬよう、万が一のときには刀を抜いて守るつもりだった。『大鏡』によると、花山天皇の出家は、兼家と道兼によって計算されたものだったことになる。

 兼家にとって、花山天皇は目の上のたんこぶのようなものだった。花山天皇のバックには、叔父の藤原義懐がいたが、まだ公卿にもなっていなかった。それが、あっという間に権中納言まで出世し、おまけに少なからず権勢を誇ったのだから、兼家も頭を抱えたことに違いない。

 しかし、花山天皇が出家したので、一条天皇が即位することになった。一条天皇の母は、兼家の娘の詮子である。兼家は一条天皇の外祖父になることで、我が世の春を謳歌するのである。

主要参考文献

倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(KADOKAWA、2023年)

朧谷寿『藤原氏千年』(講談社現代新書、1996年)

山本淳子『『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書、2007年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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