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【光る君へ】紫式部も父の藤原為時も人づきあいが苦手だったのか。その真相を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
宇治市の宇治橋と紫式部像。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」を観ていると、紫式部も父の藤原為時も人づきあいが苦手なように思えなくもない。特に、為時は学問一筋の愚直な人物であり、藤原道長からスパイめいた役割を与えられ、ようやく仕事をつかんでいたようである。その辺りについて、考えてみよう。

 ドラマの中の岸谷五朗さんが演じる為時は、学問一筋の人物で、あまり融通が利かないのか、すっかり出世コースから外れてしまった。

 道長から花山天皇やその周辺の人々のスパイめいた仕事を与えられ、泣く泣く応じて仕事にありついた。むろん、このスパイめいた仕事は、ドラマ上の創作にすぎない。

 とはいえ、為時は非常に学究肌で融通が利かないうえに人づきあいが下手で、それゆえ不遇だったとみなされることが多い。寛弘7年(1010)1月2日、為時は道長が主催する宴席に招かれた。

 ところが、為時は宴が終わると、早々に席を立って自邸に帰ったという。この話は、『紫式部日記』に書かれているので、嘘ということはまずありえないだろう。

 その際、すっかり酔っ払った道長は、紫式部に「お前のお父さんは変わり者だ」と述べたという。このことによって、為時は人づきあいが苦手、融通が利かないと評価された。

 それどころか、紫式部も父の性格を受け継ぎ、同様の傾向が見られたというのである。こうした評価は、本当に正しいと考えていいのだろうか。

 一般的に言えば、書状や日記などから、人物の性格を読み取れる記述は見られるが、それがすべてなのかと言えば疑わしい。少し例を挙げることにしよう。

 たとえば、ある人物が激しく怒りをぶちまけたことが書かれていると、この人物は怒りっぽい性格だとみなすこともあるが、それは短絡的だろう。たった一つの記述から性格を決定付けるのは困難である。

 また、日記などの人物への評価も同じことで、日記を書いた人がある人物との関係が良くなければ、その人物を悪しざまに書くこともあるだろう。

 つまり、その人物との関係性によって、人物の性格や評価が規定されるのである。それは別の時代でも同じことで、ある出来事から「この人は優しい」などと、単純に決めつけるのは危険である。

 そう考えると、紫式部が父と似て、人づきあいが苦手と決めつけるのは短絡的なように思えてならない。『紫式部日記』からは、彼女の奥ゆかしさが伝わってくるのは事実であるが、当時のほかの人々が紫式部について、どう感じたのかは別の問題である。

 歴史上の人物の内面性や性格を探ることは、非常に難しい。それは現在と同じことで、ある人物について「優しい」という人もいれば、「怒りっぽい」という人もあろう。人間同士の関係性によって、その人物の評価が変わるということを忘れてはならない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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