Yahoo!ニュース

本多正信の子・正純は「岡本大八事件」に巻き込まれ、キリスト教は禁止された

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
イエス・キリスト。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、松山ケンイチさんが演じる本多正信が強い存在感を示している。今回は、正信の子・正純が「岡本大八事件」に巻き込まれた裏事情について考えることにしよう。

 慶長14年(1609)、有馬氏が朱印船を占城(チャンパー:ベトナム)に派遣し、帰航の途中でマカオに立ち寄った。有馬氏の乗組員がマカオで取り引きを行ったところ、ポルトガル人と乱闘事件となり、多数の死者を出す事態となった。

 この事件に関与したのがナウ船の司令官のアンドレ・ベッソアだった。翌年、ベッソアは日本航海司令官として長崎を訪れたのである。

 翌年、有馬晴信は長崎奉行の長谷川藤広と結託してベッソアに報復を行うべく、家康にベッソアの捕縛と商船捕獲の許可を求めた。

 家康は有馬氏らが報復することにより、ポルトガル貿易が断絶することを恐れた。ところが、スペインやオランダとの交易によって十分に補えると考え、有馬氏の要請を許可したのである。

 その結果、晴信は報復として長崎湾内でベッソアのデウス号を撃沈したのである。晴信は熱心なキリスト教信者であったため、この事件はイエズス会に大きな衝撃を与えた。

 本多正純の与力・岡本大八は、晴信と同じくキリシタンだったので、やがて誼を通じるようになった。大八は晴信に近づくと、龍造寺氏に奪還された肥前藤津地方の返還をするための運動資金と偽り、多額の金品を騙し取った。

 代わりに、大八は偽の知行宛行状を晴信に送った。問題が発覚したのは、晴信が知行宛行状のとおり、旧領が回復されなかったことを正純に問い合わせたからである。

 詐欺を行った大八が捕らえられると、彼の口から晴信が長崎奉行・長谷川左兵衛の暗殺を計画したことが暴露された。その結果、金品を騙し取った大八は火刑に処され、晴信は甲斐国に配流された。これが岡本大八事件の経緯である。

 事件の首謀者だった大八と晴信の2人はキリシタンだったので、家康はキリスト教を危険視するようになったのである。岡本大八事件をきっかけにして、家康はキリスト教の禁止に大きく舵を切った。

 当時、国内には約37万人ものキリスト教徒がいたといわれ、いつ幕府に反旗を翻すかもしれず、とても無視できない状況になっていた。慶長17年(1612)3月以降、家康はキリスト教禁止を明確に宣言し、まず駿府における摘発に乗り出した。

 やがて、禁教の波は各地に広がり、諸国に通達された。この間、キリスト教の教会は破却され、諸大名にキリシタン武士を抱え置くことを禁止した。しかし、京都所司代・板倉勝重らの慎重論によって、一時は沈静する方向で進んだ。

 沈静した理由は、ポルトガルとの貿易という現実的な問題だったが、のちに家康は禁教に大きく舵を切った。そうした意味で、岡本大八事件は大きな意味を持ったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事