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【深掘り「どうする家康」】お市の方と松平元康が幼い頃に会うことがありえない理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長の妹・お市の方と松平元康との幼い頃の場面があった。2人が本当に会った可能性があるのかについて、深掘りすることにしよう。

 織田信長の妹・お市の方の誕生年は、天文16年(1547)とされている。永禄4年(1561)の時点では15歳(数え年)である。一方、松平元康の誕生年は天文11年(1543)なので、このとき19歳(同)である。元康のほうが4歳上である。

 年齢的には似合いのカップルであるが、元康にはすでに瀬名(築山殿。今川家の家臣。関口氏純の娘)という妻がいた。元康が瀬名を娶ったのは、今川氏と同盟関係を結ぶための政略結婚だった。なお、お市の方は独身である(のちに浅井長政と結婚)。

 天文16年(1547)、元康は人質として今川氏の本拠の駿府に行く予定だったが、戸田康光の裏切りによって、尾張国の織田信秀のもとに送られた。以降、元康は人質の交換で駿府に向かうまで、約2年間を尾張国で過ごすことになった。

 尾張国での元康は、加藤順盛が支配する熱田(名古屋市熱田区)の屋敷で過ごしたという。とはいえ、当時における元康の人質生活をうかがわせる史料はない。ドラマでは、元康が織田信長から散々に虐げられていたが、もちろんそんな記録もない。大事な人質だったので、ありえないだろう。

 では、元康は信長と会ったことがなかったのかといわれれば、確証を得ない。会った可能性は決してゼロとはいえないだろう。それは、当時生まれたばかりのお市の方についても、同じことが言えよう。

 ドラマでは、幼いお市の方と元康の回想シーンがあり、淡い初恋物語を描いていたが、お市の方の誕生年を考慮すると、それはあり得なかったと断言できる。せいぜい元康は、生まれたばかりのお市の方を見たにすぎないだろう。

 つまり、ドラマでは幼いお市の方と元康との淡い初恋の場面が披露されていたが、それはあり得ないということになろう。ドラマ上の演出に過ぎないのである。

 では、ドラマで信長がお市の方に元康との結婚を命じていたが、それがありえたのかと問われれば、ちょっと難しい。信長と元康は関係性を強めたかったので、決してゼロだったとは言えないとだけ申し上げておこう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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