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【先取り「どうする家康」】配役決定!明智光秀は狡猾なワルで、織田信長のイエスマンだった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀。(提供:アフロ)

 2023年1月から放映される大河ドラマ「どうする家康」の配役が報道されていた。今回、明智光秀を演じるのは、酒向芳さんである。失礼ながら、どことなく癖がある個性派俳優だ。

 2020年に放映された大河ドラマ「麒麟がくる」では、イケメン俳優の長谷川博己さんが光秀を演じていたのだから、随分と方向転換したものである。

 光秀の画像は、大阪府岸和田市の本徳寺に所蔵されたものが唯一である。この画像も写真ではないので、どこまで光秀に似ているのかわからない。一見すれば、力強い印象は乏しく、ひ弱でなよなよしたイメージが残る。ひ弱な印象が残るのは、光秀が連歌などに通じた教養人というイメージがあるからだろう。

 ちなみに、光秀の生年は不詳である。本能寺の変の頃の光秀は50代~60代だったと考えられるので、晩年の光秀ならば、長谷川博己さんよりも酒向芳さんの方が適任かもしれない。

 光秀の性格を記した史料としては、フロイスの『日本史』がある。『日本史』は光秀について、「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」、「裏切りや密会を好む」、「刑を科するに残酷」というマイナス評価を与えている。これが事実ならば、われわれの光秀のイメージは覆ってしまう。

 フロイスの話を裏付けるように、光秀は天正7年(1579)に丹波の八上城を攻撃した際、徹底的に敵の波多野氏の将兵を討ち取るよう、配下の者に命じた。城から逃げ出した敵兵は、光秀の命により撫で斬りにされたといわれている。

 一方で、光秀は領民のことを考え、災害を防ぐべく堤防を構築したとか(これは伝承で誤り)、年貢を減免したといわれている。後者を実行した理由は、領民が苦しんでいるのに年貢を減免しなければ、他領に逃げられてしまうからだろう。つまり、光秀の優しい性格というよりも、政策上必要だったということになる。

 光秀は連歌に興じる教養人でもあったが、敵と戦うときは冷酷なまでに完膚なきまでに叩き潰した。一方、領国支配に際しては、年貢の納入に困難を来した領民が他領に逃げないよう、年貢減免の配慮を行った。光秀は有能であるがゆえに、織田信長に登用されたのはたしかである。

 その有能さとは「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」という『日本史』の記述のとおり、光秀は信長のイエスマンだった可能性がある。

 上の者からすれば、何でも言うことを聞く下の者をかわいがるわけである。光秀はそれゆえ、信長に重用されたのだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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