【深掘り「鎌倉殿の13人」】源実朝が疱瘡を患った結果、どんな影響があったのか
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今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では源実朝が疱瘡に罹り、顔に痕が残ってしまった。その影響について、詳しく掘り下げてみよう。
■源実朝、疱瘡に罹る
承元2年(1208)2月、鶴岡八幡宮で神楽が催された。理由は、源実朝が疱瘡に罹ったからである。むろん、実朝は医者の診察を受けただろうが、当時は神仏の加護にすがるよりほかはなかった。医者には、高度な医療を期待できなかったからである。
神楽を行うに際しては、大江広元が使いとして神拝を行い、実朝の妻も参宮した。しかし、実朝の病はなかなか癒えず、心配した御家人が鎌倉に殺到するありさまだった。実朝が平癒したのは、同年2月19日のことである。
ところが、同年閏4月、実朝は再び病に罹った。病名は不明である。平癒までには約2週間もの時間を要した。翌5月、実朝は鶴岡八幡宮に法華経を奉納して、平癒したことに感謝した。
■疱瘡とその影響
疱瘡とは、どのような病気なのだろうか?疱瘡とは天然痘の別称とされ、痘瘡ウイルスの感染で起こる悪性の伝染病だった。全身に小水泡ができて、高熱にうなされたので、最悪の場合は死に至ることがあった。
実朝の場合は運良く治ったが、後遺症として痘痕(あばた)が残ってしまったのである。ドラマでは実朝が気にして、盛んに痕を触っていたのは、そのためである。
病が癒えたあと、実朝は以後3年間にわたって、鶴岡八幡宮の参拝を取り止めたという。顔の痘痕を気にしていたからだった。参拝は単なるお参りではなく、将軍としての重要な公的行事だったので、その影響は計り知れないものがあった。
■まとめ
一説によると、実朝が参拝を中止した約3年間は、精神的な問題で政務を執り行えなかったとさえいわれている。
とはいえ、以後も実朝は順調に官位が昇叙しており、ことさら精神状態が不安定だったという記事も見られない。おそらく、病による深刻な悪影響はなかったのだろう。