源実朝を暗殺したのは公暁だが、背後には指示した黒幕がいたのか
NHK「歴史探偵」で3代将軍の源実朝の特集を行っていた。実朝を暗殺したのは公暁だが、背後には指示した黒幕がいたのか、詳しく掘り下げてみよう。
■源実朝の暗殺
建保7年(1219)1月27日は、雪が60cmほど積もっていた。源実朝は、鶴岡八幡宮で拝賀を終えると、待ち構えていた公暁(源頼家の子)によって殺害された。公暁は、「親の仇」と叫び、ことに及んだという。
実朝を殺害した公暁は、そのまま供奉していた御剣役の源仲章を殺害した。当初、北条義時が御剣役を務める予定だったが、体調不良によって仲章に交代していた。仲章にとっては、誠に不運なことだった。
『愚管抄』によると、公暁は実朝の次に義時を殺すつもりだったと書かれている。公暁は義時が役目を交代した事実を知らなかったので、当てが外れたということになろう。
実朝の首は公暁が持ち去ったといわれているが、その日のうちに公暁は討たれたと伝わっている(実朝の遺骸の件は諸説あり)。『吾妻鏡』には実朝が殺害される予見があったと書かれているが、にわかに信じがたい。創作であろう。
■黒幕は誰か?
実朝暗殺を記す史料は『吾妻鏡』などがあるが、素直に読む限り、黒幕がいたとは考えにくい。公暁が討つとするならば、頼家を葬り去った北条義時になろうが、実朝は巻き添えになったのだろうか。謎は尽きない。
とはいいながらも、昔から実朝暗殺の黒幕説は提示されてきた。北条義時、三浦義村は代表的な黒幕候補であるが、北条氏と三浦氏ら御家人による共謀説もある。近年では、幕府の撲滅を願う後鳥羽上皇が黒幕だったとの説すらある。
実朝暗殺を記した史料は、『吾妻鏡』などの二次史料に限られており、黒幕を探るのは難しい。それぞれの史料には執筆意図があり、バイアスが掛かっているので、書かれたことを鵜呑みにできないのだ。
■まとめ
実朝の政治手腕の評価には諸説あるが、実質的に支えていたのは義時ら有力御家人だった。実朝が暴君だったなどとは思えないので、この段階で義時らが排除する理由が明確ではない。
あえて彼らがリスクを冒すとは考えられず、父の頼家の仇(義時か?)を討とうとした公暁が誤って実朝、仲章を殺害した可能性もあろう。