【深掘り「鎌倉殿の13人」】源頼家が僧侶を捕らえ、人々から失笑された逸話
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の29回目では、源頼家が僧侶を捕らえる場面があった。この話について、詳しく掘り下げてみよう。
■僧侶の場面の振り返り
最初に、僧侶が捕らえられた場面を確認しておこう。
西国から「念仏さえ唱えれば助かる」と民衆に説く僧侶が鎌倉にやってきたが、不埒であると捕らえられた。頼家は、僧侶をただちに斬り捨てるよう指示した。
しかし、北条時連は「民衆が念仏僧をありがたく思うのは、生活が苦しいから」だと助命を嘆願した。この言葉に対して、頼家は不機嫌になるが、時連は重ねて「念仏僧を斬ると、子孫にも災いが起きる」と説得した。
面倒になったのか、頼家は僧侶を鎌倉から追放するように命じた。時連は義時の異母弟で、当時は頼家に仕えていた。のちに連署を務めるなど、有能な人物として知られている。
■『吾妻鏡』の逸話
『吾妻鏡』正治2年(1200)5月12日条には、似たような話を載せる。この日、頼家は僧侶が斬る黒衣を問題視し、念仏を禁止したのである。なぜ頼家が黒衣を問題視したのか、詳しい理由は書かれていない。
念仏僧を捕縛するよう、頼家から命じられたのは比企弥四郎(時員:能員の子)である。早速、時員は念仏僧を捕縛すると、次々と袈裟(黒衣)を剥ぎ取って、政所の橋の近くで焼いたのである。
念仏僧の一人・称念房は、黒衣を燃やす時員に「束帯と袈裟(黒衣)は同じ黒色であるが、なぜ黒衣の着用を禁止するのか」と問い掛けた。至極、当然の疑問である。
続けて称念房は、「今の政治は、仏の道にも道理にも外れた滅亡の元凶である。袈裟(黒衣)は正しい道をあらわしたものなので、焼くことはできないだろう」と申し述べた。
結局、袈裟を焼くことはできず、称念房は再び袈裟(黒衣)を着ると、いずこへと去っていったという。その後、念仏禁止は取り止めとなり、頼家は世の笑い者になったというのである。
■まとめ
『吾妻鏡』は、北条氏の関係者が編纂に関係した。その点を考慮すると、無能な頼家が意味もなく念仏を禁止するという誤った判断をし、大恥をかいた愚かな武将として描いたと思われる。
それを手助けしたのが、比企能員の乱で滅亡した比企一族の時員だ。事実か否か不詳であるが、作為を感じる話である。