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【深読み「鎌倉殿の13人」】比企能員が妻とニンマリした深い理由を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
鎌倉時代において、有力者と婚姻を通して関係を結ぶのは重要だった。(写真:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の13回では、比企能員と妻が顔を合わせてニンマリしていた。二人がなぜニンマリしていたのか、深く掘り下げてみよう。

■恐るべし!比企一族!

 そもそも比企氏は、武蔵国比企郡に勢力基盤を置いた豪族である。藤原秀郷の末裔であるといわれているが、その詳しい系譜は決して明らかにされていない。

 大河ドラマでは、比企尼が登場するが、夫の比企掃部允は影が薄い(ドラマには出てこない)。なお、比企能員は比企尼の実子ではなく、養子である(比企尼の甥)。

 永暦元年(1160)、前年の平治の乱で敗れた源頼朝は、伊豆へと流された。その際、比企尼は夫とともに武蔵国に移り住み、頼朝へと仕送りをし続けた。

 比企尼が頼朝に仕送りを行ったのは、乳母だったからである。乳母は単に子守をするだけでなく、養育した子に生涯にわたって大きな影響力を持った。比企氏が台頭した要因は、比企尼の存在があったからだ。

 たとえば、比企尼の長女の丹後内侍は惟宗広言との間に島津忠久をもうけたが、のちに頼朝の側近・安達盛長と再婚した。盛長が頼朝の側近になったのは、比企尼の影響だろう。

■比企氏と有力者の関係

 比企尼の次女は武蔵国の河越重頼の妻となり、間に授かった娘は、源義経の妻(郷御前)となった。比企尼の三女は伊東祐清の妻となったが、死別後は平賀義信と再婚した。平賀氏も有力な源氏の一族である。源範頼の妻は、安達盛長の娘だった。

 そして重要なことは、能員が頼家(頼朝の嫡男)の乳父になったことだった。のちに比企の乱が勃発するが、その原因は能員が頼家の乳父だったので、鎌倉幕府内で大きな発言権を持ち、北条氏と対立したからだった。

 つまり、比企尼と比企能員は、自身の娘を源氏の一族や有力な豪族に輿入れさせたり、あるいは乳父を務めたりすることで、大きな発言権を持つようになった。能員が頼家の乳父を務めたのは、ダメ押しだった。

 【比企一族の関係図】

 ☆比企尼 ― 源頼朝の乳母。       

 ☆比企能員 ― 源頼家の乳父。

 ◎比企尼の長女 ― 安達盛長の妻。   

 ◎盛長の娘   ― 源範頼の妻。

 ◎比企尼の次女 ― 河越重頼の妻。

 ◎重頼の娘   ― 源義経の妻。

 ◎比企尼の三女 ― 平賀義信の妻。

■むすび

 比企能員が妻とニンマリした理由は、その一族縁者の娘が次々と源氏の一族や有力豪族に輿入れすることが予想できたからだった。その点で、頼朝の乳母を務めた比企尼の存在というのは、実に大きかったといえよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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