大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、北条氏がキーマンである。かつては伊豆の小豪族といわれた北条氏ではあるが、実際はどうだったのか考えることにしよう。

■北条氏邸とは

 鎌倉幕府の執権だった北条氏の館(北条氏邸)は、静岡県伊豆の国市にその跡が残っている。現在は、国指定史跡である。

 北条氏の本拠地である北条氏邸跡は守山に位置し、鎌倉時代には「伊豆北條」と称されていた。守山の北西側には館が建てられ、東側に氏寺の願成就院が建築された。

 12世紀末に源頼朝が平氏を打倒すると、北条時政は幕府の成立時から運営に関与し、重要な立場にあった。時政は3代将軍・実朝の頃、幕府のナンバー2である執権に就任した。

 そもそも執権は政所のトップだったが、やがて将軍を補佐する立場となり、政務を統括するようになった。さらに北条氏は、執権の座を世襲することになった。

 北条氏は伊豆に本拠があったものの、幕府が鎌倉にあったので拠点を移した。しかし、北条氏は北条の地を決して忘れたわけではなく、北条氏邸はその後も維持された。

■鎌倉幕府滅亡後の北条氏邸

 元弘3年(1333)に鎌倉幕府が滅亡すると、北条氏一族も運命をともにした。鎌倉にいた北条一族の妻や娘たちは、伊豆の北条氏邸に戻った。

 その後、北条氏一族の円成尼が中心となって、寺院を北条氏邸の跡に建て、滅亡した一族の冥福を祈った。この寺院こそが円成寺で、尼寺として江戸時代まで続いた。

 平成4・5年(1992・93)の両年にわたって、北条氏邸の発掘調査が行われた。発掘の結果、北条氏邸から平安時代末から鎌倉時代にかけて、おびただしい量の遺物が見つかった。

 それだけでなく、ほかの遺跡でj例がないほどの中国産の陶磁器片が大量に出土した。これにより、北条氏が単なる「伊豆の小豪族」とはいえなくなったのである。

■むすび

 北条氏といえば、伊豆のローカルな小豪族というイメージが強い。しかし、北条氏邸の発掘結果によって、そのイメージは崩れつつある。