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【戦国こぼれ話】大坂冬の陣の博労ヶ淵砦で豊臣方が負けたのは、薄田兼相のありえない理由が原因だった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
薄田兼相は、大坂冬の陣で大失態を演じた。(写真:アフロ)

 10月といえば、慶長19年(1614)の大坂冬の陣である。豊臣方の薄田兼相は、考えられない理由で出陣を失念したので、豊臣方は博労ヶ淵砦で大敗北を喫した。そのありえない理由とは。

■薄田兼相とは

 薄田兼相は、大坂冬の陣で豊臣方に与した牢人衆である。「隼人正」と称したので、兼相というよりも「薄田隼人」のほうが知られているだろう。彼の経歴は、実にユニークである。

 兼相は、小早川隆景に仕えた薄田重左衛門の子といわれているが、生年は不詳。出身地も山城国または筑後国とされており、出自に不明な点が多い。まさしく謎の人物だ。

 兼相は諸国を修行し、鞍馬八流を体得した。剣術や気合の術に優れていた所以である。旅の間、兼相は狒々(老いた猿の妖怪)を退治や仇討ちをするなどの逸話を残している。

 兼相はたくましい肉体を誇り、大きな刀を自由に操ったと伝わっている。しかし、それは伝説の人物・岩見重太郎の話であって、史実ではない。

■その後の兼相

 慶長2年(1597)に主の小早川隆景が亡くなると、兼相は牢人生活を送ったといわれているが、それは誤りであると指摘されている。

 翌年1月、兼相は伏見の様子を知らせるため、朝鮮蔚山に出兵中の浅野幸長に書状を送った(『浅野家文書』)。つまり、兼相は豊臣家に仕官しており、牢人ではなかった可能性が高い。

 その事実を裏付けるかのように、『慶長十六年禁裏御普請帳』という史料には、兼相が秀頼の家臣(大坂衆)として、3000石を知行していたと記されている。

 つまり、慶長3年(1598)8月の秀吉没後も、引き続き豊臣家に仕官したことになる。従来、兼相は牢人だったといわれてきたが、その点は訂正する必要があろう。

■兼相が大坂冬の陣で演じた大失態

 これまで兼相は豪傑であるといわれたが、大坂の陣での活躍が認められない。強調されるのは、大失態ばかりである。

 慶長19年(1614)に大坂冬の陣がはじまると、兼相は牢人衆を率いて、博労ヶ淵砦の守備を任された。

 博労ヶ淵砦は大坂城の西に位置する重要な地点だったので、兼相は大きな期待を寄せられていた。

 ところが、その期待はあっさりと裏切られてしまう。同年11月29日、博労ヶ淵砦が蜂須賀至鎮に攻撃されると、あっという間に落とされてしまったのだ。

 その理由は、ありえない衝撃的なものだった。兼相は戦いの前日から遊女屋に通っていたため、戦いに負けたという。

 大将がこの調子だったので、万全の守備ができていなかったのだ。兼相の遊女屋通いは、大失態といわざるを得ない。

 それゆえ兼相は、「橙武者」と揶揄された。「橙武者」の意味は、「橙が酸味が強くて、正月飾りにしか使えず見かけ倒し」という意味から、転じて立派な体格をして武勇の優れた兼相も「見かけ倒し」だったということになろう。

 ただし、兼相が遊女屋へ行っていたという事実は、たしかな史料では裏付けられない。また、「橙武者」というのは『大坂陣山口休庵咄』に書かれているが、豊臣方の不甲斐なさを表した表現に過ぎないだろう。

■さらなる兼相の失態と最期

 兼相の失態は、翌年の大坂の陣(夏の陣)でも続くことになる。慶長20年(1615)5月6日の道明寺の戦いで、兼相は先に出陣した後藤又兵衛に続き、戦地に到着する予定だった。

 しかし、当日は濃い霧で進軍が困難だったため、兼相が到着したとき、すでに又兵衛は伊達政宗らの軍勢と戦い戦死していた。

 とはいえ、これは濃霧という不測の事態と考えるべきであろう。その後、兼相は水野勝成の軍勢と戦い、勝成の家臣・河村重長に討ち取られた。

 ところが、本多・伊達両氏の家譜には、兼相の首を取ったのは、それぞれに自分の家臣であると記載されている。

 大坂夏の陣後、兼相は薩摩国へ逃亡したとの説もあるが、それは単なる創作に過ぎない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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