Yahoo!ニュース

徳川家康が一番ほくそ笑んだ瞬間は… 関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返った武将4選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康は、西軍武将を東軍に寝返らせて勝利を手にした。(提供:アフロ)

 9月15日と言えば、慶長5年(1600)に勃発した「天下分け目」の関ヶ原合戦。東軍を率いた徳川家康は見事に勝利を手にしたが、その背景には西軍から東軍に寝返った武将の存在があった。そのうち、もっとも重要な4人を挙げることにしよう。

■小早川秀秋(1582~1602)

 天正10年(1582)、小早川秀秋は木下家定の子として誕生した。その後、豊臣秀吉の養子となり、文禄3年(1594)に小早川隆景の養子に迎えられた。関ヶ原合戦直前には、筑前・筑後に59万石を領していた。

 関ヶ原合戦がはじまると、秀秋は西軍に与して東軍方の伏見城を攻撃したが、それは本意でなく、心は東軍の家康にあったという。しかし、以後も秀秋は西軍の一員として行動をともにした。

 この間、東軍の黒田長政らは秀秋を東軍に引き入れるべく、説得を行っていた。その効果があったのか、合戦の前日の9月14日、秀秋は東軍に与するべく、徳川家康と起請文を交わしたのである。

 合戦当日、秀秋は家康が放った「問鉄砲」によって松尾山を駆け下り、西軍の陣営に攻め込んだというが、誤りである。実際には前日に家康と起請文を交わしていたので、当日は朝から東軍の一員として出陣したのだ。

 なお、秀秋は大谷吉継の亡霊に悩まされて狂死したというが、これも嘘。秀秋は大変な大酒飲みで、重度のアルコール中毒によって亡くなったという説が有力である。

■吉川広家(1561~1625)

 永禄4年(1561)、吉川広家は元春の子として誕生した。その後、兄が早逝したので、吉川家の家督を継いだ。元春と小早川隆景が亡きあとは、安国寺恵瓊らとともに毛利氏を支えた。

 合戦が近づくと、広家は東西両軍の有力武将と連絡を取り、いずれに与するのか態度を明らかにしなかった。恵瓊が完全に西軍の首脳として活躍していたので、そのスタンスは明らかに違う。

 広家が東軍に属する決め手になったのは、黒田如水・長政父子の説得である。広家は東軍有利と判断し、主の毛利輝元を説得。合戦前日に、東軍に属したのである。合戦当日、毛利方の軍勢は一歩も動かず、西軍は大敗北したのである。

 戦後、毛利氏の悪事が露見して改易されそうになったとき、広家は自身に与えられるはずだった所領を返上し、惣領家の存続を願ったというが、これは疑問視されている。広家は、毛利氏の改易の責任をすべて安国寺恵瓊の独断専行にあるとし、罪を擦り付けた。

■毛利輝元(1553~1625)

 天文22年(1553)、毛利輝元は隆元の子として誕生した。祖父の元就が亡くなったあと、父が早く亡くなっていたので、毛利氏の家督を継承した。

 そもそも輝元は「反徳川家康」の急先鋒だったが、全面対決に臨むことはなかった。ところが、石田三成が家康に反旗を翻すと、早々に大坂城へ入って総大将となる。同時に、伊予や阿波へ侵攻し、領土拡大の動きを見せていた。

 しかし、輝元は吉川広家の勧めもあり、合戦の前日に所領の安堵などを条件とし、家康と起請文を交わした。こうして毛利氏は助かったように見えたが、そうではなかった。先述した伊予などへの侵攻を家康に咎められ、長門・周防に約30万石まで減封されたのである。

 輝元は合戦の最前線に出て戦うだけの度胸もなく、何事も人任せであり、天下を取るという気概もなかった。そういう気質だったので、老獪な家康に屈したのは当然だったとの指摘がある。

■脇坂安治(1554~1626)

 天文23年(1554)、脇坂安治は安明の子として誕生した。安治は羽柴(豊臣)秀吉に仕え、関ヶ原合戦の直前には、淡路に3万3千石を領していた。

 合戦の直前、安治は心ならずも西軍に与することになった。安治は徳川家康に書状を送り、東軍に与しようとしたが、石田三成に妨害されたことを伝えている。家康は、安治の真意を汲み取ったようだ。

 合戦当日、安治は西軍を裏切って、東軍に与して戦った。家康はあらかじめ安治から書状を受け取っていたので、処罰することはなかったのである。

■まとめ

 東軍が勝利したのは、多数派工作の成功や西軍からの裏切り大名がいたからであるが、輝元は悪事が露見して減封、秀秋は酒の飲み過ぎで病没。その後の人生は、悲喜こもごもだったようだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

渡邊大門の最近の記事