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【戦国こぼれ話】戦国時代の使者は、いったいどういう役割を果たしたのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
戦国時代の書状は右筆が書き、使者が相手のもとに持参することが多かった。(提供:R_design/イメージマート)

 いよいよ国内では、東京オリンピックの聖火リレーがはじまった。聖火リレーは古代ギリシャのオリンピックからあり、「平和の使者」として休戦を各地に告げたという。戦国時代にも使者がいて、さまざまな情報伝達を行った。書状と交えて使者の役割を考えてみよう。

■書状とは

 電話や電子メールがなかった戦国時代において、情報伝達の手段は書状がスタンダードなものだった。使者による口頭報告だけでは相手が信用しないので、大名当主の書状が必要だったという事情もある。

 書状には本文のほか、日付、大名当主の署名と花押(サイン)、宛先が書かれている。花押は本人であることの証拠だった。本文は比較的簡潔なもので、末尾には「詳しいことは、〇〇(使者の名前)が申します」と結ばれることがある。なお、書状は大名自身が書くことはまれで、右筆が書くものだった。

 書状の本文は簡単に用件を記し、詳しい中身は使者が口頭で説明することもあった。理由は、書状のスペースに限度があること、機密情報をすべて書くことが憚られたこと、などの理由が考えられる。なお、密書の場合は、小切紙という縦横それぞれ10数cmの小さな紙に書かれることもあった。

■関ヶ原合戦における書状

 次に、いくつかの書状を見ることにしよう。いずれも慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦に関わるものである。同年6月15日、前田玄以、長束正家、増田長盛の3人は、尾張の兼松又四郎に書状を送った。内容は、上杉景勝を討伐すべく、会津に出陣する件について、3ヵ条にわたって伝えたものだ。

 1ヵ条目では、会津出陣の日取りを7月10日以降に定めている。2ヵ条目では、徳川家康が定めた軍法に従うよう命じた。3ヵ条目では、出陣に際しての兵糧を準備したことを伝えた。家康が大坂を発って、会津に向かったのは翌日の6月16日のことである。

 同年7月晦日の石田三成書状は、上田城(長野県上田市)の真田昌幸に宛てたものだ。同年7月17日、三成らは「内府ちがいの条々」を各地の大名に送り、決起した。この書状は昌幸に対して、味方になるよう依頼したものである。

 同時に、景勝に交渉ルートを持たなかった三成は、昌幸に仲介を依頼した。末尾には、使者による口頭報告のある旨が記されている。

 同年9月7日、家康は京極高次に書状を送った。内容は高次が三成から離反したことを知ったとしたうえで、自身と子の秀忠の計画を伝えた。こちらも、使者が詳しいことを伝える旨が付記されている。この頃、高次は大津城(滋賀県大津城)に籠城し、西軍を迎え撃っていた。

 このように書状で情報の伝達が行われたものの、実際には使者が相手のもとに赴き、口頭で説明を行うことがあったのだ。

■使者の役割

 先述のとおり、使者が実際に書状を持参して、口頭で説明することがあった。使者のことを奏者ともいう。単に飛脚に書状を届けさせるだけでなく、使者に詳細を説明させるのである。また、書状は僧侶などに託して、相手に届けることもあった。

 使者の身分はさまざまであるが、大名当主からの厚い信頼を得ていたことは事実である。というのも、伝える内容は重要な機密事項であるから、当然のことといえよう。

 同時に、大名間の種々の交渉は、当主が直々に行うのではなく、取次が担当した。取次は交渉窓口だった。したがって、取次が使者になることも珍しくなかった。

 毛利氏の政僧・安国寺恵瓊は、織田氏、豊臣氏との交渉にたびたび派遣された。僧侶は政治ブレーンとして大名に仕え、重要な場面で交渉役を務めた。

 天正10年(1582)6月以降、毛利氏は中国地方の領土画定をめぐって、羽柴(豊臣)秀吉と交渉していた。難しい交渉は、恵瓊のような熟練したネゴシエーターにしかなしえなかったのだ。

 同年6月に本能寺の変が勃発した際、毛利方の使者は「信長死す」の一報を備中高松城(岡山市北区)の近くに陣した、毛利氏本陣に伝えようとした。

 しかし、使者は誤って秀吉の本陣に行ってしまい、捕らえられたうえに、信長が死んだこともばれてしまったというエピソードがある。これは、史実と認めがたいだろう。

 このように平時のみならず、合戦における使者の役割は非常に重要だった。それゆえ大名当主は、身分の上下を問わず、もっとも信頼できる者を派遣したのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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