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【戦国こぼれ話】文禄の役で行われた人間の拉致・監禁・連行。戦場における略奪行為と秩序の崩壊

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉は文禄の役で乱取りを禁止したが、戦場では普通に行われていた。(提供:アフロ)

 滋賀県で高校生が男性を殴り、拉致監禁して身代金を要求するという事件があった。今から約400年前の文禄元年(1592)に勃発した文禄の役において、人間の拉致・監禁・連行が行われた。以下、その実態を確認することにしよう。

■佐竹氏家臣による拉致・監禁・連行

 文禄の役の際、豊臣秀吉は「乱取り」(戦場での人やモノの略奪)を禁止した。しかし、いざ朝鮮半島で戦いがはじまると、秀吉の命令は無視され、雑兵は「乱取り」に夢中になった。

 文禄元年(1592)、日本軍が朝鮮半島に上陸すると、佐竹氏の家臣・平塚滝俊が肥前名護屋城(佐賀県唐津市)で留守を務める小野田備前守に宛てて書状を送った。この書状は、岩沢愿彦(いわさわ よしひこ)氏が紹介したものである(「肥前名護屋城図屏風について」)。

 平塚滝俊の生没年や出身地は不明であるが、佐竹氏家臣団の中では、中級クラス以上の地位にあったと考えられている。書状の概要を次に示しておきたい。

高麗で2・3の城を攻め落とし、男女を生け捕りにして、日々を送ってきた。(朝鮮人の)首を積んだ船があるようだが、私は見たことがない。男女を積んだ船は見た。

 首が秀吉のいる肥前名護屋城に送られたのは、出陣した武将が軍功を認めてもらうためである。いわゆる首実検であった。おそらく船が満杯の状態で運ばれたのであろうが、実におびただしい分量になったことが看取される。これだけの分量になると、本当に正しい検分ができたのかどうか、非常に疑問である。

■残酷な耳削ぎや鼻削ぎ

 参考までにいうと、首は重たかったので、のちに首でなく耳や鼻が持ち帰られた。それを供養したのが耳塚(鼻塚)であり、京都市東山区の豊国神社前にある。

 ところで、耳や鼻を削いで持ち帰る際、日本軍により残酷な行為が行われていた。慶長4年(1599)10月に泗川新城で戦いが行われると、島津軍が明・朝鮮の連合軍の兵を3万3千7百人討ち取り、城の外に大きな穴を掘って埋めたという。そして、その死体から鼻を削ぎ取り、塩漬けにして日本に送ったのである(『島津家記』)。

 加藤清正の部将・本山豊前守の手になる『本山豊前守安政父子戦功覚書』には、男女や生まれたばかりの赤ん坊も残らず撫で切りにし、鼻を削いで毎日塩漬けにした、と記されている。もはや戦闘員・非戦闘員を問わず、鼻をどれだけ獲ることができたのか競った感がある。その数は、一度に2・3万に及んだこともあった。

■生け捕った人々

 問題になるのが、朝鮮半島で生け捕った男女も船で肥前名護屋城に送られたことであった。これは、先に提示した秀吉の「乱取り」禁止の方針と相反する行為である。秀吉の意向とは裏腹に、現地では日本の慣習にならって、「乱取り」が行われた。

 実のところ、各大名にとって朝鮮への出兵は、多大な経済的な負担であった。第一に、多くの軍兵が動員されたうえに、半農半兵の土豪たちも出陣を余儀なくされた。出陣は長期間にわたったので、必然的に農業の担い手を失うことになる。同時に、農地が放棄される状態にあったのである。

 とりわけ捕らえられた人々は、老人、女、子供が多かったという。彼らは屈強な男性とは異なり、反抗することが少なかったと考えられ、奴隷としては最適であった。

■崩壊した秩序

 雑兵たちにとっての戦争は、極端に言えば勝ち負けが問題ではなく、いかに戦利品を得るかが重要であった。そうなると、秀吉の「乱取り」禁止の指示をまともに聞いていれば、何ら見返りのない「ボランティア」になってしまう。実際、略奪は多くの大名が黙認し、幅広く行われていた。

 文禄2年(1593)に推測される8月23日付の石田三成覚書によると、三成は薩摩島津氏に対して種々の命令を伝えているが、その中に船を使って乱妨・狼藉を働かないように指示を行っている(「島津家文書」)。こうした指示が与えられるところを見ると、そうした行為が実際に行われており、島津氏は黙認していたのであろう。

 同様の事例は、普州城で戦っていた加藤清正軍にも見られる。この場合は、清正に知られないようにして、配下の武将が雑兵たちに略奪行為をさせたという。もはや秩序は崩壊していた。

 人間の拉致・監禁・連行という行為は決して許されないが、戦国・織豊時代の戦争では、国内外を問わず幅広く行われていたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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