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【戦国こぼれ話】羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀が対決した山崎の戦い。その経過を紐解いてみよう

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
新緑と大山崎山荘美術館。この近くで山崎の戦いが行われた。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 最近、山崎の戦いの古戦場碑のある天王山夢ほたる公園(京都府大山崎町)には、ラッピング自動販売機が置かれた。羽柴(豊臣)秀吉や明智光秀のキャラクターが描かれているのが人気とか。大河ドラマ「麒麟がくる」では描かれなかったが、山崎の戦いがどういう経過をたどったのか確認しよう。

■羽柴(豊臣)秀吉「中国大返し」で帰還

 天正10年(1582)6月2日未明、織田信長が明智光秀に宿所の本能寺を襲撃され、横死した。その一報を受けた羽柴(豊臣)秀吉は、備中高松城(岡山市北区)の攻撃を中断し、ただちに毛利氏と和睦した。その後、秀吉は「中国大返し」によって、京都に迫ったのである。

 そして、同年6月12日に秀吉軍は尼崎を出発し、摂津富田(大阪府高槻市)に着陣した(「金井文書など」)。秀吉はことが順調に進んだだけに、意気揚々としていたに違いない。

 秀吉は、摂津富田で織田信孝との合流を待つことになった。ここまでの功績は秀吉にあったが、あくまで総大将は信長の3男の信孝だった。当時の秀吉は、織田家の家臣にすぎなかったのだ。

 摂津富田は、秀吉に味方した高山右近と中川清秀の居城である高槻城(大阪府高槻市)や茨木城(同茨木市)とも近く、彼らと連携がとりやすかった。なお、右近と清秀は、光秀の援軍要請を断ったという。

 しかも、摂津富田から山崎(京都府大山崎町)までは約10キロメートルと適度な距離があり、秀吉に有利な条件が揃っていた。摂津富田は秀吉にとって、絶好の場所だったのだ。

 前日の軍議で、秀吉は高山右近を先陣に決定しており、早速、山崎に陣を取るように命じた。すでに、大山崎には禁制が発布されており、あからさまな軍事行動は困難だった。右近の着陣は混乱を避けるため、山崎の西国街道筋の公道に沿って行われたという。

■秀吉軍が大山崎に着陣

 秀吉軍が摂津富田を出発して、山崎に着陣したのは同年6月13日の昼頃だった。山崎で、信孝は秀吉軍と合流したのである。こうして、秀吉軍の臨戦態勢が整った。

 一方の光秀は下鳥羽(京都市伏見区)を出陣し、天王山と淀川に挟まれた交通の要衝地、山崎で秀吉を迎え撃つことにした。すでに6月12日の時点で、秀吉軍と光秀軍の小競り合いがあった(『兼見卿記』)。

 光秀が率いる軍勢は、近江衆などの援軍を加えても、約1万3千だったという(8千~1万という説もある)。一方の秀吉軍は約4万といわれていたので、光秀は数字の上では圧倒的に不利だった。

■戦いの開始

 信孝の号令により筒井順慶が出撃し、山崎の戦いは開始した。夜になると、光秀軍が秀吉軍を攻撃してきたため、これに対して反撃を行った。戦況は詳しくわかっていないが、秀吉軍が有利だったのは間違いない。

 摂津衆の高山右近、中川清秀、池田恒興は地元の地理にも詳しく、秀吉方に戦いは有利に進んだ。秀吉軍が中国大返しにより、疲労困憊していた可能性もあり、摂津衆が活躍したのが勝因だった。

 こうして秀吉軍は、たちまち光秀軍を敗北へと追い込んだのである。当時の記録によると、光秀軍が「即時に敗北」とあることから、短時間かつ秀吉軍の圧倒的な勝利であったと考えられる。

■逃走した光秀

 敗北した光秀軍は、勝竜寺城(京都府長岡京市)へ逃げ帰ったが、そこも秀吉方の軍勢に包囲されて即座に脱出した。光秀が連れたお供の数は、数人から十数人という少なさだった。

 光秀軍の一部は京都に流れ込み、大きな混乱を招くことになる。牢人が住人に危害を加える可能性があった。京都に流れ込んだ敗軍の中には、光秀の姿があったかもしれない。

 大敗北を喫した光秀は、自らの居城がある近江坂本城(滋賀県大津市)を目指し、逃亡するしか術がなかった。坂本城で態勢を整え、再度秀吉との対決を期そうと考えたのだろうか。

 勝竜寺城を脱出した光秀の逃走経路については、残念ながら良質な史料では判明しない。光秀はわずかな従者を引き連れて、隠密に行動していたのはたしかなことだ。

 逃走の途中、光秀は土民に襲われ、悲惨な最期を遂げた。その首は市中に晒されて、辱めを受けたのである。山崎の地には、こういう歴史があったのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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