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【「麒麟がくる」コラム】まだまだある。本能寺の変の信じがたい黒幕説。そのすべてを検証する

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
堺の商人が明智光秀の黒幕だったという説があるが、真相はいかに?(提供:KIMASA/イメージマート)

 本能寺の変の黒幕説といえば、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説が有名であるが、すでに破綻しているのは周知のことである。しかし、黒幕説はほかにも驚倒すべきものがあるので、検証することにしよう。

■堺の商人黒幕説

 本能寺の変で黒幕だったのは堺の商人で、明智光秀を背後で動かして織田信長を暗殺させたという説がある。

 永禄11年(1568)9月、信長は足利義昭を推戴し入洛を果たした。その翌月、信長は堺に2万貫(現在の貨幣価値に換算して約20億円)の矢銭を課した。矢銭とは、軍費を賄うための一種の税である。

 堺は自治都市と知られており、自治組織である会合衆は信長の要求を拒否しようとした。堺の商人や市民たちは、信長と敵対していた三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)を頼りにし、戦いに備えていた。

 しかし、三好三人衆は信長に敗れ、堺は支援者を失った。そこで、茶人・豪商として知られる今井宗久は会合衆の面々を説得し、矢銭の負担に応じた。こうして会合衆は信長の要求に屈したのであるが、最後まで抵抗した者は切腹を命じられたといわれている。

 やがて、堺には代官が置かれ、今井宗久がその任に当たった。堺は「公方様(義昭)ならびに信長御台御料所」となり、一定の自治は認められたものの、信長の支配下に収まった。つまり、堺はこれまでの特権が失われ、自治都市としての輝きを失ったことになろう。

 堺はかつて自治都市として栄えたが、信長が支配下に置いたことで、自治の機能が制約された。おまけに信長の財政基盤として位置付けられたので、それは堺の商人たちにとって、不満になった可能性がある。

 一方、信長が茶道に執心しており、名器狩り(有名な茶器を信長に提供すること)も頻繁に行われた。堺の商人は茶人として名の知られた者も多く、名器を所持していたがゆえに、名器狩りを恐れたという。

 そこで、反信長派の堺の商人は本能寺で茶会を開く計画を立てて信長をおびき寄せ、光秀に討たせたというのであるが、この説を裏付ける史料は皆無であり、単なる憶測にすぎない。まったく成り立たない説だ。

■羽柴(豊臣)秀吉黒幕説

 本能寺の変の黒幕は、羽柴(豊臣)秀吉だったという説がある。羽柴(豊臣)秀吉は本能寺の変において、光秀が信長を討つという情報を事前に察知しており、消極的ながらも関与したというのが概要である。

 秀吉といえば、本能寺の変後に備中高松城(岡山市北区)から山崎(京都府大山崎町)に至る中国大返しが有名である。秀吉は事前に光秀謀反の情報を得ており、そうでなければ中国大返しは不可能だったという。しかし、中国大返しは無理がないことは、すでに取り上げたところである。こちら

 また、秀吉が本能寺の変の機密情報を得たのは細川藤孝・忠興父子であり、それゆえ2人は変後に厚遇されたという指摘がある。それほどの軍功がなければ、細川氏は厚遇されなかったということだ。

 しかし、それは細川氏が厚遇されたことから得られた結論であり、直接証明する史料はなく憶測にすぎない。したがって、秀吉が光秀の謀反を察知していた根拠とはなりえないだろう。

 そもそも冷静に考えてみると、仮に細川氏が情報を握っていたとしても、本当にその日に光秀が変を実行するかは、ふたを開けてみないとわからない、確実に変が起こるという保証はないのである。

■イエズス会黒幕説

 イエズス会が信長の暗殺に関わったという説が、イエズス会黒幕説である。以下、その概要をまとめておこう。

 イエズス会にとって、もっとも頼りにしていたのが豊後の大友宗麟であり、信長はイエズス会を通して大友氏の鉄砲を提供されていた。南欧勢力はイエズス会を通して信長に資金援助等を行い、信長はその資金で天下統一に邁進したというのである。

 南欧勢力の最終目標は、信長を使って中国を征服することで、信長はイエズス会の手駒にすぎなかった。また、イエズス会を支えていたのは、堺の商人、朝廷の廷臣、幕府の幕臣らであった。

 ところが、途中から信長は独自の路線を走り、イエズス会にとって厄介な存在になった。信長にとってイエズス会は、武器と資金を提供してくれる便利な存在にすぎず、キリスト教の教えに関心はなかったという。

 そのような事情により、イエズス会は信長が邪魔になったので暗殺を計画し、勃発したのが本能寺の変である。

 イエズス会は、光秀に信長を討つよう命じて成功した。秀吉が光秀を討伐したのも、シナリオどおりだった。本能寺の変は朝廷がイエズス会の意向を受け、光秀に信長討伐の命を下したものであったというのが結論だ。

 イエズス会はありとあらゆる人脈を駆使し、信長を死に追いやったのだ。信長や本能寺の変だけの問題ではなく、非常に壮大な説である。

 しかし、イエズス会には、ここに示したような人脈や資金力がなかったと指摘されている。加えて、以上の説にはまったく史料的な裏付けがないのだ。イエズス会の人脈と資金力が肝となる説なので、そこが否定されるとイエズス会黒幕説が成り立つはずがない。

 おまけにイエズス会黒幕説は史料の誤読と曲解、そして論理の飛躍によって論が構成されており、一次史料に基づく確固たる説ではない。したがって、今ではとうてい首肯できない説と評価され、まったく顧みられない説である。

 本能寺の変の原因に関する説は、信じがたいようなバカバカしい説があるので、注意が必要である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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