「明日、ママがいない」から考える親子関係と自律の心理:最終回まで見て
■明日ママ、最終回
物議をかもした「明日ママ」が最終会(第9話)を迎えました。最初の衝撃的なシーンや、主人公ポスト(芦田愛菜)のあだ名などが、問題視され、抗議も受けたドラマです(「明日、ママがいない」問題は、なぜ大きくなったのか:野島伸司作品と現代の私達:子どもたちを守るために)。
最終回も、CMはありませんでした。このドラマを賞賛する声もあれば、最後まで批判的な人もいました。ともかく、せっかく最終回まで放送されたのですから、番組のテーマやエピソードから「親子の問題」を心理学的に考えてみましょう。
(この先、一部ネタバレあり)
■子は親の愛を求める
ほ乳類は、親から愛されることを求めます。たとえばサルを使った実験でも、親から引き離された赤ん坊ザルは、ミルクが出る針金作りの「母親」よりも、ミルクは出ないがふかふかの「母親」を選びました。ほ乳類は、温かく抱きしめられることを求めます。さらに人間は、どうしようもなく親からの愛を求めます。
子は兄弟と平等に愛されるのでは納得せず、自分を一番に愛して欲しいと願うほどに、強く親の愛を求めます(兄弟は平等に愛してはいけない!? :兄弟・親子の心理学:兄弟げんかから遺産相続の問題解決まで)。
本来子どもは、どの子どもも親から一番愛される権利を持っていると思います。
■ママがいない
ある調査によると、子どもが考えている最大の不幸は、親がいなくなることです。「明日、ママがいない」の舞台である児童養護施設は、親がいない子のための施設です。ドラマでも現実でもそうなのですが、本当に親がいないのではなく親がいても育てられないケースが多いようです。
■実の親の意味
ドラマに登場するピア美(桜田ひより)の親は、大金持ちでした。しかし、倒産し両親は失踪します。ピア美は、児童養護施設コガモの家へ。父親は、子どものピアノの才能を伸ばしてあげたいと願います。しかし自分は何もしてあげられないと身を引きます。
たしかに、金も家もピアノも、子どもは欲しいでしょう。けれども、物を与えられない親がだめなわけではありません。子どもが一番求めているのは、親の愛です。施設長は、父親にいます。「名前を呼んであげるだけで良い」。父親は、子の名前を叫び、力強く抱きしめました。
■本当の親がいても辛い
実の親がいてくれるだけで子は幸せだという話もありましたが、逆のストーリーもありました。大金持ちの両親、恵まれた家庭、しかし親は子どものために金は出しますが、関心は向けません。
子どもは親に愛されたくて一生懸命になりますが、親はあっさりと離婚し、子どもは子どもで生きるようにと何事もなかったように語ります。子どもは、あまりの辛さに自分の体を傷つけるのでした。
■本当の親になろうする里親
ドラマに登場したある里親さんは、悪い人ではありませんでした。むしろ、「おためし」で引き取ったコガモの家の子を一生懸命愛します。でも、あまりに早急に本当の親のようになろうとして、大きな失敗をしてしまいます。
簡単に里親が「親」になれるわけではないでしょう。
以前お会いしたスウェーデンの福祉分野で働く人が言っていました。子どもの心にスイッチがあって、今日からこの人が親だよって、カチッとスイッチを切り替えるようにできたら良いのにと。でも、現実は簡単ではありません。
別の里親さんは、こんなセリフを言っています。
無理に、本当のママを忘れなくてもいいのよ。
私ができるだけ近づくから。
始まりは偽物のママでも、いつか本当のママになれたらいい。
■真実の親とは
第8話では、ある子どもに実の親が迎えにきます。本当なら、喜ばしいことですが、残念ながら親には子を愛し育てる力はなかったようです。施設長(三上博史)は、水たまりに土下座し、頭を泥水につけて、里親の方に子をわたすことを頼みます。
産んだ親が親ではない。愛で包むのが親だ。事実の親と真実の親はちがう。
■施設長の怖さと愛と強さと弱さ
子ども達から「魔王」と恐れられる施設長。この施設長の厳しいめちゃくちゃな言葉や、子どもにバケツを持たせて立たせるような行動が問題視されました。
この施設長は、たしかに乱暴で、ルール違反をします(物語の登場人物がルール違反をするのはドラマの常ですが)。子ども達から見れば、怖い大人です。しかしドラマの中で、子ども達も理解しています。子どもに居場所を見つけ幸せにするために、こんなに懸命になる人はいないと。
子ども達に対して、優しい言葉ではなく、きついことばで「強く生きろ」といったセリフを言うのは、私も実際の養護施設の職員さんからも聞いたことがあります。もちろん、冷たい言葉を使っても良い訳ではありませんが、職員さんは言っていました。この子たちは、18歳から一人で生活していくから、耳ざわりの良い言葉ではなく、強い言葉も必要なのだと。
施設長も、子をなくし、妻に去られ、大きな心の傷を持っていました。もともと強い人だったようですが、心の傷かあるからこそ、ますます強く子ども達の居場所を探し、自律させようとしていたように思えます。でも、その思いが強いあまりに、行きすぎてしまうこともあったようです。
自分の弱さを素直に認められないという弱さを、施設長も抱えていたのかもしれません。
■児童養護施設と里親
ドラマの中で子ども達が悩んでいるように、実際の子ども達も悩んでいます。ドラマのセリフにあります。
本当の子じゃないとダメですか。
親がいない子も、
捨てられた子も、
それでも幸せになりたい子がいることも、知っていてください!
里親に実子が生まれたら、自分は捨てられるのでないかと不安がる子もいました。
実際に養子をもらった親御さんから聞いた話です。
今日から、パパとママだ、ここがお前の家だと言ったところ、子どもが質問してきたそうです。
「いつまで?」
その人は、「いつまでもだ、ずっと一緒だ、何があっても親子だ」と、抱きしめて上げだそうです。
日本では、要保護児童の9割が、家庭ではなく施設で暮らしています。
■無条件の愛
真実の親の愛は、無条件の愛です。子どもに何が起きても愛する、無条件の愛です。子どもは取り替えがききません。もっと外見のかわいい子でも、成績の良い子でもだめです。この子のことを心から愛します。誰かとの比較ではなく、この子を一番に愛します。その親の愛を、子どもは求めています。
ドラマの中では、引き取られることを不安がるボンビ(渡邉このみ)に、里親さんが言います。
嫌だ、君じゃなきゃ嫌だ!
■自律的に生きること
子どもにとって、親がいなくなるということは、どれほど辛く、途方に暮れることで、無力感に陥ることでしょうか。それは、児童養護施設の子達もそうですが、家庭のなかでも、「いるのにいないような親」のもとで、苦しんでいる人がいるでしょう。あるいは、過干渉な親で悩んでいる人もいるでしょう。
やさしく強く愛で包んでくれるママを失っている人は、たくさんいます。
そんな人々に、ドラマ「明日、ママはいない」は、メッセージを送っているような気がします。
児童養護施設コガモの家の子ども達に施設長は語ります。
お前達は、憐れなかわいそうな子か。
そうではない。
親がお前を捨てたんじゃない、お前が親から自立したんだ。
お前達は傷つけられたんじゃない。磨かれたんだ。
心にクッションを持て。
世界のひどいことを受けとめられるように。
それができる人間が、世界の美しさも知るんだ。
親の愛を実感できず、親にさえ愛されなかった自分は誰からも愛されない、
社会の中に居場所がないと感じている人々が、たくさんいます。
簡単にがんばれなんて言えませんが、
でも、幸せになるためには、「自律」することが必要です。
自分が自分の人生の主役になるのです。
親から、心理的に卒業します。
人はどうしようもなく親の愛を求めますが、
愛してくれなかった親からも、過干渉な親からも、「卒業」して、自律します。
嵐の中で翻弄される枯れ葉ではなく、
しっかりスクリューが回り、舵がきいている、自ら進んでいる船の船長になる感覚です。
あなたも、しっかりとあなたの人生を生きようと、ドラマは語っているような気がしました。
■ドラマと現実
当初、ドラマの中での乱暴な言動が、非現実的だと批判されました。ところが、ある人々は、実際の施設はもっと過酷だったと語り始めました。実際、様々な施設があるでしょう。事件も起きています。
私が個人的に知っている施設職員はみなさん良い人なのですが。あるキリスト教系の児童養護施設長のシスターとも話しましたが、本当に心から子ども達を愛し、トラブルを起こす子にも愛を注いでいました。
さて、ドラマの後半では、子ども達が次々と良い家庭に行くことになります。現実では、こんなにとんとん拍子に進まないでしょう。問題が次々解決するのも、ドラマのパターンですが(毎回犯人がちゃんと逮捕されるように)。
ドラマの最終回、ラストでは、18歳になって施設を出なければならなくなったオツボネ(大後寿々花)は、ずっとここにいてもよいことになります(施設長がひきとる?)。実際は、18歳で自立してひとり暮らしを始めなければなりません。
主人公のポスト(芦田愛菜)は、自己犠牲的に心を病んだ里親のもとに行こうとするのですが、施設長は「子供を壊すぐらいなら、大人が壊れろ」と強く語り、ポストをわが子として引き取ることにします。
「お前がいなくなると、俺が寂しい」と施設長はポストに語ります。
この「寂しさ」が、愛なのだと私は、思います。
現実的には、ないことでしょう。ただドラマの中では、施設長は今いる子達の居場所を見つけたことで、コガモの家を閉鎖する設定でしょうか。
そして、子ども達のために活動してきた人で、虐待されていた子を本当に養子にした人が実際にもいることを、私は知っています。
ドラマと現実は違いますけれども、ドラマのようなことが起きるのも、現実です。
*このドラマで傷ついた人が癒されますように。
*このドラマで勇気をもらった人が、ドラマが終わっても、勇気を持ち続けられますように。
補足(2014.3.17):BPO「明日、ママがいない」審議入りせずは、妥当な対応。:大切なのは総合的な見方
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