「明日、ママがいない」問題は、なぜ大きくなったのか:野島伸司作品と現代の私達:子どもたちを守るために
■「明日ママ」謝罪しない。日テレ社長「これ以上の対応考えていない」
テレビドラマ「明日、ママがいない」に対しては、「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営する慈恵病院が、「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」と抗議し、番組の放送中止や内容の再検討などを求めていました。
全国児童養護施設協議会も、「視聴者の誤解と偏見を呼び、施設で生活している子どもたちの人権を侵害しかねない」と抗議していました。
全国児童養護施設協議会(全養協)と全国里親会は、「視聴者の誤解と偏見を呼び、施設で生活している子どもたちの人権を侵害しかねない」と批判し、表現を改めるよう求めています。さらに後日、「この作品のために子供たちが辛い思いをした事例が15例ある」と発表しています。
また、一部報道によれば、番組を観た後にリストカットした若者が出たともされました。
テレビドラマのせいでいじめが増えるとの意見もありました。
このような中で、スポンサー企業全8社がCMを見合わせました。
また、国会では田村憲久厚生労働大臣が「(番組が)児童養護施設の子どもに与えている影響について調査したい」と答弁しました。
日本テレビは、番組内容の大きな変更はしないものの、「子どもたちにお詫び申し上げます〜これまで以上に子どもたちに配慮してまいります。」と謝罪文を出しましたが、全養協が求めていた番組内での謝罪には応じないと今回、明言したわけです。
■なぜ問題は大きくなったのか:配慮不足?特定の病院を連想させるから?
私も、第一話(特に前半)を観て驚きました。児童養護施設も児童相談所も訪問したことがあり、職員のみなさんとも話しています。子どもたちとも話していますが(わずかな経験に過ぎませんが)、やはり現実とかけ離れ、「ありえない」と私も思いました。
児童養護施設職員のみなさんは、福祉分野の中でも長い歴史をもち、子どもたちへの熱い思いをお持ちだと、私は感じています。職員のみなさんが、不快感を持つことは理解できます。
主人公のあだ名が「ポスト」ですが、全国で赤ちゃんポストを運営する病院は、ただ一つ。この病院は、多くの批判を乗り越え、すばらしい活動をしてきました。この病院が番組を批判するのも、よくわかります。
番組はフィクションであり、特定の団体とは無関係ではありますが、「ポスト」というあだ名は、このただ一つの病院を当然連想させます。これは、強い抗議を生むことになるでしょう。
なぜ、こうなったのか。番組作成までの時間が足らなかった、取材が足らなかった、配慮が足らなかった。さらに最初に抗議が来たときの日本テレビの配慮が不十分だったなど、様々な意見が聞かれます。
心理学的にいえば、みんなで議論すると結論が極端になりやすいという現象が起きたのかもしれません。
最初の抗議が報道された後、ネットをはじめ人々から大きな反響がありました。その動きに敏感に反応したのが、スポンサーでした。これは、テレビ史上の大事件です。
関係機関からの抗議、批判をテレビ局は真摯に受けとめるべきです。フィクションなら良い訳ではありません。では、CMは見送られるべきだったか、番組内容の大きな変更、番組の中止、番組内の公式謝罪を行うべきかと言えば、そうは思いません。
古くは1988年の「チビクロサンボ」一斉絶版問題。新しくはANAの新CM(白人の物まね)への抗議による自主的CM中止。もちろん、人種差別は許されないし、テレビが人を傷つけるようなことがあってはなりません。しかし、だからといって抗議があるたびに次々と自粛してしまう社会が、良い社会だとは思えません。
今回の明日ママ騒動でも、番組への激しい批判と同時に、このようになってしまったことによる弊害も多く指摘されています。また、現在も批判は続いていますが、同時に、ドラマのストーリーが進むにつれて、児童養護施設出身者を始め、多くの人から賞賛の声も出るようになっています。
■ドラマのあり方:野島伸司作品とは:もとからの野島作品への反対者が問題を大きくした?
物語も、時代と共に変わります。いろいろな考え方はありますが。「さるかに合戦」でカニが死ななかったり、「カチカチ山」で最後にウサギがタヌキを助けてしまったり。
昔は許された物語が、今は許されないこともあるのかもしれません。しかし、騒動が収まった後で、「チビクロサンボ」のときのように、あの時の自主規制は過剰だったのではないかとの反省がなされることもあります。
「明日、ママがいない」の脚本監修は野島伸司氏です(脚本野島伸司氏ではありませんが)。野島作品は、「101回目のプロポーズ」(1991)、「ひとつ屋根の下」(1993)など、大ヒット作もありますが、いつも物議をかもしてきました。
「高校教師」(1993)では、教師と生徒の恋愛、同性愛、強姦、近親相姦などが描かれています。
「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」(1994)では、激しいイジメ、体罰、虐待、自殺などが描かれます。
「聖者の行進」(1998)では、知的障害者達が働く工場内で、彼らが人間扱いされず奴隷ように扱われ虐待される様子が描かれました。
「GOLD」(2010)では、子どもに金メダルを取らせるための常識外れのスパルタ教育が描かれます。
さて、脚本家野島伸司氏。今回の「明日ママ」以前から、厳しい批判にされされています。単に好き嫌いの問題だけではなく、登場人物を痛めつけるストーリーやエキセントリックな表現などに対して、テレビ業界に詳しい方、メディアの研究者などからも批判的な論評が加えられています。
これらの批判に、私達視聴者も耳を傾けなければなりません。制作者側も同様です。視聴率が取れれば良いわけではありません。しかし、今回の「明日ママ」が、もしも野島作品ではなかったらどうなのだろうかと考えてしまいます。
施設側や病院からの抗議は、同様にあったことでしょう。しかし、その後の各方面からの批判は異なったものになったのではないか、そうすれば、世間の声も変わり、スポンサーの態度も、今回とは違ったものになった可能性があったのではないかと思います。
野島的なドラマ作りへの批判は理解できます。今回の「明日ママ」への批判も理解できます。しかし、野島作品だから「明日ママ」への批判が強くなり、必要以上に世論が盛り上がってしまったことがもしもあったとしたら、それは残念なことだったと思います(私の杞憂なら良いのですが)。
■「明日ママ」と「こんにゃくゼリー」:傷つく人は出る。でもこれだけが特別ではない
こんにゃくゼリーが喉に詰まり、死亡する事故がありました。とても悲しく、残念で、あってはならない事故です。こんにゃくゼリーは、見た目は普通のゼリーですが、食物繊維が多く健康に良いのと同時に、溶けにくく、喉に詰まりやすい特徴があります。
マスコミや国会が、この問題を大きく取り上げ、騒動になったことがあります(2007〜2008年頃)。ところが、冷静に考えてみると、モチが喉に詰まる事故は毎年多数発生しています。ご飯やパンによる事故も発生しています。
なぜこんにゃくゼリーだけが、やり玉にあがってしまったのか、よくわかりません。その時に醸し出された雰囲気であり、多くの報道の影響でしょうか。
しかしその後、冷静なデータや、こんにゃくゼリーを養護する意見も多く出されました。その結果、こんにゃくゼリーは発売中止を免れました。また同時に、事故を防ぐための工夫も様々なされました。
一時はどうなることか思いましたが、結果的には、良い方向に行ったのではないかと思います。
今回の「明日、ママがいない」も、関係者からの批判を受け、テレビ局側も配慮をする、しかしその声が大きくなりすぎず賛成側の意見も出て、連続ドラマ中止、内容大幅変更といった前代未聞の出来事は防げたとしたら、私達の社会はまだバランス感覚を持っていたのではないかと思います。
テレビ番組を観て、不愉快に思う人々はいつも存在します。日本のテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」が「日本人の残忍さを反映している」と激しく非難されたこともあります(「明日、ママがいない」の明日はどうなる:テレビの表現と偏見と暴力の心理学:子供たちを守るために)。
傷ついたという方々の意見を真摯に受けとめると同時に、私達が冷静な判断をする必要があるのではないかと思います。あるところから抗議が来たときの、私達の反応こそが大切です。
■「明日、ママがいない」と「タミフル」:子どもたちを守るために:被害を防ぎたい、でも行きすぎれば逆効果
大臣が「(番組が)児童養護施設の子どもに与えている影響について調査したい」と国会で答弁しています。大臣が述べているのですから、調査するなら、きちんと調査してほしいと思います。
まさか、不安定になった子どもが何人、自傷行為のケースがいくつといった、いいかげんでセンセーショナルな調査にはならないと信じています。
以前、インフルエンザの治療薬タミフルの副作用が問題になったことがあります。服用後の異常行動による事故死のケースが報告されました。この報道のおかげで、いったんはタミフルは危険な薬というイメージができてしまいました。
たしかに、個々のケースは同情できます。薬のせいでかえって害がでたとしたら、とても残念です。ところが、これも冷静に考えると、タミフルを飲んでいない子達でも、異常行動が見られたのです。異常行動は、タミフルのせいではなく、インフルエンザの症状としても表れるのです。
タミフルは、当初言われたような特別に危険な薬ではありません。タミフルを使わないことへのリスクもあります。しかしタミフルによる異常行動の可能性もあります。簡単に言えば、注意しながら使用するということです。
日本はとても優しい国なので、いくつかの悲惨な事例に敏感に反応します。一人一人の命や健康を大切にすることは、すばらしいことです。しかし、何事も行きすぎはいけません。行きすぎてしまえば、逆効果です。
たとえば、ワクチンによる副作用は0にしたいとは願っていますが、その思いが強すぎて「ワクチン後進国」になっては困ります。派手な副作用事例は減っても、その病気で苦しむ子どもたちが多数出ては困ります。
子どもたちを守りたいと思います。子どもを傷つける番組は減らしたいと思います。しかし、その思いが行きすぎて、将来の自由な世界を阻害するとしたら、本末転倒です。
テレビは確かに私達に影響を与えますが、テレビの影響は複雑で、調べることは難しいことです、だから、しっかり調査し正しく議論し、良い社会を作り、子どもたちに引き渡したいと思います。
(2014年2月25日)
→最終回まで見て(3月13日)
「明日、ママがいない」から考える親子関係と自律の心理:最終回まで見て
補足(2014.3.17):BPO「明日、ママがいない」審議入りせずは、妥当な対応。:大切なのは総合的な見方
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■明日ママ関連記事:Yhoo!ニュース個人「心理学でお散歩」
日本テレビ「明日、ママがいない」:中止要請ではなくスタッフと子供達への愛を込めて:すべての表現は人を傷つけるけれど
「明日、ママがいない」の明日はどうなる:テレビの表現と偏見と暴力の心理学:
「明日、ママがいない」(第3話、1.29放送)を観る:りっぱな大人ときれいごと、愛と家族の葛藤と
『明日、ママがいない』第4話5話6話:現実を見る・心にクッションを
■テレビの影響
テレビの影響:ドラマ、アニメからの観察学習(モデリング)の心理学:いじめドラマはいじめを増やすか:Yhoo!ニュース個人「心理学であなたをアシスト:人間関係がもっとよくなるステキな方法」
■筆者によるテレビ評
・私が体験したテレビのヤラセとガチと演出:「ほこ×たて」番組終了に思う
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■タミフルとワクチンに関する補足(2014.3.1. 18:00)
(本論とは外れますが、コメントを受けて、多少の補足をした方が良いと感じました。詳しくは専門のサイト等をご覧ください。)
インフルエンザ治療薬タミフルは、服用後の異常行動による事故が報告され、一時「危険な薬」としてセンセーショナルに報道されました。その後、実はタミフルを使わなくても同様の症状が現れることが報告、報道されました。現在厚労省は次のように言っています。
タミフル使用上の注意:「タミフルは、一般的には安全な医薬品ですが、頻度は低いものの様々な副作用を生じることがあります」。そしてその副作用として、動悸、血圧低下などと共にあげられているのが、「意識がぼんやりする、意識がなくなる、うわごとを言ったり興奮したりする、普段と違うとっぴな行動をとる、幻覚が見える」です。安全な薬だが注意しましょうということでしょうか。
ワクチンに関しては、さらに複雑です。ワクチンの副作用(副反応)に関しては、さまざまな意見があります。以前は行われていた子どもへのインフルエンザの集団接種も行われなくなりましたし、小中学校で特にすすめることもないかと思います。
子宮頸がんワクチンに関しても、様々な議論が出されています。WHOは接種を推奨し、多くの先進国では公的接種ですが、日本では現在は、「積極的にはお勧めしない」になっています。