「あまちゃん」で人生を学ぶ:心理学者が勝手に解説
◆「あまちゃん」で、笑った、泣いた、元気をもらった皆さんへ
ドラマの世界では、才能と努力と視聴者の思いと、社会の空気が絡み合い、ときおり奇跡が起きることがあります。「あまちゃん」は、人気ドラマでもなく、高視聴率どらまでもなく、社会現象でさえなく、今や一つの奇跡です。
日本中の人たちが、ひさしぶりに「涙と笑い」に満ちた日本のコメディーを堪能しました。
「みんなみんな、多くのものを失い、それでも笑っているんだ。」
多くの人々が、自分なりのお気に入りのシーン、名ゼリフがあることでしょう。私も、一人のファンとして、心理学者として、最終回直前に「あま語り」してみたいと思います。
◆成長しない主人公「アキ」? :宮藤官九郎
不十分な主人公が登場し、仲間と共に困難を乗り越え、そして成長する。これが、ドラマの王道です。ところが、脚本の宮藤官九郎さんは、成長しない主人公を描きたかったと語ります。
ドラマの中で、3年がたち、17歳の高校生だったアキ(能年玲奈)も、東京から北三陸へ行って、地元アイドルになり、東京でアイドルになり、また地元に戻って活動し、20歳になりました。でも、アキはアキです。変わっていません。
成長して変わると言うよりも、ますますアキらしくなっています。アキは成長したのではなく、自分を見つけ、アキが周囲を変えたのです。
◆「うん、でも基本は変わらないよアキちゃんは」
ヒロシ(ストーブさん)(小池徹平)にそう言われて、アキは答えます。
「いがった。東京では成長しねえと怠けてるみたいに言われるべ。成長しなきゃ駄目なのか?人間だもの、ほっといても成長するべ。背が伸びたり太ったり痩せたり、おっぱいでっかくなったりな。それでも変わらねえ、変わりたくねえ部分もあると思うんだ。あまちゃんだって言われるかもしんねえけどそれでもいい。プロちゃんにはなれねえしなりだぐねえ」
東京の雰囲気は、アキにとってはプレッシャーだったのでしょう。
◆今、日本で天野アキをやらせたら
大女優鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が、アキに言います。
「今、日本で天野アキをやらせたら、あんたの右に出る女優はいません。だから、続けなさい。向いてないけど。向いてないけど続けるって言うのも才能よ。」
「天野アキをやらせたら」は、アイドル「天野アキ」を演じたらという意味だけではなく、天野アキの輝く個性を認めてくれたのでしょう。
◆地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華も無いパッとしない
北三陸に来る前のアキは、そんな子でした。その頃の様子は描かれていませんが、アイドルになるために東京に来たアキが、以前の高校の友人と出会ったとき、そんなおどおどした様子を見せています。
アキは、器用な子ではないし、周囲の雰囲気に飲み込まれていたのでしょう。
でも、北三陸に行ったあとは、あたたかく受け止め、期待し、鍛えてくれる人々と出会います。
「性格」は、あなたの中にあって、固定的で、あなたを支配するものではないと、現代の心理学では考えます。経験を通して私たちは学び、自分らしさを発揮していきます(「オズの魔法使いの心理学:性格とは何か? あなたもなりたい自分に」YAhoo!心理学でお散歩
◆「飛び込む前にあれこれ考えたって、どうせその通りにならねぇ。だったら考えずに飛び込め」
物語の冒頭、おばあちゃんの天野夏さん(夏ばっぱ)(宮本信子)に背中を押されて海に飛び込んだときから、アキは本当の自分に目覚めます。
私たちは、多くのことを考えます。考えすぎます。悩みをもち、納得したいと思います。心の中の問題が解決できないと行動できないという人もいます。
けれども、行動は大切です。不安でも心配でも、まず行動してみること、そうすると心の方もついてくると、心理学では考えます。
アキは、自分自身を発見しますが、自分を発見するために引きこもってはいけません。引きこもり、色々考えすぎると、ろくなことはありません。心理学の研究では、自己注目のしすぎが抑うつを生むとされています。
自分を発見するためには、引きこもって考えるのではなく、活動し、様々な人と関わることです。
◆「逃げるのもう嫌なんです。下手でもいい、不完全でもいい、自分の声で歌って、笑顔を届けたい」
ずっと自分の声で歌わなかった鈴鹿ひろ美の言葉です。
アキも、海女の練習を始めたとき、自分自身でウニを捕りたいとがんばります。
能力があるから、器用だから上手く行くのではないのでしょう。自分は能力がないから、環境が悪いからと言って、行動しなければ、それまでなのでしょう。
「走らせるべ。たとえ一区間でも。誰も乗らなくても」。破壊された北鉄への思いを語る大吉さん(杉本哲太)のセリフにも同様の思いを感じます。
下手でもいいから自分自身で行動したいと思えたとき、それは苦しいけれど楽しいし、上達もするのでしょう。(心理学では、内発的動機づけとか自律性のテーマで語られます。)
ただし、それは自己満足ではありません。「プロちゃん」にはなりたくない、自分らしくと語るアキですが、でも、「みんなに歌を届けたい」と願う鈴鹿ひろ美を、プロだ、かっけーと思います。
以前にも、観光海女はお客様のためにと、アキは夏ばっぱに諭されています。
誰かのために行動することは、大きな力になるでしょう。
◆場所じゃなくて、人なんだよ、結局。
ヒロシが、アキのお母さん天野春子(小泉今日子)の言葉の受け売りで語った言葉です。人間は、環境の動物です。アキだって、東京にいたままだったら、何も変わらなかったかもしれません。
心理学的に言って人間は環境の動物です。困っている人は支援したいと思います。でも、一人ひとりの人が、私のせいじゃない、親が悪い、学校が悪い、社会が悪いといっても、その人は変われません。
「田舎が嫌で飛び出したヤツって、東京行ってもダメよねえ。逆にさ、田舎が好きな人っていうのは、東京に行ったら行ったで案外うまくやってけんのよきっと。結局、場所じゃなくて、人なんじゃないかなって思う、最近」。天野春子
「田舎さいるときゃ田舎の悪口、東京さいるときゃ東京の悪口」「おらの初恋の相手は、そんなに小さな相手だったのか!」とアキちゃんも、愛を込めて怒っていますね。
宮藤官九郎さんは、 AERAのインタビューで語っています。
「震災後から物語が始まっていたとしても、同じラストになったと思う。震災はとても大きなことだけど、それでも人間はたくましく生きる。」
今はどんなに辛くても、進まなければそのまんま。
「その小さな光りを頼りに、大吉さんは歩き始めました」。津波後、トンネル内で止まった列車から出て。
◆謝ってもらいたかったのか、私
母親にわかってもらえなかった春子。家を飛び出した春子。イライラして、攻撃的で、すれ違います。人は、自分が何にいらついているのかさえ、わからなくなります。
でも、春子は自分の心に気づきます。「謝ってもらいたかったのか、私」。
そうして、母親に謝ってもらった春子は。次は「ありがとう」を言ってもらおうとがんばります。
子どもは親から自立したいと願います。自立のもっとも歪んだ形が、家出です。自立のもっとも成熟した形が、親孝行です。心から素直に親孝行できるということが、親からの心理的な自立です。
親子の関係は修復され、春子の積極的な性格は社長として、大いに活かされます。
◆若き日の春子とインナーチャイルド
回想シーンで、若き日の春子が登場します。それ以外に、アキの目には、ときどき不思議な女の子である若き日の春子が見えます。これは、「インナーチャイルド」の具現化と勝手に解釈しちゃいます。
若き日の春子は、鈴鹿ひろ美の落ち武者じゃなくて影武者として、歌の声を担当します。歌は大ヒットしますが、春子のデビューはなくなりました。
人はだれもが、心の中に傷ついた子ども時代の自分がいます。「あまちゃん」の登場人物も、それぞれに辛い過去を背負っています。震災後の新生あまカフェで、春子が影で歌おうとして、やっぱり鈴鹿ひろ美が歌い、二人のわだかまりは消えます。
春子と夏の親子関係が癒やされ、鈴鹿ひろ美との問題が解決したリサイタルの日を最後に、あの不思議な女の子は見えなくなります。傷ついたインナーチャイルドは癒やされました。
過去の傷ついた心を、今の強くなった自分の心で癒やすのが、インナーチャイルドの癒しです。
東北も、私たちの心も、「見つけてこわそう」の逆回転のように、元に戻すことはできません。元には戻せませんが、最悪の事態からは改善できます。元には戻らなくても、新しいものは作れます。
◆新生の物語としての「あまちゃん」
ダメダメだったアキ。振り返りたくない過去を持つ、イライラの春子。そして、東日本大震災。
「アキちゃんが懐かしいと思うものは、もうねぇよ。」
人々は、それでも行動し続けます。
「みんな色々あったけど、今ここにいる。」
「ここにもう一度、海女カフェを作るんだ」
「ここで本気出さねばどうする。いつまでたっても被災地だべさ」
「でも結局、ここが一番いい」
私たちが、今いる場所を、そう思えますように。
なんてしっとりしていると、春子さんに怒られます。あまロスなんて言って落ち込んでいると、「おらたち、熱いよね!」とがんばっている北三陸市のみなさんに叱られます。
「何よこの空気。最終回か!冗談じゃない。人生はまだまだ続くのよ!」春子。
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