大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)は、メジャーリーグで通算70本のホームランを打ち、通算139三振を奪っている。

 MLB.comのサラ・ラングスによると、ナ・リーグとア・リーグにおいて、70本塁打&100奪三振以上は4人、714本塁打&488奪三振のベーブ・ルース、76本塁打&269奪三振のリック・アンキール、72本塁打&146奪三振のジョニー・リンデル、70本塁打&139奪三振の大谷だという。

 この4人を、本塁打と奪三振の数ではなく、メジャーリーグでプレーした時期の順に並べると、ルース(1914~35年)、リンデル(1941~50年、1953~54年)、アンキール(1999~2001年、2004年、2007~13年)、大谷(2018年~)となる。

 1人目のルースは、投手→二刀流→野手だ。最初の4シーズンは投手以外のポジションについたことがなく、1920年以降の登板は5試合にとどまる。

 2人目のリンデルは、投手→野手→主に投手の二刀流だ。ちなみに、最初と最後の1シーズンは、どちらも代打出場のみ。それぞれ、1打席と7打席を記録した。

 実質1年目の1942年は、主にリリーフとして23試合に登板し、その翌年、外野へ回された。投手としてやっていくには球威不足と判断され、打撃を見込まれたのみならず、外野手が足りないという球団事情もあった。リンデルが在籍していたニューヨーク・ヤンキースでは、ジョー・ディマジオトミー・ヘンリックが従軍によって1943年から欠場。彼らと外野トリオを形成していたチャーリー・ケラーも、1944年にそうなった。

 1943年はオールスター・ゲームに選ばれ、翌年はリーグ3位タイの18本塁打と3位の103打点を記録したが、戦争が終わってメンバーが揃い始めると、出場機会は徐々に減っていった。その頃から、リンデルは再び投手へ転向することを考え、ナックルボールを習得。1951~52年にマイナーリーグで好投し、1953年にピッツバーグ・パイレーツで3年ぶりのメジャーリーグ復帰を果たした。この年、リンデルは主に先発投手として2チームで計32登板。一塁手とライトとしても2試合ずつに先発出場し、代打起用は29度を数えた。199.0イニングで防御率4.66、133打席で打率.303と出塁率.429を記録した。

 3人目のアンキールは、投手→野手だ。2000年に175.0イニングを投げて194三振を奪い、防御率3.50を記録した当時は、まだ21歳。前途は洋々に思えたが、この年のポストシーズンで制球がまったくと言っていいほど定まらなくなり、打者26人中11人を歩かせ、ワイルド・ピッチ(暴投)も9球。その後も制球難は解消できず、2005年3月に、投手としてのキャリアを打ち切り、野手に転向することを発表した。下の写真は、その直前だ。

リック・アンキール February 27, 2005
リック・アンキール February 27, 2005写真:ロイター/アフロ

 2年後の8月に外野手としてメジャーリーグへ戻ったアンキールは、その試合で通算3本目となるホームランを打ち、この年は47試合で11本塁打、OPS.863。翌年も、120試合で25本塁打、0PS.843を記録した。打つだけでなく、外野の守備では抜群の強肩も発揮した。なお、2018年の夏には、リリーフ投手としてカムバックする意向を表明したが、どの球団とも契約することなく終わっている。

 4人目の大谷が、あと10本のホームランを打つと、通算80本塁打&100奪三振以上は、ルースと大谷だけになる。