「ラソーダ監督のドジャース」で最も多くの白星を挙げた投手は…。野茂英雄は21勝
トミー・ラソーダは、1976年~1996年にロサンゼルス・ドジャースで監督を務めた。1976年はシーズン最後の4試合、1996年は開幕から76試合目までだ。
このスパンにドジャースで白星を挙げた投手は、85人を数える。20勝以上は24人。野茂英雄は21勝を挙げた。ちなみに、ラソーダに代わってビル・ラッセルが指揮を執った最初の試合に先発した投手は、野茂だった。この試合は8イニングを投げて2失点(自責点1)に抑えたものの、ドジャースはシカゴ・カブスのスティーブ・トラクセルに完封され、野茂は敗戦投手となった。
ラソーダ監督時代のドジャースで100勝以上の3人、フェルナンド・バレンズエラ(141勝)、オレル・ハーシュハイザー(134勝)、ボブ・ウェルチ(115勝)は、いずれもサイ・ヤング賞に選ばれたことがある。ただ、ウェルチが受賞したのは、オークランド・アスレティックスで投げた1990年だ。バレンズエラは1981年、ハーシュハイザーは1988年に受賞。どちらの年も、ドジャースはワールドシリーズで優勝した。ラソーダ監督時代のワールドチャンピオンは、この2度だ。
また、この3人に次いで白星の多いラモン・マルティネス(97勝)は、ペドロ・マルティネスの兄。弟のペドロも、ラソーダ監督時代のドジャースで投げている。1992年9月にドジャースからメジャーデビューし、翌年に10勝。そのオフ、デライノ・デシールズと交換にモントリオール・エクスポズへ移った。
なお、選手時代のラソーダは、左投手だった。ブルックリン・ドジャース(1954~55年)とカンザスシティ・アスレティックス(1956年)で計26試合に登板し、0勝4敗、防御率6.48。その後は、1960年までマイナーリーグで投げた。