シーズン安打のNPB最多記録は、藤村富美男→イチロー→マートン→秋山翔吾。二塁打、三塁打、本塁打は…

谷佳知/2004年のアテネ五輪 AUG 17, 2004(写真:築田純/アフロスポーツ)

 2リーグ制がスタートした1950年は、安打、二塁打、三塁打、本塁打のシーズン記録が、それぞれ打ち立てられた。安打は大阪タイガースの藤村富美男が191本、二塁打は大洋ホエールズの大沢清が45本、三塁打は南海ホークスの蔭山和夫が15本、本塁打は松竹ロビンスの小鶴誠が51本。それまでの最多は、安打と本塁打が藤村(1949年)の187本と46本、二塁打は笠原和夫(1948年)の40本、三塁打は鈴木清一(1946年)の14本だった。

1950年に生まれた、これらのシーズン記録のうち、最初に塗り替えられたのは三塁打だ。蔭山の翌年に、大阪の金田正泰が18本。これは、今日まで超えられておらず、並ばれてもいない。金田の翌年には、阪急ブレーブスのラリー・レインズが16本の三塁打を打ったが、その後、シーズン15本以上は皆無。14本ですら、2018年の上林誠知(福岡ソフトバンクホークス)しかいない。

 二塁打のシーズン記録も、1950年代に更新された。毎日オリオンズの山内和弘が、1956年に47本。こちらは20世紀の終わり近くまで最多だったが、1998年に近鉄バファローズのフィル・クラークが1本上回り、2001年にオリックス・ブルーウェーブの谷佳知が52本まで記録を伸ばした。その2年後には、千葉ロッテマリーンズの福浦和也も50本に達し、谷と2本差の2位に位置した。

筆者作成
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 藤村と小鶴がそれぞれ樹立した、安打と本塁打のシーズン記録は、その後、3度ずつ上書きされた。

 本塁打は、最多タイも2度。55本に達したのは、1964年の王貞治(読売ジャイアンツ)がチームの140試合目、2001年のタフィー・ローズ(大阪近鉄バファローズ)と2002年のアレックス・カブレラ(西武ライオンズ)は135試合目だった。ローズもカブレラも、残りの5試合中、王が監督を務める福岡ダイエーホークス戦が1試合あった。その結果は、ローズの4打席が、四球、四球、遊撃フライ、二塁ゴロ、カブレラの5打席は、四球、センター前ヒット、四球、死球、三振。いずれの打席もストライクゾーンの球はほとんどなく、後味の悪さを残した。

 なお、小鶴は本塁打のシーズン記録こそ塗り替えられたが、同じく1950年の161打点と143得点、376塁打は、今もなお最多だ。