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勝ってニュースになることはなかったが…東大野球部が春のリーグ戦で得た秋につながる収穫

上原伸一ノンフィクションライター
今春の最終戦。まだ白星がない東大の勝利を願う人たちが応援席を埋めた(筆者撮影)

クオリティ・スタートが11試合中6試合

0勝10敗1引き分け―。今春の東京六大学野球リーグ戦。東京大学野球部は、昨秋の慶応義塾大学1回戦以来となる白星はつかめなかった。これで51季連続のテールエンドに。目標としていた最下位脱出もかなわなかった。

“勝てばニュースになる”東大が唯一、世間の耳目を集めたのは、立教大学1回戦だろうか。この試合で、山口真之介選手(3年。小山台)が満塁本塁打をはなったのだ。他校でもそうは生まれないが、東大では実に39年ぶり2人目という快挙だった。(ちなみに昨秋まで、東京六大学野球連盟で記録された満塁本塁打は108本)。加えてこの一打は、敗色濃厚の8回に飛び出した、引き分けに持ち込む同点弾にもなった。

勝利こそ手にできなかったが、立大1回戦が引き分けだったほか、1点差負けが1試合(明治大学1回戦)、2点差負けは3試合(立大2回戦、3回戦。法政大学2回戦)と、善戦した試合はあった。もちろん、いくら接戦であっても負けは負けだが、11試合中5試合は食らいついたのだ。

特筆すべきは、クオリティ・スタート(先発投手が6回以上を自責点3以内に抑えた場合に記録される指標)が7試合あったことだ。東大はこれまで、先発投手の四球の多さや、味方のエラーなどが原因で、試合途中で大差をつけられる試合も目立った。そこで今春は、まずは中盤まで「試合を作る」ことを目標にしたというが、全11試合中半分以上で達成できたことになる。

言葉は適切ではないかもしれないが、他校にとって東大戦は、他の4カード以上に落としてはいけないカードである。それが中盤まで接戦の展開になれば、焦りも生まれ、硬くもなろう。相手が本来のプレーができなかった時が、東大にとってチャンスなのである。昨秋、慶大から白星をもぎ取った時もそういう流れだった。

左右両腕が試合を作るも打線が援護できず

貢献したのは1回戦の先発を任されたエースの鈴木健(4年。仙台一)と、全2回戦で先発を担った松岡由機(4年。駒場東邦)の左右両腕である。

鈴木の持ち味は制球力と、変化球とのコンビネーションで、常時130キロ台中盤から後半のストレートを速く見せる投球術だ。テークバックが小さく、ボールを置きにいくように投げる。打者からすると、球種が見極めにくい投手でもある。

一方、松岡は東大の投手では珍しい速球派だ。高校までは軟式でプレーしていた。昨年は救援として短いイニングを担っていたのもあり、最速140キロ台半ばの真直ぐで押していた。先発になった今春は一転、安定感を重視した「大人」の投球を心掛けるように。球速差が小さいストレートとカットボールの投げ分けや、緩急を使いながら打ち取っていた。防御率はリーグ7位(第7週終了時点)の3.82をマークしている。

中盤まで接戦だった6試合が1つも勝ちにつながらなかった原因は打線にある。2年生ながら一番に定着した酒井捷(仙台二)は計10安打と気を吐いたが、チーム打率は.175と振るわず、総得点は18にとどまった。1試合平均2点に届かない攻撃力では、なかなか勝つのは難しい。秋までいかに打線を強化するか。それは誰の目にも明らかな課題である。

それでもチームが目指していたものを6試合でカタチにできた。これは収穫であるのは間違いない。アマチュア野球に詳しくない人からすれば「また東大は勝てなかったのか」で終わりかもしれないが、今春は秋に向けての光明が垣間見えたシーズンでもあった。

今春は先発2本柱の鈴木と松岡が踏ん張ったが、打線が援護できないまま勝機を逸した試合が多かった(筆者撮影)
今春は先発2本柱の鈴木と松岡が踏ん張ったが、打線が援護できないまま勝機を逸した試合が多かった(筆者撮影)

野球の伝来に大きく関わる

今春終了時点で東大の通算成績は、256勝1718敗63分となった(勝率.130)。なかなか勝てなくても注目を集めるのは、誰もが知る最難関大学の野球部であること、そして、高校時代の実績がない選手がほとんどのなか、甲子園の元スターやドラフト候補を何人も擁す相手に真っ向から挑んでいるからだろう。一方で、東大には厳しい目も向けられている。なぜ、他大学と大きな差があるにもかかわらず、同じ東京六大学リーグで戦うのか…そうした批判的な声も耳にする。

ただ、歴史に目を向けると、東大が東京六大学リーグで戦う意味は確かにある。日本野球の礎を築いた旧制一高の流れをくむ東大の野球部が、東京五大学野球連盟に加盟したのは1925年。東京六大学野球連盟はその時に発足した。東大が加盟したのは他の5大学の理解とあと押しがあったからだという。

また、日本における「ベースボール」は、1872年に、アメリカ人技師であるホーレス・ウィルソンが第一大学第一番中学校の生徒たちに教えたのがはじまりだが、第一大学第一番中学校はのちの開成学校で、東大の前身である。東大野球部は、とかく野球のレベルで語られるが、実は野球の伝来にも大きく関わっているのだ。

もちろん、現役部員にとっては歴史的背景よりも、目の前のリーグ戦に勝つことが重要だろう。秋は勝ってニュースになることができるか⁉「赤門軍団」から目が離せない。

東大農学部のキャンパス(弥生キャンパス)内にある東大野球部のグラウンド。全面人工芝である(筆者撮影)
東大農学部のキャンパス(弥生キャンパス)内にある東大野球部のグラウンド。全面人工芝である(筆者撮影)

※参考文献 東京大学野球部 「赤門軍団」苦難と健闘の軌跡(ベースボール・マガジン社)

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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