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星野リゾートの従業員マスク廃止炎上から考える、働く人とマスク問題

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
マスクは感染症対策のため「だけ」ではないという話ですよね。(写真:アフロ)

 星野リゾートの星野佳路代表が、同社の宿泊施設で5月8日の12時以降、従業員全員がマスクを外すことを、4月28日にTwitterで公表した。この件が賛否を呼び、やや炎上気味となった。

 笑顔でのおもてなしを目指したわけだが、これを礼賛する声や、コロナ後の社会に向けて一歩踏み出したことを称賛する声がある一方、顧客や従業員のことを考えたのか、星野は反マスク派だったのかなどという批判の声もあがった。

 この事案は、新型コロナウイルスショック後の社会の縮図であると私は考える。一方で、働く人にとってのマスクの是非という問題についても理解しなくてはならない。この2つの視点から考察しよう。

 そもそもこれは「可燃性」の高い事案だ。なんせ「マスク」関連だ。さらには高級旅館・ホテルを含む宿泊施設を運営するカリスマ経営者の発言であり、誰もが何か言いたくなる。炎上は想定の範囲内の出来事である。これもまた、この3年間、よく見かけた光景だった。この道はいつかきた道なのだ。

 「マスク」は「感染症対策」のためのもの「だけ」ではなく、価値観、さらには政治的スタンスすらも可視化するものになってしまった。これは、新型コロナウイルスショックの初期段階からそうだった。我が国だけではない。2020年の米国などは特に深刻だったと在米の先輩から聞いた。「マスク」を「する」さらには「させる」という件について、人々は激しく争った。目に見える争い、SNS上の炎上だけではなく、著名人から友人・知人まで、マスクに関するスタンスによって、さっと距離を置くという光景もまた、この3年間でよく見聞きしたものである。

 一方、マスクがもたらしたものもある。それは個人の顔のプライバシーを守るということだ。社内外に顔を完全に晒さなくてもよいというわけだ。

 ちょうどこの春、マスク着用が任意になる前に、集中講義があったので学生たちに聞いたのだが、その時点では7割の学生がマスクの着用を続けるとのことだった。理由は感染症対策というよりも、今さら顔を見せるのが恥ずかしいという声が多数だった。なお、4月下旬の今、教室をざっと見たところ、逆に7割の学生はマスクを外している状況だ。

 本来、社会全体では3月13日以降はマスクは個々人の判断となっており、5月8日以降はコロナは5類相当となる。マスクをしないことを「反マスク」と捉えることも、やや筋違いである。「もう星野リゾートには行かないぞ」という声も散見されたが、このような方がもともと顧客だったかどうかは定かではない。訪日観光客が復活しつつある。日本人以上に脱マスクが早かったと考えられる。星野リゾートのこの方針は、明確な方針を打ち出したものとも言え、賛否を呼びつつも、顧客を選ぶという方針にも見えるし、観光業界のリーダーとして、コロナ後の世界に一歩踏み出したともみることができる。

 もっとも、従業員にマスクをしないことを強要するかのようなトーンで伝わったことにより、炎上気味になったのではないか。「原則従業員はマスクなしとし、顧客、従業員の声により柔軟に対応する」とすれば、これほど燃えなかっただろう。

 SNS上の反応でも、マスク廃止に批判的な声の中には、感染症対策だけでなく、従業員がプライバシーを守るため、さらには過剰なまでに表情を気にせずにすむためという視点も散見された。この視点はおさえておくべきだろう。

 ただ、マスクを外す=従業員に負荷がかかる、従業員が可愛そうだと捉えるという単純な構図もまた想像力に欠けている。マスクをすることもまた、従業員にとって負荷がかかることがあるのだ。言うまでもなく、息が苦しくなるし、酸素が十分ではないので集中できないし、笑顔が伝わらずコミュニケーションで苦労する。

 気づけば、星野リゾートの顧客からも、従業員からも離れた論争、炎上になっていなかったか。これもまた、この3年間、よく見かけた光景なのだけど。

 マスクは個人の判断による。任意である。それがこれからのルールであり、マナーである。

 ただ、ここで「マスクをつける」側に寄りすぎた議論もまた危険だと、私は警鐘を乱打したい。これもまた、働く人には負荷がかかることがあるのだ。

 観光業界とは異なるが、そして、あくまで個人的見解ではあるが、大学教員として、また講演活動をするものとしては、マスクが個人の判断となることは大きな前進である。90〜120分、しかも1日に数回にわたってマスクをつけたまま話すのは、苦行そのもので、息が苦しくなる。また、顔、特に口元が見えないがゆえに、ニュアンスが伝わりにくくなる。場の雰囲気をよくするためにも、笑顔が必要だ。自分以外の人も、マスクをしていない方が表情がわかるので、理解度が想像でき、より相手に合った話ができるのだ。5月8日以降、勤務先でも教員は講義中のマスクが任意となるので(4月以降も、学生と向き合うとき以外は任意だった)、数枚を残し、私はマスクの在庫を処分した。

 このマスク論争はいつ終わりを見せるのだろうか。これは、人が相手の立場にたって議論ができるかどうかという話でもある。人に想像力を期待していいのか。そして、あらためて、マスクとは何なのか。必ずしもマスク本来の意味を果たさなかったし、政治的、社会的存在であると確信した次第だ。賛成、反対と単純に決めつけず、働く人に対する想像力が必要だ。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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