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90回目のル・マン24時間レース!歴史を彩った名車たち(2)〜最強の王者たち〜

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
「栄光のル・マン」でもお馴染み、ポルシェ917(写真:REX/アフロ)

90回目の記念大会となる2022年の「ル・マン24時間レース」。世界三大自動車レースに数えられる有名な耐久レースを彩ってきた名車、名ブランドを一挙に紹介していく企画記事。第2回はル・マンで最強時代を築いた自動車メーカーをご紹介しよう。

耐久王の「ポルシェ」

ル・マン24時間レースで最多の総合優勝回数19回を誇るのがドイツの「ポルシェ」だ。その強さから「耐久王」の異名を持つポルシェとル・マンは切っても切れない関係にあると言える。

耐久王と呼ばれるポルシェ
耐久王と呼ばれるポルシェ写真:ロイター/アフロ

ポルシェが最初に優勝したのは1970年。プロトタイプカーのポルシェ917Kはル・マン史上最も美しいレーシングカーの一つとして今も高い人気を誇る。また、ル・マンを世界的知名度にしたスティーブ・マックイーン主演の映画「栄光のル・マン」で主人公が駆ったマシンがポルシェ917K。まさにル・マンの代名詞とも言えるマシンだ。

流麗なボディを持つポルシェ917K【写真:DRAFTING】
流麗なボディを持つポルシェ917K【写真:DRAFTING】

1970年から80年代に数多くの総合優勝を積み重ねたポルシェは時代に合わせてそのアプローチを変え、オープンボディのポルシェ936、シルエットフォーミュラと呼ばれたグループ5規定のポルシェ935などで勝利を重ねていく。

そのポルシェのル・マン挑戦の集大成とも言えるのがポルシェ956/962だ。燃費効率を競いながら耐久レースを戦うグループC規定は1980年代に多くの自動車メーカーの参入を促すが、その時代をポルシェは席巻。1980年代に6連覇を成し遂げている。

日本のプライベーターにも数多くデリバリーされたポルシェ956/962 【写真:DRAFTING】
日本のプライベーターにも数多くデリバリーされたポルシェ956/962 【写真:DRAFTING】

ポルシェに限らずだが、ヨーロッパの自動車メーカーは伝統的にレーシングカーを顧客となるプライベーターに販売しているが、鍵と取扱説明書つきで納車されていたことは有名だ。登場から2年目の1983年にはポルシェ956が決勝の上位10台中9台を占めるほどになり、当時の最強マシンだった。

ポルシェはポルシェ911をベースにしたGTカーでプライベーターを支援したり、ポルシェ911GT1などのスペシャルGTカーでワークス参戦したりとル・マンに挑戦を続け、2014年から2017年までは運動エネルギー回生と熱エネルギー回生を用いたハイブリッドカー、ポルシェ919ハイブリッドで3連覇を達成した。

ポルシェ919ハイブリッド
ポルシェ919ハイブリッド写真:ロイター/アフロ

そして、2023年、ポルシェはハイパーカー規定と同等の相互優勝を争うLMDh規定のマシンで参戦する。性能調整が行われ、革新的な技術を競うレースではないが、将来的に顧客にレーシングカーを販売することも視野に入れての参戦だろう。次は20回目の優勝を狙う。

フォードvsフェラーリ

時代を象徴するマシンが各年代にある「ル・マン24時間レース」。1970年代に映画「栄光のル・マン」をスティーブ・マックイーンが私財を投じて製作するきっかけになったのはやはり1960年代のフェラーリとフォードの激闘が大きいだろう。

2019年に映画化されたフォードとフェラーリの戦い
2019年に映画化されたフォードとフェラーリの戦い写真:REX/アフロ

イタリアの「フェラーリ」はF1の象徴としても知られるが、F1と併せて耐久レースにも積極的に参戦をしてきた。1960年代にはフェラーリ250/275/330などで6連覇を達成。そのフェラーリ最強時代に真っ向から対決の姿勢を見せたのがアメリカの「フォード」だ。この時代の話はマット・デイモン主演の映画「フォードvsフェラーリ」で描かれたことで、幅広い世代に知られることになった。

ヨーロッパのドライバーやコンストラクターが米国の「インディ500」に挑戦したのと同様に、アメリカ人レーサーたちは大西洋を超えて「ル・マン24時間レース」に挑戦した。その一人が1959年にアストンマーティンで優勝したキャロル・シェルビーだ。

フォードGT40
フォードGT40写真:REX/アフロ

フォードが経営危機の「フェラーリ」を買収しようとするも失敗し、ル・マンでその復讐を狙って「フォード」が投入したマシン、フォードGT40。シェルビーが開発を担ったフォードGT40 Mk.IIは1966年のル・マンで表彰台を独占。「フォード」はその後4連覇で時代を席巻することになるが、巨大自動車メーカーといえども、レースの専門家の力を借りずして、この栄光は成しえなかったことはドラマとして映画の中でも描かれている。

一方、「フェラーリ」はその後、F1に注力。1965年以降、ル・マンの総合優勝からは60年近く遠ざかっているが、2023年以降は再びハイパーカー規定のマシンでル・マンに挑戦予定。F1の予算制限の影響もあり、余った人員やリソースをル・マン24時間に投入。GTカーではル・マンに参戦を続けているが、F1で長年に渡り培われた技術が耐久レースでどこまで通用するかも含めて「フェラーリ」の動向には注目したい。

ドイツメーカーの挑戦

「ポルシェ」に次いで総合優勝回数が多いのはドイツの「アウディ」だ。アウディは2000年から3連覇、2004年から5連覇、2010年からまた5連覇を達成し、合計13回の総合優勝を飾っている。

2010年、ディーゼルエンジンで表彰台を独占したアウディ
2010年、ディーゼルエンジンで表彰台を独占したアウディ写真:ロイター/アフロ

現在の「トヨタ」同様にライバルメーカー不在の時代が長くあり、それによって勝利数を重ねてきた部分はあるが、対抗馬として兄弟車となるクローズドボディのプロトタイプカーを「ベントレー」として参戦させたこともあれば、ディーゼルエンジンによるル・マン24時間レース挑戦を実行するなど、アウディは常に何かターゲットを作りチャレンジし続けてきた。近代ル・マンの英雄であり、出てきてはすぐに去っていくメーカーとは違い、長きに渡って参戦を続けたことでアウディはモータースポーツと密接なブランドイメージを再び確立していった。

その「アウディ」も2023年から同じフォルクスワーゲングループの「ポルシェ」と共にル・マンに帰ってくる。彼らを再び耐久レースの最高峰へ呼び寄せたのは間違いなく、LMDhという北米のIMSAとル・マン24時間レースをつなぐ共通規定だ。以前のハイブリッド技術競争とは違いシンプルかつ開発コストが少なくすみ、一大マーケットである北米を中心に戦えるこの規定はデイトナ24時間とル・マン24時間の両レース制覇という目標を掲げて戦うことができる。

1999年、トヨタを下したBMW
1999年、トヨタを下したBMW写真:ロイター/アフロ

その規定に乗りLMDh規定のマシンを製作するドイツメーカーは他にもある。1999年に1度だけル・マン24時間レースを制した「BMW」だ。先日、巨大なキドニーグリルをデザインに盛り込んだBMW・MハイブリッドV8を公開したが、まずは北米IMSAへの挑戦となり、ル・マンへの復帰は明言していない。しばらくは様子見となるだろう。

一方で、F1の巨人「メルセデス」は1989年にグループC規定のザウバーC9・メルセデスで優勝しているが、今のところ耐久レースへの再挑戦の話はない。1955年にはル・マンの観客席にマシンが突っ込み、多くの死傷者を出す事故を起こし、長きに渡りモータースポーツから撤退したほか、1999年には直線区間でマシンが離陸し、宙を待ってクラッシュする事故を起こしてしまった「メルセデス」。インターネット時代の今ではそうした歴史上の事実を避けることは困難で、復帰は簡単ではないだろう。

ザウバー・メルセデス【写真:DRAFTING】
ザウバー・メルセデス【写真:DRAFTING】

かつての名声を取り戻そうとル・マンに再び挑むメーカーがある一方で、ル・マンと距離を置くメーカーも存在するわけだ。いよいよ2023年から本格化する耐久レースの新時代。かつては数多く参戦した日本メーカーがトヨタを除いて手を挙げなかったことは日本のファンにとっては寂しい現実だ。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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