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90回目のル・マン24時間レース!歴史を彩った名車たち(3)〜日本車の挑戦〜

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
NISSAN GT-R LM NISMO(写真:ロイター/アフロ)

1923年の初回大会から数えて90回目を迎える2022年の「ル・マン24時間レース」。世界で最も多くの人に知られる耐久レースを彩ってきた名車、名ブランドを一挙に紹介していく企画記事。第3回はル・マンに挑戦した日本の自動車メーカーをご紹介しよう。

日本勢挑戦の代名詞「マツダ」

近年のル・マン24時間レースには「トヨタ」が最高峰クラスで総合優勝を狙って参戦。そしてごく僅かな数の日本人ドライバーやチームが参戦するのみになっているが、1980年代には数多くの日本メーカーがル・マンに挑んだ時代があった。

中でも最も成功を収めたメーカーといえば、1991年に日本車として初めて優勝を飾った「マツダ」であろう。その挑戦の始まりは映画「栄光のル・マン」が撮影された1970年にエンジンをプライベートチームに供給したことから始まった。

「マツダ」といえばロータリーエンジンだ。軽量コンパクトながらパワーを出せるエンジンながら、燃費が悪いロータリーエンジンを同社は24時間耐久レースで鍛えてきたのだ。1970年にはシグマオートモーティブ(現SUPER GTのSARD)と組んで挑戦し、1987年には日本車初のシングルフィニッシュ(7位)を果たしたのも「マツダ」だった。

マツダ787B 【写真:DRAFTING】
マツダ787B 【写真:DRAFTING】

そして、ロータリーエンジンが出場できる最後の年となった1991年にマツダ787Bで日本車として初優勝を達成。当時は地上波でもテレビ放送が行われており、バブル景気とモータースポーツブームに沸いた日本での影響力は大きく、日本とル・マンの話をする際に真っ先に出てくるのはやはりマツダの優勝であろう。

しかしながら、「マツダ」は翌1992年を最後にル・マンへのワークス参戦を終了。モータースポーツの活動からも徐々に手を引いていった。近年では北米マツダがデイトナ24時間などに挑戦していたものの、ファンが待ち望むル・マンへの再挑戦は実現していない。

ただ、少しずつではあるが、「マツダ」はモータースポーツに関与し始めているのも事実だ。今年から日本のスーパー耐久シリーズにバイオディーゼル燃料を使用した市販車で参戦。会社の重役が自らハンドルを握ってレースに出場しており、これが何らかのキッカケになることが期待される。

スーパー耐久に参戦するマツダ2【写真:DRAFTING】
スーパー耐久に参戦するマツダ2【写真:DRAFTING】

期待しているのはル・マンのファンも同じだ。1970年代から1990年代前半まで毎年、アクセル全開のストレート(ユノディエール)で流れ続けた甲高いロータリーエンジンの音は今も往年のファンに愛される音であり、2013年のル・マン90年記念の時にはマツダ787Bが1990年代の人気投票1位を獲得。デモンストレーション走行でファンから大きな拍手を浴びていた。長い歴史を誇るル・マンでは挑戦し続ける情熱こそがファンに受け入れられる大きな要素なのだ。

マツダ787B【写真:DRAFTING】
マツダ787B【写真:DRAFTING】

日本車初ポールの「ニッサン」

マツダも走った1980年代は日本メーカーがル・マン24時間の初優勝を狙い、激しく競い合った時代である。しかし、1970年代に会社としてのワークス活動を止めていた日本メーカーにとって、ル・マン挑戦は試行錯誤の連続。当時の最強マシン、ポルシェ956/962に全く歯が立たない状態だった。

ニッサンR90CK【写真:DRAFTING】
ニッサンR90CK【写真:DRAFTING】

そんな中で1986年にル・マンに初挑戦した「ニッサン」は当時、最も早くポルシェの牙城を打ち破る可能性を秘めたメーカーだった。同社は1970年もモータースポーツ関連部門を解体せず、クルマを鍛え続けており、レース屋としての魂を燃やし続けていた。

ノウハウを蓄え、力を見せ始めた「ニッサン」は1990年に日本車初のポールポジションをニッサン・R90CKが獲得。しかし、これは日本のモータースポーツ活動を担うニスモではなく、NME(ニッサンモータースポーツヨーロッパ)の手によるマシンだった。結局、ル・マンで優勝を飾ることができないままグループCカーによる挑戦は終焉する。

しかし、この時代に燃え上がった情熱は1990年代にはスカイラインGT-Rでのル・マン挑戦、プロトタイプGTカーのニッサンR390 GT1、プロトタイプカーのR391での果敢な挑戦へと繋がっていく。この時代にも優勝を飾ることができなかったが、日本のニスモが今もSUPER GTでワークス活動を続けている源流はこの挑戦にあった。

ニッサンR390 GT1【写真:DRAFTING】
ニッサンR390 GT1【写真:DRAFTING】

その後、グローバル企業へと変貌していった「ニッサン」はヨーロッパ主導のもと、2012年のデルタウイング、2014年のZEOD(ズィーオッド)などの奇抜な車両で実験車クラスに参戦。ZEODの技術は現在の「e-power」として市販車にも活かされることになった。

NISSAN ZEOD
NISSAN ZEOD写真:ロイター/アフロ

ヨーロッパ主導の活動は暴走気味になり、さらに奇抜な車両を生み出す。2015年に最高峰LMP1クラスに参戦したニッサンGT-R LM NISMOだ。市販車GT-Rの名を冠したハイブリッドのレーシングカーだったが、フロントエンジン、前輪駆動というセオリーを逸脱したマシンであり、ル・マンでは今よりもさらにスピードが遅かったLMP2クラスのマシンと同等のペースでしか走れないという醜態を晒してしまうことになった。

モータースポーツ史上に残る迷車、NISSAN GT-R LM NISMO
モータースポーツ史上に残る迷車、NISSAN GT-R LM NISMO写真:ロイター/アフロ

結局、このFF車での挑戦は1回限りとなり、ル・マンへの特異なスタイルでの挑戦は終了。あと少しで優勝も狙えた挑戦を続けてきた「ニッサン」らしからぬ、いわゆる黒歴史が生まれてしまった。日本のニスモの関与もあったが、この黒歴史はヨーロッパのモータースポーツ部門の失敗である。

自動車メーカーが自社のロードカーのイメージを盛り込めるハイパーカークラス、既存の技術を使い低コストで参戦可能なLMDhクラスに多くの自動車メーカーが参戦を表明する中、歴史を上書きするためにもSUPER GTで活動する日本のニスモ主導でル・マンに再挑戦して欲しいと願うのは私だけではないだろう。

諦めなかった「トヨタ」の挑戦

「ニッサン」と同じく、ル・マンに時代を越えて参戦を続けてきたのが「トヨタ」だ。

同社が本格的にル・マンに挑戦を開始したのが1985年。90年代前半までのグループC時代のベストリザルトは6位にとどまった。この時代は「ポルシェ」だけでなく、「メルセデス」「ジャガー」そして「ニッサン」などライバルも群雄割拠であり、表彰台に登るだけでも難しい状況だった。

そんな「トヨタ」が表彰台に初めて登ったのは1992年のル・マン。3.5L自然吸気エンジンの新グループC規定下で「プジョー」のプジョー905と一騎討ちを展開し、トヨタTS010が初の2位表彰台を獲得する。新規定が終焉を迎えた1994年は旧グループCベースのマシン、トヨタ94C-Vがトップを快走するも、ゴールまで残り1時間でトラブルにより失速。「マツダ」に続く「トヨタ」の優勝は夢に終わってしまった。

トヨタTS010 【写真:DRAFTING】
トヨタTS010 【写真:DRAFTING】

その後「ニッサン」と同様に1995年〜96年はスープラをベースにしたGTカーで参戦。そして98年からはプロトタイプGTカーのトヨタ・GT-One TS020で優勝争いを展開。1999年はまたもトップを快走するも残り1時間でタイヤバーストによって涙を飲んだ。

「トヨタ」の悪夢はハイブリッドレーシングカー、トヨタTS030トヨタTS040トヨタTS050の時代にも続く。2014年にポールポジションを獲得し、トップを快走するもトラブルでリタイア。そして、ついに優勝達成と思われた2016年は首位走行であと1周というタイミングでマシンがストップし、優勝ならず。中嶋一貴の悲痛な叫び「ノーパワー」のシーンはル・マン24時間レース史上最大のドラマとしてこれからも語り継がれる悲劇だった。

こうしてトヨタは負け続ける歴史を歩みながらも2018年にようやく優勝。ただ、ライバルメーカーとして最後まで残っていた「ポルシェ」がLMP1クラスから撤退した後であり、ライバルメーカー不在の中での勝利は賛否両論を呼んだ。

トヨタTS050
トヨタTS050写真:アフロスポーツ

今年も「プジョー」が参戦を見送り、正真正銘のメーカーワークスカーという意味ではトヨタGR010が唯一の存在だ。しかし、「トヨタ」は厳しい性能調整を受け入れながら、ライバルの登場を待ち続けている。これはかつての「アウディ」と同じ姿勢である。

今年のル・マンでは5連覇を狙う「トヨタ」。かつての「アウディ」5連覇に数字上は肩を並べることになり、その先には「フェラーリ」の6連覇、「ポルシェ」の7連覇という記録が待っているのだ。

トヨタのハイパーカー、トヨタGR010【写真:DRAFTING】
トヨタのハイパーカー、トヨタGR010【写真:DRAFTING】

しかし、来年以降はそれを阻止すべく多数のライバルが現れるため、相当困難な道のりになるであろう。ポテンシャルが未知数の新参ライバルマシンほど怖いものはない。「トヨタ」の今年の戦いは5連覇という目標ももちろんだが、未来を見据えたデータを取り、チームとしてさらに強くなるための大事なレースと言えるだろう。

来年はいよいよ初開催から100年となる「ル・マン24時間レース」。群雄割拠の新時代はもうすぐだ。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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