昭和天皇の数々の"史上初"記録とは? 生誕120年の「昭和の日」に知りたい秘話

昭和天皇(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 きょう4月29日は昭和天皇の誕生日として、昭和2年に国民の祝日と定められた。

 なぜ昭和元年ではないのかというと、父であった大正天皇が大正15年12月25日の未明に崩御し、その日のうちに昭和天皇が皇位を継承して元号を昭和と改められたことから、昭和元年はわずか7日間しかなかったからだ。

 そのため翌年の昭和2年4月29日から、「天皇誕生日」として国民の祝日に制定されたのである。ただし戦前から戦後の昭和23年までは、「天長節」という名称で呼ばれていた。

 平成の世になって4月29日は、祝日はそのままに「みどりの日」となり、平成19年には「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として、「昭和の日」と定められ今日に至っている。

 今年も昭和天皇の誕生日である4月29日がやって来るが、実は今年は昭和天皇ご生誕120周年の記念すべき節目の年に当たる。

 「昭和は遠きになりにけり」とよく耳にするが、戦後の復興とともに高度経済成長の真っただ中を駆け抜けた時代に対しての、ノスタルジーを抱く昭和世代は少なくない。そして昭和天皇の御代は、確かに他の時代と比して、様々な事柄が他の時代を圧倒していたのだ。

■最長寿であったがゆえの新記録

 まず特筆すべきは、昭和天皇のその長寿である。

 残された文献の正確性が高い6世紀の欽明天皇以降の資料によれば、昭和天皇の87歳は歴代最長寿だ。ただ現在87歳の上皇さまが、12月の誕生日を迎えると88歳となられるので、昭和天皇の記録を抜くことになる。

 長寿であるということは、天皇の在位期間も長く、その点でも昭和天皇は62年(22660日)という歴代最長記録(上記、欽明天皇以降)の持ち主だ。

 天皇に即位する前には、病床に臥していた大正天皇に代わって、政務を代行する「摂政」を大正10年から5年弱の間、務められていた点を考えれば、在位期間以上の間、天皇と同じ公務を行っていたことになる。

 在位が長く長寿であったことから、以下のような珍しい出来事も可能となった。それは昭和55年2月23日、20歳となった徳仁親王(現天皇陛下)が成年式に臨まれた時のこと。

 「成年皇族となったことを宣明する、『成年式』の主な儀式の『加冠の儀』は、皇居・宮殿『春秋の間』で行われ、昭和天皇ご夫妻も出席した。(中略)皇室史上初の直系皇孫の成年式が天皇皇后両陛下列席のもとで行われるという歴史的瞬間であった」(拙書「天皇家250年の血脈」より抜粋)

 つまり昭和天皇ご夫妻と皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)、そして徳仁親王(現天皇陛下)の親子三代が、皇室の歴史上初めて「加冠の儀」に同時に参列したのであった。

■初めて尽ずくめの昭和天皇

 「摂政」になる直前の大正10年に、皇太子としてヨーロッパ各国を訪問したのも、昭和天皇が初めてだった。後に昭和天皇はその時の思い出をこう話されている。

「イギリス国王ジョージ五世から立憲政治の在り方について聞いたことが、終生の考えの根本にある」

 立憲君主制を日本より先に確立していたイギリスの国王との出会いは、昭和天皇に大きな刺激を与えたのだろう。

 初めてと言えば、皇居内の生物学研究所で行っている稲作も、昭和2年に「品種研究や農家の苦労をしのぶため」に昭和天皇が始められたものだ。収穫した米は新嘗祭など宮中祭祀に用いたり、伊勢神宮に奉納している。上皇さまの代からは、さらに種もみまきもされるようになった。

 また終戦直後の昭和21年から、戦災で苦しむ人々を励ますために「全国巡幸」を始め、昭和29年までの8年間で沖縄を除く46都道府県をあまねく訪問された。その締めくくりの巡幸が、北海道の旅だった。

 行きは青函連絡船で津軽海峡を渡ったが、帰りには日本航空のダグラスDC-6B型機「シティ・オブ・トウキョウ号」を利用し帰路につかれた。なんとこの飛行機に乗ったことで、昭和天皇は史上初の空を飛んだ天皇となられたのだった。

■昭和天皇に連なる方々

 昭和天皇と香淳皇后との間には、上皇さまや常陸宮さまを含め、二男五女が誕生している。さらにお孫さまになると、筆者が確認しているところでは故人も含め9人の方がいらっしゃる。

 今、皇位の安定継承を考える政府の有識者会議が行われているが、皇室の血脈を巡る考え方にはまだまだ賛否の声が渦巻き、一致した議論の方向性も見出せていない。

 昭和天皇のご生誕120年の今年、その血脈に連なるご家族がどうされているのか、注目してみてもいいのではないだろうか。