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SLが引く夜行列車が秩父で走る!  どういうこと?

鳥塚亮えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。
夜行列車をけん引する秩父鉄道のSL、C58形 (秩父鉄道ホームページより)

秩父鉄道でSLがけん引する夜行列車が走ります。

これはその道の皆様方にとっては大ニュースで、大きな話題になっているとともに、ツアー形式の旅行商品ですが、2月6日の発売開始当日に満席になりました。

では、何が大ニュースなのか?

筆者も鉄道ファンの一人として解説させていただこうと思います。

夜行列車とは何か?

夜行列車とは夜通し走って朝に目的地に到着する列車のことです。

昨今は夜行列車はほとんど姿を消してしまい、夜行バスが主流となっていますが、高速道路網や航空路線、新幹線網が発達する前の昭和の国鉄時代には夜行列車は全国を網羅していました。

「夜汽車」ということばがありますが、夜汽車は夜走る列車という意味ですから、夕方以降の列車全般を指しますし、例えばその日の最終列車などは夜汽車と呼ばれていましたので、夜汽車は広い意味では夜行列車を含みますが、夜行列車とは違います。

演歌「津軽海峡冬景色」にある「上野発の夜行列車降りたときから、青森駅は雪の中」のように、上野から青森といった長距離区間を一晩かけて走るのが夜行列車ですが、そもそも夜行列車そのものがほとんど姿を消してしまった今ではなかなか体験できる列車ではありません。

SLけん引とはどういうことか?

夜行列車というのは長距離を走る列車です。昭和40年代までは今のように全国的に電化されてはいませんでしたので、長距離区間は「電車」ではなくて、機関車が引く「客車」を使った列車が主流でした。

電車は自車に動力を持っていますが、客車は機関車に引っ張られるだけの車両ですから自車に動力がありません。でも、例えば上野から青森へ行く場合など、最初は直流用の電気機関車に引かれて上野駅を出ますが、栃木県の黒磯で電気が直流から交流に変わりますので電気機関車も交流用の機関車に付け替えます。

仙台まではその機関車でけん引し、仙台からはディーゼル機関車、そして盛岡からはSL(蒸気機関車)が引っ張って青森まで行くという、そういう運転で長距離を走破していました。

国鉄末期には電化が進み、交流と直流の両方を走ることができる電車が夜行列車の主流となりましたが、ブルートレインと呼ばれた寝台特急列車などの客車列車は、機関車を取り換えることでどこまでも走ることができる重宝な列車だったのです。

最後のSLけん引夜行列車はいつだったか?

記録によると、最後のSLけん引夜行列車が無くなったのは1975年(昭和50年)7月。北海道の石北本線で札幌-網走間を走る急行「大雪」が、最後のSLけん引夜行列車でした。

網走駅で発車を待つ札幌行の急行「大雪5号」  1975年3月 撮影 半野久光氏
網走駅で発車を待つ札幌行の急行「大雪5号」  1975年3月 撮影 半野久光氏

手元にある当時の時刻表を紐解いてみると、

石北本線上りの時刻表 JTB1974年7月号から筆者撮影(赤い矢印は筆者が加筆)
石北本線上りの時刻表 JTB1974年7月号から筆者撮影(赤い矢印は筆者が加筆)

上の写真を拡大したもの
上の写真を拡大したもの

網走を20:33に発車する518列車急行「大雪5号」は翌朝6:13に札幌に到着する夜行列車で、網走-北見間の普通列車区間をC58形SLがけん引していました。

石北本線下りの時刻表  JTB1974年7月号から筆者撮影(赤い矢印は筆者が加筆)
石北本線下りの時刻表  JTB1974年7月号から筆者撮影(赤い矢印は筆者が加筆)

夜行列車というのは基本的には往復走ります。

こちらは下りの時刻表ですが、同じ急行「大雪5号」が札幌を22:15に出て網走に7:56に到着するダイヤで運転されています。

上下列車共に北見-網走間は普通列車になっていますが、これは北見-網走間の最終列車、始発列車を兼ねていたためで、長距離夜行列車ですが通勤通学などの地域輸送の役割も担っていたことがわかります。

札幌から網走へ向けて一晩かけて走ってきた急行「大雪5号」が通勤通学用の普通列車となって朝の石北本線を走る。 撮影 須田剛氏
札幌から網走へ向けて一晩かけて走ってきた急行「大雪5号」が通勤通学用の普通列車となって朝の石北本線を走る。 撮影 須田剛氏

網走を目指して走る急行「大雪5号」。北見-網走間は普通列車となりましたが、札幌からの寝台車やグリーン車が連結された長編成列車でした。  撮影 須田剛氏
網走を目指して走る急行「大雪5号」。北見-網走間は普通列車となりましたが、札幌からの寝台車やグリーン車が連結された長編成列車でした。  撮影 須田剛氏

普通列車になれば一般の方々も定期券利用者も乗車できます。このSLけん引列車で北見方面から網走方面の高校へ通学する人も多かったと思いますが、皆様すでに60代後半になられていらっしゃいますね。

そう、このSLけん引の夜行列車が無くなったのが1975年ですから今から49年前。

今回の秩父鉄道で復活するSLが引く夜行列車というのは実に半世紀ぶりに復活するという快挙なのです。

目的地へ行かない夜行列車

夜行列車というのは一晩中走り続けて朝になったら目的地に到着しているという列車です。でも、今回秩父鉄道で運転されるSLけん引の夜行列車は「どこにも行かない列車」なのです。

日本旅行の案内書を見ると運転時刻は

熊谷 22:58発 ⇒ 三峰口 1:52着

三峰口 3:35発 ⇒ 熊谷 5:56着

となっています。

うまり熊谷から三峰口まで片道56.8kmをただ往復するだけの列車なのです。

実はこの手の夜行列車は最近流行っていて、えちごトキめき鉄道でも年間10回程度運転していますが、どの列車もほぼ満席となっています。その理由は「体験を買う」商品だからです。

昭和の時代は「目的地へ行くための列車」でしたが、今の時代は「乗ることそのものが目的の列車」です。つまり、これが観光列車の原点で、乗りたくなるような列車を走らせればその地域に人を呼ぶことができるのです。

即日完売の大人気

このツアーを企画した日本旅行の山中章雄さんによると、

「鉄道各社で多くの客車や電車の企画夜行列車を運行してきましたが、いつかは蒸気機関車牽引の夜行列車を運行したいと思っていました。私自身、現役の客車夜行には学生時代からよく乗りましたが、蒸機牽引夜行は書物の中の出来事でした。

それがいま実現出来たことは夢のようです。」

とのこと。

そりゃそうですよね。何しろ半世紀前に廃止になっているSLけん引夜行列車ですから。

この山中さんの言葉にあるように、企画した方の思いが旅行商品となって、その思いがお客様に届いたということでしょう。

ツアー料金は1人18000円。

寝台車じゃありませんよ。

硬い座席に座って夜を明かすだけです。

1人で2席使えるプランは1人28000円。

前の座席に足を延ばしてゆったりしたい方はこの料金です。

4人掛けのボックスシートを1人で占有するプランは55000円です。

何度も申し上げますが、寝台でも個室でもありません。

硬い座席で一晩過ごすだけの旅行商品がこの価格で発売され、発売と同時に客車4両編成分が完売するのですから、面白い時代になったと筆者は思います。

悪天候で運休となって一晩列車の中に缶詰めになる「列車ホテル」は先日の大雪でもニュースになっていましたが、同じ体験でも全く価値が違うのです。

SL夜行で使用される秩父鉄道の客車は4人掛けのボックスシート。ここで一晩過ごすという旅行商品です。 (秩父鉄道ホームページより)
SL夜行で使用される秩父鉄道の客車は4人掛けのボックスシート。ここで一晩過ごすという旅行商品です。 (秩父鉄道ホームページより)

運転日は3月16日~17日にかけて。

SLの汽笛を聞きながら列車に揺られて一晩過ごす「旅行企画」にお申込みいただきました皆様は、おそらく「物の価値」をご理解いただいた方だと思います。

まして列車を引くSLは国鉄最後のSL夜行列車「大雪5号」を引いたのと同じC58形蒸気機関車ですからね。

ぜひ、いい夢を見ていただければと筆者は考えます。

ローカル鉄道が地域に人を呼ぶツールになる。

地域活性化に少しでもローカル鉄道がお役に立つことができれば、田舎のローカル鉄道もいつまでも走り続けることができると筆者は確信しています。

※本文中に掲載しました昭和の石北本線SLの写真は半野久光様、須田剛様よりお借りいたしました。この急行「大雪5号」は筆者も学生時代に何度も乗車した列車ですが、その頃はすでにディーゼル機関車けん引に変わっていました。残念ながら2~3年遅かったと当時は悔しく思ったことを思い出しました。

貴重な記録写真をご提供いただきましてありがとうございました。

えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長に就任。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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