今日は赤穂浪士討ち入りの日として世間一般では有名ですが、鉄道ファンの間で、それもどちらかというとシニアのファンの間では、今日12月14日は日本で最後に蒸気機関車がけん引する旅客列車が走った日として知れ渡っています。

今から46年前の1975年(昭和50年)12月14日。

北海道の室蘭から岩見沢まで約140kmの室蘭本線を、C57形135号機がけん引する旅客列車が「さようならSL」列車として走行し、その10日後の12月24日に夕張線(現在の石勝線)でD51形241号機がけん引する貨物列車が走り、国鉄線上からSLの営業列車が消えました。

明治5年(1872年)に新橋-横浜間に鉄道が開業してから103年目に、日本からSLによる列車が消えた日とされています。

鉄道ピクトリアル1976年4月号で「日本のSL最終号」として表紙を飾るさよなら列車。(筆者所蔵)
鉄道ピクトリアル1976年4月号で「日本のSL最終号」として表紙を飾るさよなら列車。(筆者所蔵)

SL-STORY YouTubeより 1975年室蘭本線さよなら列車(当時の8ミリ映像のため音声はありません。)

最近では技術の発達で、当時撮影されたさよなら列車のこのような素晴らしい動画をYouTubeで見ることができますが、当時は東京に住んでいた筆者にとって、北海道の室蘭本線は果てしなく遠いところに感じたものでした。

鉄道博物館で展示されるC57135 撮影 神谷武志氏
鉄道博物館で展示されるC57135 撮影 神谷武志氏

この機関車は現在、大宮の鉄道博物館に当時の姿のまま保存されていますのでご存じの方も多いと思いますが、日本で最後に旅客列車を引いた歴史的文化財として大切にされています。

その後、大井川鉄道や山口線などでSLが復活運転されて、今では全国各地でSL列車が観光用として走っていますが、シニアの鉄道ファンの間からは観光用の復活SLと昭和50年のSL全廃までの現役時代とを区別して考える皆様方が多く、どうしてもイベントとしての復活SLにはなじめない方も多くいらっしゃるようです。

筆者は「鉄道会社が大きなお金をかけてSLを残してくれているのだから感謝するべきでしょう。」という考えですが、皆さんなんだかんだで文句を言うけれど、復活SLには足しげく通っていらっしゃるようですから、そういう姿を見るにつけ、趣味というのはそれぞれの楽しみの世界だなあと実感するのです。

では、その当時、SLに夢中になっていた皆さんは46年が経過した今、どうしているのでしょうか。

まずは当の本人である筆者から。

1975年、46年前の筆者は中学3年生。

SLがこの年最後だという知らせに居ても立ってもいられなくなり、東京から遠い北海道へ家出同然で撮影旅を敢行しました。

この写真は室蘭本線の苫小牧駅。室蘭から走ってきた岩見沢行の列車がここで10分ほど休憩をして水の補給、石炭の積み替え、灰の除去などを行います。

SL列車というのはこのように途中途中で停車時間を設けて、水や石炭の補給、機関車の罐の掃除などを行う必要があり、その都度乗客たちもホームに降りて駅弁を買うなど、旅を楽しむ余裕がありました。

当時はかなり規則がゆるかったのでしょう。

停車中にホームを降りて機関車の横へ行って記念撮影ができました。

機関車の罐から取り除いた石炭殻が積み上げてあるのがわかります。

さて、その筆者ですが、46年後の現在はえちごトキめき鉄道の社長として赤字ローカル線の立て直しに奮闘しております。

直江津D51レールパークにて取材を受ける筆者
直江津D51レールパークにて取材を受ける筆者

たくさんの家族連れでにぎわう直江津D51レールパーク
たくさんの家族連れでにぎわう直江津D51レールパーク

ただし、SLのことは昔から頭から離れたことはなく、現在はえちごトキめき鉄道の直江津駅にD51を持ってきて、「直江津D51レールパーク」として、動かせる状態に整備をして、地元の小さな子供たちにもSLの思い出を持っていただけるようにSLに触れ合える空間づくりを行っています。(直江津D51レールパークは冬期間休園中)

神谷武志氏 と神谷氏が46年前に撮影した室蘭本線のC57135。 画像提供:神谷武志氏
神谷武志氏 と神谷氏が46年前に撮影した室蘭本線のC57135。 画像提供:神谷武志氏

そして、筆者の友人の一人、神谷武志さん。

神谷氏は私より年下ですが、昭和50年当時中学1年生だった彼は、やはり家出同然で夜行列車に飛び乗り一人で北海道に渡り、さよならSL列車をけん引したC57135を写真に収めています。

その神谷氏、46年後の現在は鉄道フォトライフクリエーターとして「鉄道趣味をもっと大人の趣味に」「撮る我々も楽しく、相手方(鉄道・施設)にもきっとプラスになり、地元からも『また来てね』と言ってもらえるような、キレイな三角形を作りたい」と、昨今の撮り鉄ブームを良い方向に軌道修正する活動を続けており、直江津でもSLライトアップ撮影会などを主催して、保存されている(火が入っていない)SLにまるで息吹を吹き込むかのような作品をクリエートしています。

神谷氏主催で鉄道ファンを招き直江津で行われた夜間ライトアップ撮影会。  画像提供:神谷武志氏
神谷氏主催で鉄道ファンを招き直江津で行われた夜間ライトアップ撮影会。  画像提供:神谷武志氏

こちらは上越市頸城(くびき)区に保存されている旧頸城鉄道のコッペル型機関車の撮影会。 画像提供:神谷武志氏
こちらは上越市頸城(くびき)区に保存されている旧頸城鉄道のコッペル型機関車の撮影会。 画像提供:神谷武志氏

神谷氏の手にかかると、冷たい鉄の塊のはずの保存SLがまるで息吹を吹き込まれたかのように生き生きとした姿によみがえるから不思議です。

もう一人、筆者の友人をご紹介しましょう。

田島ルーフィング株式会社(東京千代田区)会長の田島常雄さんです。

田島さんは本記事のTOPの写真、1975年12月14日のC57135「さよならSL」列車の写真を撮影された方ですが、現役時代はもちろんでしたが、社長職をリタイアされて会長職になられた今でも熱心に鉄道ファン活動を続けていらっしゃいます。

その大きなトピックとして、筆者との縁を活かし、えちごトキめき鉄道で昭和時代の懐かしい国鉄形車両を再現したラッピング電車を走らせていただいております。

ラッピング作業中の様子です。

国鉄形車両の特徴であるリベットなど、かなり細かいところまでを再現した懐かしい雰囲気の車両が、今、えちごトキめき鉄道で走行し、毎日通学で通う高校生など地元の皆様はもちろん、この電車をお目当てに撮影にやって来る人たちの人気の的になっています。

田島さんにお話をお伺いすると、「鳥塚社長が直江津にD51を持ってきてくれたでしょう。だからそのD51に合わせるように当時の電車を走らせて皆さんに懐かしんでいただきたいのと、わざわざこの地域に撮影に来たり乗りに来たりしていただいて、思い出の車両にしてもらいたいんです。そうすることで鉄道趣味が後世に伝わるのではないでしょうか。」とのこと。

通常はラッピング車両というと企業名がドーンと大きく表示されるものですが、田島氏のラッピングデザインはあくまでD51が走っていた時代の昭和の電車の再現ということで、企業名は本当に控えめです。

「こういう広告電車があっても良いでしょう。」

笑いながら言う田島氏に、往年の鉄道ファンの心意気を感じました。

このように昭和50年の今日12月14日に最後のSL列車を見送った若者たちが、46年の時を経ておじさんからお爺さんの年齢に差し掛かった今でも、不思議なご縁も手伝って、熱心に活動を続けているという現象が筆者の周囲でも起こっているのでありますが、今夜はそういうおじさん、お爺さんたちが「あれからもう46年か。」と全国津々浦々の居酒屋さんやあるいは御家庭でそれぞれ思い出に浸っていることは間違いありません。

でも、46年という歳月は50歳以下の人たちにとってはまったくの未知の世界で、SLの現役時代を知らない世代が大多数を占めるようになって来ています。

そういう時におじさん、お爺さん世代の役割としては、ただ昔を懐かしむだけでなく、今の若い人たちにどうやって鉄道に親しんでいただき、鉄道の思い出を持っていただくか、そのための活動をしていかなければ、あと10年もすればSLなど誰も知らない単なるアトラクションになってしまうという危機感があります。

田島氏も神谷氏も、そして筆者も、子供の頃、多くの鉄道マンたちからいただいたモチベーションに感謝をして、鉄道の明日を作る活動をしているのです。

そして、そういうことを新しい経験として現代の若者たちに繋いでいかなければ、将来的に鉄道というものが居酒屋でも家庭でも話題にならなくなる。

それが大きな恐怖として目前に迫っていると考えています。

鉄道の使命として安全正確に目的地へ運行することはもちろんですが、それを基本として、その上に別の価値をお客様にお届けすることを怠ってはならないと感じております。

なぜなら、鉄道は夢と希望を乗せて走っているからです。

年末年始、遠くへ行かなくても是非、身近なところで鉄道の旅を経験してみてください。

きっと新しい発見があるはずです。

※本文中に使用した写真はおことわりがあるものを除き筆者撮影です。