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かつては飛行機にも存在した「特急料金」のお話

鳥塚亮えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。
なつかしい1970年代の航空時刻表(筆者のコレクションより)

この写真は中学生の頃から鉄道ばかりでなく飛行機にも興味を持ち出した筆者のコレクション。

1970年代の日本の空は、今のようにたくさんの航空会社が自由に運賃を設定して飛行機を飛ばせる時代ではありませんでした。

日本航空、全日空、東亜国内航空(のちのJAS:日本エアシステム→2004年に日本航空に合併して消滅)のほぼ3社が、

日本航空は国際線と国内幹線、

全日空は国内幹線と国内ローカル路線、

東亜国内航空は国内ローカル路線

というように、国の行政指導の下で役割分担が行なわれていました。

この時刻表は当時東京板橋の中学生だった筆者が、代々木の塾への行き帰りに池袋で途中下車して、当時西口にあった日本旅行の旅行センターに立ち寄って、無料で配布されている航空3社の時刻表を毎月のようにもらってきていたころのコレクションです。

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これは全日空の時刻表。2つ折りになった冊子です。

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こちらはTDA東亜国内航空の時刻表。

A3サイズよりも大きい1枚ものですが、折りたたんだ状態で配布されています。

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日本航空の時刻表は表紙がスチュワーデス(今はCAと呼ばれるようになりましたね)。

お姉さんの写真が毎月変わるので、中学生としてはこれが一番の楽しみでしたが、悩ましいのは同じ月でも表紙が異なるものがあること。

航空時刻表は途中で時刻変更があるとその度に再発行されていて、同じ3月号でも第1版、第2版と表紙のお姉さんが変わってしまいますから、ほぼ毎週のように旅行センターに立ち寄って「新しいものが出てないかなあ。」と確認する必要がありました。

さて、その中で、今日は東亜国内航空の時刻表を開いてみたいと思います。

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A3番よりも大きな1枚ものですので、ちょっと拡大してみます。

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これが東亜国内航空の1975年3月の就航路線図です。

それまでの東亜国内航空は国内ローカル路線が専門の会社でしたので、使用する機種もプロペラのYS-11がほとんどでしたが、ちょうどこのころDC-9というジェット機を導入し、いよいよこれから国内のローカル航空路線もジェット機の時代を迎えるぞ、という時でした。

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例えば札幌発着の東亜国内航空の便では、釧路行の3便のうち、12:40発の35便はプロペラのYS-11で、11:35発の33便と14:05発の37便は新型ジェット機DC-9で運航されていました。所要時間を見てもYS-11の便では55分かかっていますが、DC-9では同じ区間を40分で結んでいますから区間所要時間で15分ジェット機の方が速かったことがわかります。

鉄道に目を向けると、当時の特急「おおぞら1号」は札幌を8:55に出て釧路の到着が14:52でしたから区間所要時間は5時間57分。飛行機とは比べ物になりません。札幌-釧路間にジェット機が就航していたということは、1975年(昭和50年)の時点で北海道内の輸送もすでに鉄道から航空機にシフトしていたことが理解できるというものです。

東亜国内航空のDC-9の後継機、日本エアシステムのMD-87形機。(撮影:川田光浩氏)
東亜国内航空のDC-9の後継機、日本エアシステムのMD-87形機。(撮影:川田光浩氏)

さて、話を本日のタイトルの飛行機の特急料金に戻しますが、当時のJTB時刻表を見てみましょう。

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国内線の航空時刻が時刻表の一番後ろの方に数ページにわたって掲載されているのは今も同じですが、拡大してみましょう。

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欄外に小さく注釈が書かれていますね。

ジェット機就航区間の運賃にはジェット特別料金(片道大人600円・小人300円)が含まれています。

これが筆者が言うところの「飛行機の特急料金」です。

当時主流だったプロペラのYS-11の便と同じ区間を飛び始めたジェット機の便は、区間所要時分が短い分、600円のジェット特別料金が加算されいたことを示しています。鉄道の特急料金と同じようなものですね。

600円といえば当時の金額ではなかなかのもので、国鉄の初乗り運賃が30円の時代ですからね。

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同じ号のやはり欄外にある駅弁コーナーを見ると、上野駅のとんかつ弁当が350円、チキン弁当が400円の時代です。

その当時の600円は相当な金額だと思いますが、まだまだ飛行機は金持ちの乗り物と思われていた時代ですから、あまり細かいことを言う人もいなかったのかもしれません。

このジェット特別料金というのは、東京オリンピックの頃、当時は国際線もプロペラ機が主流の時代からジェット機へと移行していた頃でしたが、プロペラ機(レシプロエンジン)の航空ガソリンが、ジェット機のジェット燃料(成分的には灯油に近い)との価格差が大きかったため、価格が高いジェット燃料を使うジェット機には追加料金を払ってもらおうというところがスタートのだったようです。

今で言うところの燃油サーチャージのようなものですね。

筆者が飛行機に興味を持った1970年代は、既に国際線はジェット化されて、国内線がジェット機とプロペラ機が同じような路線で入り乱れて飛んでいた時代でしたから、こういう差額が発生していたのかもしれません。

今のように特割や早割、スーパー割引など、航空運賃を会社が自由に設定できる時代が来るとは夢にも思っていなかったのが昭和の時代。

YS-11やDC-9と聞くと、おじさんたちには懐かしく思い出される方もいらっしゃるかもしれませんね。

本日はそんな昭和の時代の飛行機のお話でした。

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えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長に就任。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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