今こそJRに見習ってほしい国鉄時代の粋なサービス

古い時刻表。国鉄時代の昭和の少年にとって時刻表は「読書」する読み物でした。

国鉄からJRになってこの春で32年です。

32年の歳月は大学を卒業して社会人になった人が50代半ばになる計算です。

ということは、今のJRの職員の大半は国鉄を知らないJR育ちの人たちということになります。

今、JRで働く人たちは社会人教育も含め、JRという会社で教育された人たちがほとんどということは、国鉄時代のことなど知る由もありませんし、どちらかというと会社にとって都合が悪くなるような、民営化に当たって会社が交わした「国民とのお約束」も教育されていない可能性が高いと思いますので、そういう人たちに向かって、筆者としては「皆さんの会社の今の方向性は本当に正しいのでしょうか。」という問いかけをする使命があると考えています。

32年前の国民とのお約束

筆者は昭和35年生まれ。27歳の年に国鉄がJRに変わりました。

人生の半分は国鉄で、残りはJRという時代を生きてきていることになりますが、そういう年代の人間もだんだんと少数派になってきました。

国鉄がJRになるときに、国民にいろいろなことをお約束して「だから民営化することにご理解とご協力をお願いします。」「国鉄の借金を国民の皆様でご負担ください。」と言っていましたが、32年が経過して、はたしてそれら国民とのお約束のいくつが実現されたのかを思い出すと、民営化された「民間会社」は、ずいぶんと国民とのお約束を反故にしてきたのではないかという気もします。

当時の政府が国民とお約束した昭和62年の新聞広告
当時の政府が国民とお約束した昭和62年の新聞広告

国鉄が民営化される時に国民は大変に不安でした。

なにしろその前後で日本全国80数路線が「赤字」「利用者減」を理由に片っ端から廃止され、国民生活に大きな変更を強いられていましたから、民営化されたらもっとひどいことになるのではないかと、地方へ行けば行くほど皆さん不安に思っていたのです。

国鉄イコール国ですから、そんな不安を抱える国民に対して、当時の政府が国として国民に約束したのがこの新聞広告です。

【民営分割 ご期待ください。】

・全国画一からローカル優先のサービスに徹します。

・明るく、親切な窓口に変身します。

・楽しい旅行を次々と企画します。

【民営分割 ご安心ください。】

・会社間をまたがっても乗り換えもなく不便になりません。運賃も高くなりません。

・ブルートレインなどの長距離列車もなくなりません。

・ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません。

いかがですか?

民営化の後、この国民とのお約束はきちんと守られているでしょうか。

今日からJR各社は新ダイヤで運転されていますが、今日のようにダイヤ改正があるたびに、長年親しまれてきた列車や駅、あるいは路線が「赤字」「利用者減」を理由に廃止されていきます。

でも、田舎の鉄道が「赤字」というのは当初からわかっていたことで、それでもその田舎の鉄道をきちんと維持運営するという前提で、本州の会社には必ず儲かる「新幹線」を与えられ、大都会の駅ナカでテナントや権利ビジネスを展開できるのはそういうことであり、北海道、四国、九州には経営基盤を支えるための多額の基金が拠出されています。

つまり、「赤字」は理由にならないということです。

「利用者減」というのは、「みなさんが乗らないからやめます。」ということです。

これは廃止する理由をお客様のせいにしているということと筆者は理解しますが、民間会社というのは自社商品が売れなかったり、あるいは自分のお店にお客様がいらしてくれないことを、お客様のせいにするのでしょうか。

仮にも民間会社というからには、自社商品をご購入いただくために、あるいはお店にご来店いただくためにはどうしたらよいかということを一生懸命考えて、日々たゆまぬ努力をするのが本当の姿と筆者は考えますが、そういう点から見ると今のJRという会社は、とてもじゃないけど民間会社と言えるとは思いませんし、お役所以上にお役所的と言ったら、お役所に失礼にあたると筆者は考えています。

時刻表に見る国鉄時代の粋なサービス

さて、32年前の国民とのお約束が守られているかどうかは皆様方にご判断いただくとして、今の日本人が忘れてしまった国鉄時代の粋なサービスがあったことをダイヤ改正で古い時刻表を調べていたら見つけました。

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筆者が見ていたのは1976年8月号。

昭和51年の夏休みの時刻表です。

当時は東北上越新幹線はまだなく、在来線にはたくさんの特急、急行列車が走っていました。

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このページは東北本線の仙台-上野間の上りですが、これだけ夜行列車が走っていたことがわかります。

これら多くの夜行列車は主として北海道からの連絡船接続や盛岡、青森方面のお客様にご利用いただいていた列車ですが、その中に1本、仙台と上野を結ぶ「新星」という夜行急行列車があったことを思い出しました。

東京から仙台というのは距離にして約350km。東京ー名古屋間とほぼ同じですが、今では新幹線の「はやぶさ」が1時間半で結んでいる距離に夜行列車、それも寝台編成の列車が走っていたのですから驚きですね。

時刻表が小さくて見づらいので拡大してみましょう。

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急行「新星」(寝台列車)

仙台23:20 A寝台とB寝台(当時は3段式)編成で座席車が連結されていないのが「寝台列車」ということです。

そして、その左横をご注目ください。

小さな文字で「仙台では寝台を21:55から使用できます。」と記されています。

この列車は仙台駅では発車時刻の1時間半も前にホームに入線し、そこからお客様はご乗車いただいてお休みいただいていたということです。

これが筆者が考える「国鉄時代の粋なサービス」です。

仙台-上野間は今では新幹線で1時間半の距離ですが、当時でも夜行列車としてはちょっと短い距離です。

「新星」も23:20に仙台を出て、上野に到着するのは5:36。

それでもビジネス需要が多かった仙台-上野間には寝台車を走らせる需要があったことは驚きですが、お客様に少しでも長く寝台でお休みいただけるように、国鉄では仙台駅に発車時刻の1時間半も前に列車を入線させ、「どうぞ、お早めに横になってお休みください。」というサービスをしていたのです。

先日、筆者は航空会社の面白いサービスをご紹介する

「何もしないのがサービスです。」というビジネスクラスの驚きの機内サービス。

という記事を書きました。その中で、「機内食など要りませんからゆっくり寝かせておいてください。」というお客様のご要望にお応えするサービス、つまり「何もしないサービス」というのをご紹介させていただきました。

この「新星」のサービスも、どちらかというとそれに近いもので、「どうぞお早目に列車にご乗車いただき、寝ちゃってください。」というものだと思います。

そう考えると、当時の国鉄は今の航空会社のビジネスクラスに匹敵するような先進的なサービスをしていたのだと筆者は考えます。

夜行列車が走る距離ということは、もちろん当時の仙台空港と羽田を結ぶ航空路がありました。

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同じ時刻表の巻末にある航空ダイヤです。

羽田-仙台間を1日4往復、B2(ボーイング727:約160人乗り)とB3(ボーイング737:約140人乗り)が飛んでいました。

でも、日本ではまだまだ航空輸送は一般的ではなく、人々は黙っていても鉄道を利用した時代です。

つまり、飛行機は競争相手ではなかった時代でも、国鉄の幹部の人たちは赤字に悩み、余計なコストが掛けられない中で、少しでもお客様にご満足いただけるようなサービスを心掛けていたということが、この「寝台を21:55から使用できます。」という記述に表れていると筆者は考えます。

この国に明らかに存在する夜行需要

国鉄という名前を聞くとあまり良い印象をお持ちでないおじさんやおばさんが多くいらっしゃると思いますが、そういう方々はもうじき、おじいさん、おばあさんになります。

これからは国鉄を知らない人たちが主流になっていく時代です。

筆者はそういう若い世代の皆様方に、運賃、設備、サービスのどれを取っても「JRだから仕方ないよ。」と思われたくはありません。

なぜなら、40年近く前の時代に当時のおじさんおばさんたちは、「国鉄だから仕方ないよ。」と皆さんほとんどあきらめ顔で、国鉄に対して何も期待していなかったわけで、その時代を生きてきた筆者としては、今の若い世代の皆様方に同じことを繰り返してほしくないからです。

今の鉄道マンたちも、しっかりと安全輸送を支えるという使命を一生懸命されていらっしゃいますが、安全にお客様を目的地まで運ぶというのは最低限度の当り前の仕事であって、それだけやっていればよいというものではありません。

その最低限度の当り前の仕事をきちんとやったうえで、その上に立って、自分たちの会社が、あるいは自分たちの提供する商品が、どうしたらお客様に選択していただけるかを考えていただきたいと思います。

国鉄時代の夜行急行列車 撮影:川田光浩氏
国鉄時代の夜行急行列車 撮影:川田光浩氏

写真は筆者の友人の川田光浩さんが撮影された国鉄時代の夜行急行列車。

朝の東北本線を上ってくる急行「津軽」です。

機関車の後ろにB寝台車、A寝台車、そして座席車が連結されています。

急行ですから特急料金のような高い料金もかからず、寝台車の後ろに座席の自由席がついていますから、お客様が自分の懐具合と相談してどの車両に乗ろうか「選択」できた列車です。

鉄道輸送がほぼ独占であった時代でも、その鉄道の中でお客様がご自身でどの列車に乗るか、あるいはどの車両に乗るかを選択できていたのです。

こういう列車が今の時代に必要かどうか?

疑問を抱くのは理解できます。

でも、「こういう列車は必要ではない。」と鉄道会社が自分たちで結論を出すことは正しいことなのでしょうか。

「お客様が利用しないからやめます。」

「新幹線があるから必要ないでしょう。」

サービスを提供する側が、自ら工夫や努力をすることなく、「やめます。」と結論を出すことは、民間会社がすることではありません。

なぜなら、今、新宿のバスタを見ると、日中時間帯だけでなく、夜から深夜にかけて、全国あらゆる方面への夜行バスがたくさん発車していきます。

ということは、今の時代でも、日本には夜行で移動するという需要は明らかに存在しているということです。

そういう人たちがたくさんいるにもかかわらず、「夜行列車は面倒くさい。」とか、「安いお客は取りたくない。」と思っているようであれば、32年前の国民とのお約束を忘れてしまっている証拠ですね。

何兆円という国鉄の借金を棒引きにしてもらい、その負債を国民に負わせて誕生した民間会社は、今、初心に帰るべき部分が散見されるようになってきたと筆者はダイヤ改正の度に感じます。

そして、そういうことを言い続けていくのが、国鉄とJRの両方の時代を生きてきた鉄道を愛する筆者の使命だと考えております。

誰もが乗ってみたくなるような夢のある列車。特に小さな子供たちや、若い人たちが、乗って、楽しんで、思い出になるような、そういう列車を、特定のイベント列車ではなくて、日常的に気楽に利用できるようにする。

なぜなら鉄道というものは庶民の乗り物であり、その庶民の乗り物を次の世代にきちんとつないでいくことが、この国の鉄道を負の資産ではなく、価値ある資産として次の世代に引き継いでいく。インバウンドの時代を迎えた今でも、ローカル線を含め、鉄道というのは使い方次第で国の発展の基礎となる有効な手段であると筆者は考えているからであり、私たちの先輩である先人たちが100年以上にわたって築き上げた国鉄を引き継いだ会社にはそうなっていただきたいと筆者は願ってやみません。

次のダイヤ改正ではどんな列車が走るのか、今から楽しみですね。

※注釈がある以外の写真は筆者撮影。時刻表は筆者所蔵の交通公社1976年8月号よりの抜粋です。