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なぜ? いすみ鉄道で国鉄時代のディーゼルカーが走るわけ。

鳥塚亮えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。
60年前の準急「京葉」のヘッドマークを付けて走るいすみ鉄道の国鉄形車両。

11月10・11日、17・18日の2週連続の週末にいすみ鉄道(千葉県)では国鉄時代の懐かしいヘッドマークを取り付けた列車が走り、鉄道ファンばかりでなくたくさんの観光客で賑わっていました。

取り付けられたヘッドマークは「房総」と「京葉」。

昭和30年代に準急列車として東京と千葉県各地の観光地を結んで走っていたもので、今年は房総半島にディーゼルカーの準急列車が運転開始されてちょうど60年にあたることから、当時の車両が今も走るいすみ鉄道のスタッフの有志が企画し、当時の列車のヘッドマークを復元して列車に取り付けて走らせたイベントです。

こちらは「房総」のヘッドマークを取り付けた列車。同じ車両でもマークを取り換えると別の列車になる不思議。(撮影:古谷彰浩氏)
こちらは「房総」のヘッドマークを取り付けた列車。同じ車両でもマークを取り換えると別の列車になる不思議。(撮影:古谷彰浩氏)
準急「房総」を伝える当時の鉄道雑誌。こういう貴重な資料を基に当時のヘッドマークが復元されました。(提供:鈴木和之氏)
準急「房総」を伝える当時の鉄道雑誌。こういう貴重な資料を基に当時のヘッドマークが復元されました。(提供:鈴木和之氏)

準急列車というのは昭和30年代には一般的だった庶民向けの列車で、房総半島ばかりでなく国鉄各線で比較的短距離を走る列車に「急行に準ずる列車」として「準急」と名付けられた列車がたくさん運転されていましたが、昭和40年代に入り急行列車に統合されて消えていきました。私鉄では各地で残る「準急」ですが、国鉄(JR)からは「準急」という列車種別はなくなってすでに50年になりますので、今回いすみ鉄道で当時活躍していた車両を使って準急列車をイベントで復活させたことは、歴史的意義が高いと考えられます。

鉄道ファンや観光客で賑わう国吉駅(筆者撮影)
鉄道ファンや観光客で賑わう国吉駅(筆者撮影)

さて、この準急列車として走った車両を含め、国鉄形車両は現在いすみ鉄道に3両残っていて、観光鉄道の看板列車として毎週末を中心に活躍していますが、この3両は筆者が社長を務めていた時代に当時廃車解体されていく運命にあった国鉄形の車両を、安価で下取りをして観光列車として復活させることで、億単位の大きなお金をかけて新造車両を導入しなくても、田舎のローカル線ならば十分観光資源になりますよということを実践したものですが、この3両を残して走らせているのは単なる「客寄せパンダ」ではなく、実は歴史的価値がある国鉄形の車両を保存して後世に伝えたいという筆者の強い意志があるからです。

いすみ鉄道で保存されている国鉄形車両は3両。キハ52形、キハ28形、キハ30形とそれぞれ異なる形式で残されていますが、国鉄時代のこの3両はそれぞれ用途が違った車両で、

・キハ52形は一般形(比較的長距離を走る各駅停車用)、

・キハ28形は急行形(長距離を走る急行列車用)、

・キハ30形は通勤形(大都市近郊の乗降客が多い路線向け)

として製造された当時の国鉄時代を代表する3形式であり、それを1両ずつ動態保存するということで、営業ツールとして会社の収入に貢献しながら、鉄道文化財を保存し、ブランドとしての地域の価値を高めようという意図に基づくものなのです。

キハ52形の方にも当時の準急列車のヘッドマークが取り付けられました。(撮影:古谷彰浩氏)
キハ52形の方にも当時の準急列車のヘッドマークが取り付けられました。(撮影:古谷彰浩氏)
混雑するキハ52の車内。たくさんの観光客で賑わいます。(筆者撮影)
混雑するキハ52の車内。たくさんの観光客で賑わいます。(筆者撮影)
国吉駅に並ぶ急行用車両のキハ28形(左)と通勤用車両のキハ30形(右)(筆者撮影)
国吉駅に並ぶ急行用車両のキハ28形(左)と通勤用車両のキハ30形(右)(筆者撮影)
急行用車両であるキハ28の車内はゆったりとしたボックスシート。今、この車両はレストランに使用されています。(筆者撮影)
急行用車両であるキハ28の車内はゆったりとしたボックスシート。今、この車両はレストランに使用されています。(筆者撮影)
通勤用車両のキハ30形の車内にはローグシートが並んでいます。こういう車内の違いも車両の特徴です。(筆者撮影)
通勤用車両のキハ30形の車内にはローグシートが並んでいます。こういう車内の違いも車両の特徴です。(筆者撮影)

そのうちの2両、キハ28形の車両番号2346号車と、キハ30形の62号車は実際に千葉県で走行していた経歴を持つもので、キハ28-2346は昭和39年に新製直後に千葉に配属され、夏休みの海水浴臨時急行列車に使用されていた生き残りの1両ですし、キハ30-62はいすみ鉄道の前身の旧国鉄木原線で毎日走っていた車両で、その後木更津に移り久留里線で2012年まで現役で活躍していた千葉県生え抜きともいえる1両です。

こういう歴史的価値がある車両をきちんと保存していくことで、鉄道が千葉県の発展に貢献してきたこともきちんと受け継いでいこう。そのためには実際に走らせてたくさんの皆様にご乗車いただくことでローカル線そのものを後世に繋いでいこうというのが筆者が社長時代に考えた方法で、筆者の意思を受け継いだスタッフたちが今回企画したのが「房総準急運転開始60周年記念」というイベントなのです。

いすみ鉄道は千葉県を筆頭株主に、沿線市町が管理運営する第3セクター鉄道です。

今、経営幹部(社外取締役が多数を占める取締役会)が、これらの貴重なディーゼルカーを今後どうしていこうとしているのか、文化財としての価値を果たして理解しているのかどうかということも含めて価値のわかる全国の人々が大いに注目しているところですが、今月着任したばかりの新任の古竹社長さんにはもしかしたらちょっと荷が重すぎるかもしれませんので、筆者としては少しでも応援できるようにと現在クラウドファンディングで修繕費用を募る準備をしているところです。

週末にはたくさんの観光客で賑わういすみ鉄道。国鉄形とはいえ鉄道ファンばかりではなく女性や家族連れがたくさん訪れるというのもいすみ鉄道の特徴です。(筆者撮影)
週末にはたくさんの観光客で賑わういすみ鉄道。国鉄形とはいえ鉄道ファンばかりではなく女性や家族連れがたくさん訪れるというのもいすみ鉄道の特徴です。(筆者撮影)

鉄道車両ばかりでなく、歴史的に貴重な建造物や自動車なども含めて、日本という国は文化的価値を測る尺度が確立されていませんので、時の為政者たちがその価値を理解しない、あるいは理解できないまま、維持管理の数字だけが独り歩きしてどんどん解体されたり潰されたりしてきているのが現実です。

いすみ鉄道を管轄する組織の方々が、この文化財に対して今後どのような判断をしていくのか。そういうことに世間の注目を集め、管理運営者側の実態を白日の下に出してみることで、いったいどういう考えの人たちが地域を預かっているのかということも全国区にしていく。こういうことも筆者がいすみ鉄道で昭和の文化財を動態保存している一つの理由なのであります。

なぜなら、この観光の時代にこういう文化財の価値をきちんと理解できない人たちが代表者である地域であれば、今後、国民の税金を補助金として投入する価値がない地域ということになるからであります。

自主財源率の低い田舎の地域に投入される税金は、都会の人たちの税金がほとんどです。そして、都会の人たちの貴重な税金は有効に使わなければなりません。その有効な使い方というのは、都会の人たちに喜んでいただくための使い方が求められるわけで、ローカル線というのはまさしく都会の人たちへ強いメッセージを送ることができる存在です。

せっかく灯した観光鉄道の火を県や地域がしっかり受け継ぐことができるか、それとも消してしまうのか。

今、千葉県庁を含むいすみ鉄道経営陣の力量が問われています。

全国の皆様、いすみ鉄道の3両の国鉄形ディーゼルカーの今後に、どうぞご注目ください。

こういう歴史的価値がある車両がいつまでも走り続けることができる文化がこの国に芽生えますように、皆様方のご支援をよろしくお願いいたします。(撮影:古谷彰浩氏)
こういう歴史的価値がある車両がいつまでも走り続けることができる文化がこの国に芽生えますように、皆様方のご支援をよろしくお願いいたします。(撮影:古谷彰浩氏)

※写真撮影:古谷彰浩氏(いすみ鉄道応援団団員、郷土写真家)

TOP写真を含め、筆者撮影以外の写真は古谷彰浩氏の撮影です。

えちごトキめき鉄道代表取締役社長。元いすみ鉄道社長。

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長に就任。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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