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2022年の音楽ライヴ振り返り

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
(写真:アフロ)

前説

年末なので殊勝にも1年を振り返ってみようなどと思ったのだけれど、音楽エンタテインメント業界でそれをやろうとしたら、どうしてもコロナ禍を意識せざるをえなかったりすることが筆が乗らない原因だったりするということもまた、今年の振り返りを総括する“気分”を象徴するものだったりするんじゃなかろうか。

とはいえ、不要不急の槍玉に挙げられていた2年前とはだいぶ状況が変わってきて、ライヴの取材に行けば音楽が生活にとって決して不要なものではないことを実感させられる場面に度々遭遇し、改めて音楽を語ることの意味や大切さを確認できた、収穫の年でもあったと思う。

さて、なんとか筆が乗ってきたようなので、2022年の取材メモをめくりながら、思い付いたことを書きとめてみたい。

東京文化会館(撮影:富澤えいち)
東京文化会館(撮影:富澤えいち)

ホールでの鑑賞が多めだった前半

2022年のライヴ初めは、この何年か続けて拝見している東京文化会館のニューイヤー・コンサートだった。飯守泰次郎指揮による東京都交響楽団のワーグナー〈ニュルンベルクのマイスタージンガー〉第一幕への前奏曲と〈タンホイザー〉序曲に圧倒されて幕を開けることになった。マエストロがオペラの実績のある人ということで期待していたのだけれど、なるほど歌曲はオケを“動かす”だけでは足らず、立たせて走り回さなければならないのだということを学んだ気がした。そんな2022年前半は、上野の東京文化会館とともに、池袋の東京芸術劇場にも足を運ぶ回数が多かった。

小規模のライヴハウスの稼働がなかなか戻らないなか、まず公共ホールが行政の定めた感染症対策に準じるかたちで公演を実施してきたことの現われでもあり、音楽エンタテインメント復調の先駆けにもなっていたと思う。

その東京芸術劇場に足を運んだ目的は、リサイタル・シリーズ「VS.」と題して企画されたピアノ2台によるデュエット・コンサートを観るためだった。2月に予定されていた山下洋輔×鈴木優人が3月に延期されたものの、3月の塩谷哲×大林武司からは予定どおり、6月の山中千尋×妹尾武と続けて拝見できて、コンサート用グランド・ピアノを2台並べてのピアニスト同士が自由に語り合う場を設けるという、ホールならではの贅沢な空間と時間を楽しむことができた。

実はピアノ2台のデュエット・コンサートについては、雑誌の取材でほかにも3件のステージを観ている(東京・銀座の王子ホールで開催された渋谷毅×永武幹子田中信正×荒武裕一朗、埼玉・大宮のレイボック・ホールで開催された小曽根真×塩谷哲)。2022年は“ピアノ・デュオの年”と言ってもいいのかもしれない。

2台もしくはそれ以上のピアノを用いたコンサートはジャズ界でも珍しいものではないが、最少編成で企画を成立させ、ダブル・ネームでの集客が期待できるピアノ・デュオが、コロナ禍下のリスクヘッジとして興行側から注目されたとしても不思議ではないだろう。

映画「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」ポスター(撮影:富澤えいち)
映画「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」ポスター(撮影:富澤えいち)

ジャズ映画豊作の年?

2022年は音楽映画≒ジャズ映画の年でもあった。「チェイシング・トレーン」はYahoo!ニュース個人のボクの記事でも取り上げたが、「ジャズ・ロフト」「モンク〈セロニアス・モンクの世界〉」「モンク・イン・ヨーロッパ」と、単館上映ながら観逃せない作品が続き、上映館を探して東奔西走させられたことも良い想い出となっている。音楽映画ということでは「コーダ あいのうた」が話題になり、TVドラマでは「silent」に注目が集まったりと、多様性の時代における“音楽を楽しむ”という文化をヴァージョンアップする時期に来ているのかもしれないと思わせるエポックが並んだ“特異点的な年”だったのかもしれない。

もう1本(というか4本)、「アメリカン・エピック エピソード1〜4」は、約100年前に実用化された録音技術(機器)によってアメリカの大衆音楽がどのような記録をしてきたのかの歩みをまとめ、史上初の電気録音装置を復元して現代のミュージシャンたちが収録に臨む姿を追った部分を加えた大作。休憩を挟んで6時間ほど映画館にカンヅメになって音楽レコーディングの歴史を追体験させてもらい、活字でしか知らなかったその世界の一端に触れることができたのは大きな収穫となった。

さらにもう1本、11月にオンライン上映会+シンポジウムが開催された「In-Mates」は、現代美術家の飯山由貴がメガフォンをとり、第二次大戦末期に焼失する東京の精神科専門病院に収容されていた2人の朝鮮人患者の診療録をもとに構成したドキュメンタリー調の作品。彼らの心情を描く場面で「ラッパー・詩人で在日コリアン2.5世であるFUNI」を起用し、診療録にインスパイアされたラップによるパフォーマンスを神奈川・鶴見の工場地帯へと通じるトンネルで撮影して挿入するという、音楽的レジスタンス劇と呼びたくなるような多層的な表現を用いたことに惹かれた。この作品のもうひとつのトピックは、国際交流基金主催のオンライン展覧会および東京都人権プラザ主催の飯山由貴企画展での上映が中止されるという事態になり、東京藝術大学の学内向けで上映とシンポジウムがようやく実施できる運びになったことだ。オンライン視聴は学外一般も可能なので申し込むことができたのだけれど、見もせずにつぶやく野次馬が増えた今日、まず観て感じる大切さを改めて思う機会にもなった。

「SHIBUYA 赤鼻祭」エントランス(撮影:富澤えいち)
「SHIBUYA 赤鼻祭」エントランス(撮影:富澤えいち)

舞台演劇と音楽とのマリアージュ

音楽を用いた舞台演劇作品では、「花咲爺」「400歳のカストラート」「Conte de fees 『青い鳥』」を挙げておきたい。

1月に東京・新宿の芸能花伝舎で上演された「花咲爺」は、くすのき燕吟遊打人塩原良&愛蓮和美が仮面と太鼓を使って織りなす、誰もが知っているはずの昔話を“見立て”によってアレンジした芝居。仮面の付け替えによって演じ分けられる正直爺さんと悪い爺さんに人間の二面性を感じたり、宝や厄災をもたらす犬が祟り神に見えたりと、シンプルながらシンボリックな美術や、太鼓ならではのフィジカルな音響効果といったアイデアあふれる演出によって、“子どもだまし”とは呼べないビターな仕上がりになっていた。

6月に東京文化会館で上演された「400歳のカストラート」は2020年の初演に続く再演。去勢によって高音を保つ男性歌手=カストラートが生きる400年という時代の流れを、藤木大地という現代の名カウンターテナーが演じる朗読歌劇というもので、初演時にはカストラートへの違和感が残っていたものが、今回は解消されていただけでなく、共感できるまで昇華されていて大感動してしまった。大和田獏大和田美帆の朗読も深みを増し、音楽との密着感が高まっていたことも書き添えておきたい。

11月に神奈川・横浜の逃げBarという小さなイヴェント・スペースで上映された「Conte de fees 『青い鳥』」は、ヴィブラフォン奏者のHitomiとヴォーカリストの横沢ローラが企画した、フランスの童話「青い鳥」をモチーフに展開するインスタレーション。“歌う”という枠を大きくはみ出して自己表現を続ける横沢ローラの活動では、この半月ほど後に東京・渋谷の渋谷キャストで開催された「SHIBUYA 赤鼻祭」も拝見する機会があったが、いずれも彼女の脳内で醸成されている独特の物語世界の3D化が進化しているようすを確認できて、楽しむことができた。

潮目が変わりつつある音楽フェス

2022年は、コロナ禍で中止や延期、オンラインに振り替えられていたフェスティヴァル系の企画もほぼ元に戻った感が強まった。もちろん、教訓を得てポストコロナの音楽フェスの在り方を考え直すという“宿題”は抱えたままではあるが、現場での試考錯誤を可能にするためにも観衆が集まる“場”としての役割は果たしてもらわなければならない。

7月に東京芸術劇場で開催された作曲家の藤倉大がディレクションする「ボンクリ・フェス2022」と、11月に東京・初台の東京オペラシティコンサートホールで開催された4名の作曲家による「オーケストラ・プロジェクト2022」では、“現代音楽”というラベリングに甘んじながらその枠組みから隙あらば抜け出そうという才能の息吹きを感じることができた。

10月の「蛇腹楽器200年祭」と「ヤマハ ジャズ フェスティバル 2022」は好対照な企画だった。

「蛇腹楽器200年祭」は、アコーディオン類の蛇腹の付いた楽器がドイツで発明されてから200年になるのを記念して、アコーディオニストのcobaが旗振り役となったイヴェント。多趣多才な出演者とゲストが入り乱れる“寄席”のようなラインアップに、音楽がはらんでいたはずの祝祭性を更新しうるなにかがあるのではないかという気にさせてくれた一夜だった。

一方の「ヤマハ ジャズ フェスティバル 2022」は3部制で、「小編成、ヴォーカルもの、大編成」という例年のパターンどおりに収まる人選。30回目というアニヴァーサリー・イヤーに、変わらず開催するという“安心"をファンに提供する老舗フェスの役割の重さを感じながら、曽根麻央率いるBrightness of the Lives、歌姫サラ・オレイン、日本のジャズ・ビッグバンド史の巻頭を飾るレジェンドたちが再結集した原信夫とシャープス&フラッツという新旧を交えたプログラムに、ジャズが刻んできた“年輪”と“未来”を垣間見た気がした。

また、フェスではないけれど、5月の中林薫平オーケストラの東京・丸の内コットンクラブ公演、11月の「かわさきジャズ2022」でのJUNKO ONISHI presents THE ORCHESTRAなど、より奔放で多様な大編成ジャズも味わうことができた。

パフォーマンスと音楽のコラボでは、6月に東京・六本木のサテンドールで行なわれたRS5pb(類家心平ファイヴ・ピース・バンド)の、流動的なペインティング・アートをプロジェクターで写し出すパフォーマンスを披露した中山晃子とのコラボが強烈な印象を残した。

「上野ジャズイン2022」(撮影:富澤えいち)
「上野ジャズイン2022」(撮影:富澤えいち)

まとめると

2023年を迎えるにあたり、まだまだ音楽エンタテインメントの行く末は不明瞭だというのが正直なところ。

しかし、音楽が不要不急でないことを改めて認識できたことが、パフォーマンスを大きく変化させるきっかけにもなってくれるのではないかという希望を感じる“現場”に多く出逢えた年でもあった。

2023年もそんな出逢いを求めて、ライヴ会場をウロウロしていきたい。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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