【グラミー賞2020を聴く2】ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバムを味わう方法
♪ 第63回グラミー賞について
2019年9月1日から2020年8月31日までに発表された作品が受賞対象。ジャズ・カテゴリーには「インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ」「ジャズ・ヴォーカル・アルバム」「ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム」「ラージ・ジャズ・アンサンブル・アルバム」「ラテン・ジャズ・アルバム」の5部門があり、それぞれで最優秀賞が選ばれます。
参照:https://www.grammy.com/grammys/awards/63rd-annual-grammy-awards-2020
♪ ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバム
カート・エリング・フィーチャリング・ダニーロ・ペレス名義の『シークレッツ・アー・ザ・ベスト・ストーリーズ』が最優秀賞を受賞しました。
♪ シークレッツ・アー・ザ・ベスト・ストーリーズ
世の中の影の部分を炙り出そうとした意欲作──でしょうか。
例えば、悲惨なニュースを題材にした「ソング・オブ・ザ・リオ・グランデ」。
米トランプ大統領在任時の2019年5月23日、メキシコ北部マタモロスから米テキサス州をめざしてリオ・グランデ川を渡ろうとしていたオスカル・アルベルト・マルチネス・ラミレスさんと娘のヴァレリアちゃんが溺れて死亡。父親は25歳、娘は1歳11ヵ月とのこと。
川岸に上がったその親子の写真がメキシコの新聞に掲載され、世界の注目を浴びました。
この曲は、そのニュースをもとにカート・エリングが作詞、ダニーロ・ペレスの曲に乗せて歌っています。
このほかにも、ノーベル文学賞を受賞している黒人文学の第一人者のトニ・モリスンに捧げた「ビラヴド」や、ピューリッツァー賞を受賞した詩人フランツ・ライトに捧げた「ザ・ファンフォルド・ホークス」(曲はジャコ・パストリアスのものをモチーフにしています)、ロバート・ピンスキーの詩を用いた「ステイズ」(曲はウェイン・ショーターのものをモチーフにしています)、イギリスの奇才マルチ楽器奏者であるジャンゴ・ベイツの組曲「ステージズ」などなど。
どれもヒネりが利きすぎてヒリヒリするような重量級の曲ばかり。
全体的に背景の音をあえて重ねないようなアプローチが用いられ、だからこそ歌詞の世界が浮かび上がってきているという印象を受けました。
♪ カート・エリング
1967年米イリノイ州シカゴ生まれのジャズ・ヴォーカリスト、作詞家、作曲家。
大学でジャズに開眼したカート・エリングは、作成したデモ音源がブルーノート・レコードに認められてデビューを果たします。このデビュー作『クロース・ユア・アイズ』(1995年)を皮切りに、リリースするアルバムは次々とグラミー賞ノミネートとなり、『デディケイテッド・トゥ・ユー』(2009年)で第52回グラミー賞ベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバムを受賞しています。
音域はバリトンの4オクターヴ、スタイルはクルーナー(ささやくような歌い方)で、スキャットは天下一品という、当代随一の男性ヴォーカリスト。
♪ ダニーロ・ペレス
1965年パナマ生まれのピアニスト、作曲家。
10歳にしてパナマ国立音楽院でクラシック音楽を学び、12歳でプロ・デビューを果たしていたダニーロ・ペレスは、1985年に奨学金を得てアメリカへ留学。すぐに彼はバークリー音楽大学へ転校し、多くのジャズ・ミュージシャンと共演するようになりました。
1989年には最年少でディジー・ガレスピー率いる国連ビッグバンドのメンバー入りし、世界を回ります。
2000年には、ウェイン・ショーター・クァルテットの一員となり、“ジャズの室内楽的な可能性を広げた”とされるサウンドに欠かせないキーパーソンとして、さらに注目を集めるようになりました。
祖国パナマのアイデンティティを大切にして、教育者、社会活動家としての顔も併せもっています。
♪ あわせて聴きたい
カート・エリング「オーヴァージョイド」
『シークレッツ・アー・ザ・ベスト・ストーリーズ』のボーナス・トラック。あれだけ難しい歌を詰め込んだアルバムでこの小唄感を出せるスゴさを感じてください。
カート・エリング/ダニーロ・ペレス デュオ「ステージ 1」
収録曲の動画です。プロモーション用にカート・エリング本人がアップしたもののようです。
ダニーロ・ペレス・トリオ「オーヴァージョイド」
こちらはダニーロ・ペレス・ヴァージョンの「オーヴァージョイド」。
ダニーロ・ペレス、ジョン・パティトゥッチ&ブライアン・ブレイド「チルドレン・オブ・ザ・ライト」
ウェイン・ショーター・クァルテットのリズムセクション3人による“室内楽的な可能性を広げた”とされるサウンドを垣間見てください。
♪ まとめると……
カート・エリングは、良くも悪くも“アメリカのジャズ・シンガー”であることがこの受賞の大きな理由であり、それは日本では理解しきれない要素が多分に含まれていると言わざるをえません。
そのうえで、カート・エリングの勇気は、ジャズや音楽全体の可能性が失われていないことを示したと言えるのではないでしょうか。
ジャズは、20世紀アメリカのエンタテインメントを象徴する音楽だと言われます。
その一方で、1950年代のアフリカ諸国独立運動や、1960年代にはアフリカン・アメリカンの公民権運動を“後押し”する役割を担う、レジスタンスなツールにもなっていたのです。
日本では、1980年代半ばの“アメリカ発ビバップ中興”を、歴史的背景を含めて正しく理解しているとは思えないので、このカート・エリング受賞も“ビング・クロスビー並みに歌の上手い人が賞を取った”程度に思われてしまうのかもしれません。
そして、「陰気な曲調のアルバムだなぁ」とも……。
しかし、練りに練った企画であり、それをまっとうしたパフォーマンスであり、それがちゃんと評価された受賞であった、と──。