死せるベートーヴェン生ける山下洋輔に惑わされる/大介バンドの藍色な夜/ほか【JAZZ週報】

2020年の第2四半期と第3四半期は、コロナ禍の影響で、生演奏の取材が極端に少なくなっていました。

秋が深まるにつれ、ホールの対収容人員制限も緩和の方向に進んでいるようで、コロナ前とはいかないものの、生演奏を“現場で”取材できる機会は確実に増えてきているという実感があります。

この“週報”では、そんな音楽シーンの動きも含めて、感じたことをお伝えしていきます。

♪ 2020年10月16日「ミーツ・ベートーヴェン シリーズ Vol.3|山下洋輔」@東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール

公演チラシ(筆者撮影)
公演チラシ(筆者撮影)

2020年は楽聖ベートーヴェンの生誕250周年というアニヴァーサリー・イヤー。

これに対して東京芸術劇場では、5回にわたってベートーヴェンをテーマとするシリーズ公演を企画していましたが、5月に予定されていたVol.2は新型コロナウイルスの感染症拡大防止のために中止を余儀なくされるなど、シリーズの先行きに暗雲が垂れ込めていたというのが、夏前の状況でした。

そんな“暗雲”を蹴散らしたのが、山下洋輔だったのです。

ベートーヴェンを記念する企画ということで、出演者には日本屈指のベートーヴェン弾きをそろえるのが定石──というのが我が国の“忖度文化”であるとしたら、それを打ち破るのが“ジャズ”になるはず、いや、ならねば。

もちろん、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬章の受章、国立音楽大学招聘教授という山下洋輔の肩書きをみれば、ジャズ側でさえも忖度して当たり前の空気が漂いそうなところ、収容人員50%制限のなか会場に足を運んだファンならば「山下洋輔がまともにベートーヴェンを弾くはずがない」と思っていたに違いありません。

そんな、ベートーヴェンというアカデミズムと、それをぶち壊すことへのジャズファンからの期待という、二重のプレッシャーを受けて登場した山下洋輔は、いつものように飄々とピアノ椅子に着くやいなや、ソロで3曲を演奏。

ピアノ・ソナタ第6番 へ長調 op.10-2 第1楽章

ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13「悲愴」第2楽章

バガテル イ短調「エリーゼのために」WoO 59

本人曰く、どこかでベートーヴェン(のオリジナル)にこじつけているというとおり、聴くかぎりにおいて紹介されたタイトルの曲であることはわかるものの、本当にその曲なのかと問われれば確答できないというアンビバレントなパフォーマンス。

ファースト・セットのシメはピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」第1楽章のおなじみのメロディをモチーフに、パーカッションの八尋知洋を加えて“別世界”へと観客を拉致していきます。

セカンド・セットは、「もう一度同じように弾けと言われても弾けない」という、ベートーヴェンへのオマージュをテーマに山下洋輔がインプロヴァイズしたソロ曲を披露したあと、飛鳥ストリング・クァルテットと八尋知洋を交えての櫛田哲太郎編曲による交響曲を3曲。

交響曲第9番 ニ短調 op.125 第2楽章より

交響曲第6番 ヘ長調 op.68「田園」第1楽章より

交響曲第5番 ハ短調 op.67「運命」第1楽章より

リストが編曲したベートーヴェン交響曲ピアノ・ソロ版はボクも興味があって聴いていましたけれど、この編成でのサウンドはフルオケともピアノ・ソロともまったく違う、欠けているのに豊穣な、いくつもの幻影が重なり合って輪郭の滲んだ立体映像を浮かび上がらせているような合奏。

アンコール、第9第4楽章の“合唱”を八尋がシミュレートしたアイデアには思わず吹き出してしまいましたが、ストリング・クァルテットのアドリブ応酬といい、大胆なリズム設定といい、“ベートーヴェンを守ってきた勢力”にとってはことごとくタブーであろうことを“やっちまっている”のです。

山下洋輔は、スペシャル・ビッグバンドのプロジェクトでこれまでもクラシック音楽の名曲を“料理”していますが、アプローチの触手を増殖させていることが今回のステージで判明したわけです。

さて次は、なにを“やっちまおう”としているのやら。

東京芸術劇場コンサートホール(筆者撮影)
東京芸術劇場コンサートホール(筆者撮影)

♪ 2020年9月21日「大介バンド『だまし歌・裏の裏』発売記念ライヴ」@神奈川・馬車道 King′s Bar

公演チラシ(筆者撮影)
公演チラシ(筆者撮影)

演劇の世界でいうところの翻案、大筋はオリジナルに従いながらシチュエーションを自国風にアレンジしてしまう──という紹介をするのがいちばん適切なのではないかと思ったアルバム『だまし歌・裏の裏』をリリースしたさこ大介率いる大介バンド。

「発売記念ライヴをやるから観に来ませんか」と、バンドのコーラスを担当するジャズ・シンガーの大倉ミカに誘われて、祝日の閑散とした馬車道を抜け、北仲橋にほど近いビルの地下に下りて行くと、感染症対策をバッチリ施した、つまり客席の仕切りはもとよりステージとのあいだにもクリアパネルがしつらえられ、入口では検温と靴底消毒までといった徹底ぶりで出迎えてくれたのがKing′s Barでした。

振り返ればホール以外の小規模なライヴ・スペースを訪れるのは半年ぶり、つまりコロナ以降は初ということになるわけですけれど、これだけしっかりと対策を講じているのが安心である反面、この問題の根深さを浮き彫りにしているのかもしれません。

といった講釈はさておき、レモンサワーを注文して開演を待つと、メンバーがステージヘ。

さこ大介は、1970年代から会社勤めの傍ら歌う活動も続け、関西ブルースの世界では一目置かれている人物なのです。

アルバムを聴いて「いい声だなあ」とは思っていたのですが、実物は数段上でビックリ。

公開されているプロフィールに、憂歌団の木村充揮の1st.ソロアルバム『ポー』(1994年)に「いつか来た町」「宝石箱」「バラの刺青」を提供、とあることから想像してほしいのですが、声質が似ていてます。いや、申し訳ないけど、充揮さんほど枯れていなくて、耳への当たり心地がいい──と正直な感想を述べておきましょう。

そして、冒頭にも記したように、彼の翻案による独特の藍色な世界へと風景を塗りつぶしていくのです。

好き嫌いがかなり分かれるタイプの、クセの強いシンガーソングライターだとは思いますが、ハマると忘れられなくなる……。

大介バンド『だまし歌 裏』ジャケット写真(筆者撮影)
大介バンド『だまし歌 裏』ジャケット写真(筆者撮影)

♪ 2020年1月14日「東京交響楽団弦楽四重奏 Tribute to 佐山雅弘」@ミューザ川崎シンフォニーホール

公演チラシ(筆者撮影)
公演チラシ(筆者撮影)

このステージのことは、前出の山下洋輔と関連付けて語ってみたいと思い、急遽追加。

2018年11月に亡くなった佐山雅弘と、ひと回りほど年長の山下洋輔はともに国立音楽大学の同窓生。どちらも華やかな経歴の持ち主で日本のジャズ・シーンを牽引してきた人物なのですが、その内容は正反対と言ってもいいものでしょう。

佐山もまた、21世紀に入ったころからクラシック音楽への傾倒を隠そうとせず、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」への挑戦や交響楽団との共演を重ねていました。

山下と佐山のあいだの国立同窓生に本田竹広という、これまた日本のジャズ・ピアノを語るうえで欠かせない人がいて、彼もまた晩年にベートーヴェンへの執着を隠せなかったりしていたのですが、その話題はまた別の機会に。

この日に披露されたのは、佐山雅弘が書き残した唯一の弦楽四重奏曲で、未発表のままになっていたものがようやく公開にこぎ着けたとのこと。これを聴くことができるというので、取るものも取りあえず駆けつけました。

メロディメーカーとしての本質を感じさせる輪郭の太い、馴染みやすさにあふれたテーマとともに、余白をたっぷりと取った構成が、佐山雅弘らしいなぁと思いながら鑑賞。彼とよく仕事をともにしていた弦楽四重奏団の面々(水谷晃、福留史紘、青木篤子、伊藤文嗣)もMCでそれを指摘し、本人はおそらく実践を重ねて改良していくつもりだったのではないかとのこと。つまりこの作品は“習作”で、ジャズのスタンダード曲のように演奏者によって育ててもらうものという意図があったのではないでしょうか。

そういう意味では、弦楽四重奏にとどまらず、いろいろな楽器編成でこの曲を磨いていくことも、佐山雅弘の遺志に沿うものなのかもしれません。

後半は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135。これが選ばれたのは、前述のように2020年がベートーヴェンの生誕250周年であることはもちろん、これがベートーヴェンの最後の四重奏作品であり、最終楽章で「これでいいのか?」と問いかけていると解釈されていることなどが、重層的に佐山雅弘トリビュートへと連なっているわけです。

そう、東京交響楽団弦楽四重奏のみなさんは、ベートーヴェンを借りて「これでいいのか?」と問い、佐山雅弘の四重奏曲をもって「これでいいのだ!」と答えているという図式だと見立てることができる。

ジャズとクラシックの関係性を解くには、なかなか一筋縄ではいかないことに、ニヤリとさせられた夜でもありました。