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【JAZZ】ジャズとクラシックの“和解”を促すフュージョンの総決算をしてくれたMJO『ボレロ』

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
Manhattan Jazz Orchestra『Bolero』
Manhattan Jazz Orchestra『Bolero』

マンハッタン・ジャズ・オーケストラ(MJO)が、結成25周年のアニヴァーサリー・イヤーとなる2014年の日本公演中にスタジオに入って制作したアルバム。

タイトルの“ボレロ”は、モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したクラシックの名作。以下、本作収録のオリジナルはいずれもクラシック界で耳なじみのあるものばかりとなっている。

これまでもMJOは、ロックからファンクまで幅広い分野の音楽を素材に、リーダーのデヴィッド・マシューズの手による“あっと驚く”アレンジを施したジャズ・オーケストレーションの快作を世に送り出してきた。

本作も同様で、ニューヨーク・エンタテインメントの最前線で活躍してきた豪腕によるアレンジに加えて、音楽シーンの最前線で活躍する面々たちのスーパー・プレイによって生まれ変わった完成度の高さを味わうことのできる内容なのだが、ニュアンスが前作までと異なる部分もあるので、その点について触れてみたい。

ジャズとクラシックの近親憎悪な関係について

これまでのMJOの作品群に比べて本作のニュアンスが異なるのは、カヴァーの対象がクラシックの楽曲である点に集約される。

ジャズは19世紀末のヨーロッパ(とくにイギリスやフランス)で主流だった室内楽の影響を強く受けていると思われるフシが多くある。

誤解を恐れずに言えば、20世紀のロマン派後期のヴァリエーションとして認識されなかったのは、19世紀後半から20世紀前半当時のアメリカが発展途上国だったという偏見に加えて、作品主義から演奏主義へといち早く転換したことによる一般的な批評の対象から外れたことに因ることが大きいと考えられる。

20世紀の現代音楽では、演奏主義も重視されるようになったばかりでなく、ジャズから(逆に!)影響を受けたと公言する作品も残されている。このことから、両者がまったく異質なルーツから発生したものとは考えにくい。

むしろ、アメリカにおける国民楽派をジャズと呼ぶことが矛盾がないように思えるが、その点はヨーロッパの“本家としてのプライド”と、新興国アメリカの“独立心”が作用し合って、あえてジャズとクラシックは“他人のフリ”をすることになったのではないだろうか。

そしてその“他人のフリ”のため、過剰にお互いを意識することになり、それぞれが相手と異なることによって評価される歴史が生まれていたと思われる状態が20世紀半ばごろまで続く。

MJOが「運命」をカヴァーするのは“運命”だったのか?

20世紀後半になると、それまで異なる音楽でなければならなかったジャズとクラシックの境界線が曖昧になり、距離を置くことよりも近寄ることのほうが評価されるようになっていく。

実際には、クラシックより先に、ジャズから細分化して発展していたポピュラー・ミュージックとの統合が積極的に行なわれるようになり、フュージョンという新たな括りを生み出していった。この細分化から統合への転換のなかで、ジャズとクラシックとの関係性を再評価する動きも活発になったと言える。

そのフュージョンの分野を切り拓いていたのが、MJOを率いるデヴィッド・マシューズなのだ。

そう考えると、MJOがクラシックをカヴァーするのは“運命”と呼ぶべきなのかもしれない。

しかし、最前線にいて両者の本質と立場を知り尽くしていたデヴィッド・マシューズだからこそ、ジャズとクラシックを安易に結びつけることに抵抗があったことは想像に難くない。

2014年6月、私はデヴィッド・マシューズに本作の取材を行なった。その際も、彼の口調からはジャズとクラシックの融合をようやく成し遂げた喜びとともに、異質であることを張り合ってきた経緯をもつ両者の“和解”にかなり手こずったようすが伝わるような言葉の選び方をしていたのが印象に残っている。

“違いがわかる”MJOだからこそのジャズ・アレンジ・クラシック

MJOのメンバーは、プロの音楽家集団である。プロであれば、どんな要求にも応えなければならない。従って、“ジャズのミュージシャンだからクラシックの曲は演奏できない”という言い訳は通用しない世界であり、彼らが演奏できないことはありえない。

もちろん、クラシックを専門に演奏するプロとは“棲み分け”するに足る違いはあるのだが、それ以上に“なにか違う”と感じることも事実だろう。それはおそらく、ジャズを演奏するときとクラシックを演奏するときに、それぞれ異なる心理的なバイアスが生じているからではないだろうか。

そうしたバイアスを打ち破り、ジャズ的なマインドとクラシック的なマインドを融合させてを演奏したのが、本作だ。どちらかのマインドを優先させることで体裁を整えてきたこれまでの“ジャズ・ミーツ・クラシック”や“サード・ストリーム”と呼ばれるアプローチと今回のMJOが異なるのは、この点だと思う。

本作によってカヴァーやジャズとクラシックの関係性に大きな一石が投じられたことで、今後のジャズ・アレンジ・クラシックの展開が楽しみになってきた。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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