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箱根駅伝2区日本人1位から1年。池田耀平(日体大→カネボウ)がニューイヤー駅伝とその先に見据えるもの

寺田辰朗陸上競技ライター
21年箱根駅伝2区を1時間07分14秒で走破。区間3位(日本人1位)となった池田(写真:アフロ)

五輪選手と対等に戦った東日本実業団駅伝

 11月3日の東日本実業団駅伝4区は池田耀平(カネボウ)の可能性を感じさせた。

3区からタスキを受けたとき、3位を並走する坂東悠汰(富士通)と牟田祐樹(日立物流)との差は11秒あった。1.4kmの折り返し地点までは向かい風だが、池田は敢然と2人を追い、折り返し後間もなく2人に追いついた。

「向かい風が得意なわけではありませんが、駅伝で前を追う経験はしてきました。どこで追いつくと決めていたわけではありませんが、早い段階で追いつけば楽になると考えて差を詰めて行きました」

 2人を追い上げたことで、トップを走る青木涼真(Honda)との差も縮まっていた。しかし追う3人も表情はキツそうだった。

池田(中)の実業団駅伝デビューとなった東日本実業団駅伝4区。東京五輪5000m代表だった坂東悠汰(右)を区間タイムで上回った<筆者撮影>
池田(中)の実業団駅伝デビューとなった東日本実業団駅伝4区。東京五輪5000m代表だった坂東悠汰(右)を区間タイムで上回った<筆者撮影>

 池田は中継所前300m付近から坂東と牟田に引き離され、5区への中継では2人に2秒差をつけられた。序盤で追い上げた分、池田の余力がなかったが、区間タイムでは東京五輪5000m代表だった坂東に9秒勝つことができた。ただ、東京五輪3000m障害代表だった青木には1秒及ばず区間賞を逃している。

 それでも初の実業団駅伝は、五輪代表2人と互角の走りを見せた合格点の走りだった。

箱根駅伝と実業団駅伝の違いとは?

 実業団駅伝を走った池田は、箱根駅伝との違いをどう感じたのだろうか。

「距離は箱根と比べ短く、12~13kmの距離でスピードを出していく区間が多いので、スピードを維持しながら前を追わないといけません。スピード感が学生駅伝と違います」

 箱根駅伝は全国で唯一、20km以上(20.8km~23.1km)の区間だけの駅伝だが、特に往路では速いペースになることも多い。「スピード感が違う」と言った池田本人も、前回の箱根駅伝2区(23.1km)では8.2km地点を23分12秒で通過した。10km換算で28分18秒のスピードである。

 今回の東日本実業団駅伝4区は8.4kmの距離で23分41秒。10km換算で28分12秒である。箱根駅伝2区の方が3倍近い距離がある。それを考えると箱根駅伝のスピード感もある、と言えるのではないか。

 この疑問に対する池田の答えには説得力があった。

「東日本実業団駅伝は自分の状態を最高まで上げていません。その結果、3人で競り合ったときもキツくて、苦しそうな表情をしています。それに対して箱根駅伝は、1月2日に最高のパフォーマンスを発揮するための調整をして走ります。同じくらいのスピードで走っていても余裕度が違う。余裕を作りながら走らないと20km持ちませんし、箱根の2区はラスト3kmに(戸塚の)坂があるので、そこに行く前に力を使い切ったらダメなんです」

東日本実業団駅伝駅伝は最高の状態に仕上げない中で区間2位だった<筆者撮影>
東日本実業団駅伝駅伝は最高の状態に仕上げない中で区間2位だった<筆者撮影>

 箱根駅伝2区と同じことが、ニューイヤー駅伝4区(22.4km)でも起きる。“上州の空っ風”が吹く群馬県開催で追い風となり、下り気味のコースである。10kmを27分台で通過することもある区間なのだ。各チームのエースがピークを合わせるから起きる現象でもある。その4区に、池田は挑戦するつもりで練習を積んでいる。ただ、詳しくは後述するが、ルーキーが4区で好走すること自体は珍しいことではない。

今季前半は箱根2区の肩書きがマイナスに

 箱根駅伝2区は瀬古利彦、渡辺康幸、三代直樹、塩尻和也、相澤晃と多くの日本代表選手を輩出してきた。箱根駅伝の注目度は異常に高く、そこで区間賞または日本人1位を取った選手はその後も注目され続ける。メンタル面が弱い選手にはストレスとなってしまうだろう。池田も「正直なところ、シーズン前半はマイナスに働きました」と振り返る。

「箱根が終わってひと息ついてしまって、それでも2月の日本選手権クロスカントリーに出場して、その過程でヒザを故障してしまったんです。5月に日本選手権(10000m)があることをしっかり見据えて取り組めば、ケガはしなかった。違った流れにできたと思います」

 ストレスになったというより、集中力が持たずにホッとしてしまった。練習不足でも試合でそこそこ走れるはず、という甘い認識につながった。東京五輪選考レースだった5月の日本選手権10000mは、29分17秒44で34位に終わる。

 昨年12月の日本選手権では自身初の27分台(27分58秒52)で16位と、健闘と言える走りを見せていた。五輪標準記録の27分28秒00とは30秒の開きがあったが、今年5月に挑戦するつもりでいた。それにもかかわらずケガをしたのは、オリンピックを目指す本気度が低かった、ということだろう。5月の東日本実業団5000mも振るわず、7月はホクレンDistance Challengeを3戦したが、3000mで組トップを取った士別大会以外はよくなかった。

9月の全日本実業団陸上10000mは失敗レース。池田(左端)は一番レベルの高い組で走ったが29分50秒72と失速。その反省を生かし、10月の5000mの自己新につなげた<筆者撮影>
9月の全日本実業団陸上10000mは失敗レース。池田(左端)は一番レベルの高い組で走ったが29分50秒72と失速。その反省を生かし、10月の5000mの自己新につなげた<筆者撮影>

 それでも池田は、秋には完全に復調した。10月の日体大長距離競技会5000mで13分33秒67と自己記録を大きく更新。東日本実業団駅伝4区区間2位を経て、11月27日の八王子ロングディスタンス10000mで28分00秒65と自己記録に迫った。「10000mは5000m通過でキツくなったら後半が持ちませんが、5000mの自己新を出していたことで5000m通過が13分台でも余裕を持てました」

 レースとレースが点ではなく線でつながり始め、池田の成績が安定し始めた。立て直すことができたのは、池田が「自分への期待」を持ち続け、カネボウ入社後に練習を継続できたからだ。

「長い目で見れば箱根の2区をしっかり走れたことが大きな自信になっています。過去を振り返るのでなく、自信を持って、自分に期待して競技に取り組んでいけます」

 秋の好成績はまだ、注目度が低い大会で出したものである。池田の力が試されるのは、テレビの全国中継がある元旦のニューイヤー駅伝である。

大学の練習と実業団の練習の違いは?

 池田がシーズン後半で立て直すことができたのは、カネボウのトレーニングへの理解度が上がったことも影響していた。学生時代との違いを「大学は朝練習がメインでしたが、実業団は質の高い練習に向けて波を作ることが大事になります」と話す。

 大学では授業の関係もあり、全員が集まりやすい朝練習をしっかりと行うチームが多い。それに対して実業団は走ることが仕事になり、試合や練習(合宿)優先のスケジュールを組むことができる。週に2~3回高い負荷で行うポイント練習は、学生時代より質が高い。

「大学の朝練習は16kmのことが多かったのに対し、今は10~12kmです。ペースも大学の時の方が速かったですね。最初は朝練習をもっとやった方がいいんじゃないかと不安になりましたが、徐々に練習の目的が理解できるようになってきました。カネボウではポイント練習をしっかり行うこと、そのために練習全体をコントロールすることが重要なんです。大学では合宿中の朝練習で30kmを走ることがありましたが、カネボウでは早朝、午前、午後と3回に分けて走ります。今は10km3回で一日30km前後ですが、それが1回15kmにできれば一日45kmになる」

 ポイント練習のタイム設定は大学より明らかに上がった。監督はマラソン元日本記録保持者の高岡寿成氏だが、マラソンの日本記録を出す前にトラックで大活躍した。シドニー五輪10000mで7位に入賞し、3000m、5000m、10000mでも日本記録を長期間保持していた。スピード重視のチームであるのは間違いない。

 それでも「ゴリゴリのスピード練習ではない」と、池田が話している点に注目したい。

「ポイント練習でも、他の選手から離れるほど速いスピードではやっていません。できるメニューを積み重ねて、次の段階に進んでいくことを重視した練習です」

 大学より質の高くなったポイント練習でも池田は余裕を持っている。余裕を持てない選手は疲労が蓄積したり、故障につながったりして次の段階に進めなくなってしまう。

 そしてポイント練習で余裕を持つためには、それ以外の練習をどう行うかが重要だ。大学ではそこも指導者が指示を出すことも多いが、実業団ではほぼない。どんな練習をすると身体がどういう反応、変化をするか。そこは第三者ではなく選手自身が見極めないといけない。指導者任せにしている選手はプレッシャーのかかる試合などで失敗が多くなる。

 池田は「自分で考えて練習することが少しずつできてきて、それがシーズン後半、結果に現れるようになってきた」と感じている。

 現在の池田は箱根駅伝2区で快走したときの選手ではなく、カネボウの練習が上乗せされた選手に変わってきている。そこを考えると、もう少し記録が出て然るべきだろう。本当にピークを持っていくニューイヤー駅伝で“カネボウの池田”の力が試される。

ニューイヤー駅伝優勝4回の名門カネボウ。池田の快走があれば9年ぶりの3位以内も期待できる
ニューイヤー駅伝優勝4回の名門カネボウ。池田の快走があれば9年ぶりの3位以内も期待できる

ニューイヤー駅伝で“カネボウの池田”の走りを見せる

 箱根駅伝2区の日本人トップから1年。東京五輪挑戦には失敗したが、ニューイヤー駅伝で区間賞争いができれば、今後代表レベルに挑戦していく選手になったことを実証できる。

「ニューイヤー駅伝は3区(13.6kmの準エース区間)か4区、どちらかになりますが、自分では4区に行く準備をしています。区間賞争いができる準備です。4区は感覚的に、箱根の2区と似ているんじゃないかと思っています。10kmまでスピードが出ますが、余裕を残さないと向かい風になる最後の3kmが走れません。3区なら、カネボウは2区のインターナショナル区間が強いので、先頭くらいで来る期待が持てる。そうなっても、後ろは気にせず攻めていく走りをします」

 ニューイヤー駅伝の3、4区で新人選手が快走した例は少なくない。設楽悠太(Honda)は入社1年目の15年に4区区間賞を取り、16年に連続区間賞。その年にリオ五輪10000mに出場した。18年にも区間賞を取ると、同年2月に高岡監督が16年間保持していたマラソンの日本記録を更新した。

 佐藤悠基(日清食品グループ。現SGホールディングス)は入社1年目の3区で区間賞を取ると、翌11年、そして12年と4区で連続区間賞。トラックで11年には世界陸上テグ大会、12年にはロンドン五輪代表となった。

 東京五輪マラソン6位の大迫傑(当時日清食品グループ)も、大卒1年目のニューイヤー駅伝1区で区間賞を取った。その年の世界陸上北京大会と16年リオ五輪にトラック種目で出場した。

 池田もニューイヤー駅伝だけでなく、その先の世界への挑戦を考えている。だからこそ、箱根駅伝後にケガをしてしまった失敗は繰り返せない。

「ニューイヤー駅伝が終わりではなく、22年シーズンの始まりとしたいんです。駅伝で終わりにならず、必ず22年シーズンにつなげます」

 だが1年前も、箱根駅伝で流れが途切れてしまったとはいえ、池田の学生時代の練習や競技への取り組み方、考え方が間違っていたわけではない。朝練習で追い込むことで大きく成長し、練習の組み立てを自分で判断する能力も、学生時代に基礎が作られていた。

「大学でも2年の途中から3年まで、長距離専門の指導者がいない時期があったんです。その期間は練習の狙いを自分で決め、どう行えば狙い通りにいくかを自分で考えないといけませんでした。その経験が今に生かされています」

 10000mの自己記録でいえば、池田はまだ日本のトップ選手たちと20~40秒の開きがある。3区や4区の区間賞争いに加わることは簡単ではない。

 だが、箱根駅伝2区でも同じように下馬評は高くなかった。1カ月前の日本選手権でレベルの高い記録を出した選手への期待が大きかったが、その多くが箱根駅伝やニューイヤー駅伝に合わせられなかった。それに対して「大きな試合には必ず合わせます」と自信を持っていた池田は、箱根駅伝2区を日本人トップで走った。

カネボウでの成長が加わればレベルが上がるニューイヤー駅伝でも、池田が箱根駅伝と同じように快走しても不思議ではない。箱根駅伝2区日本人1位選手の、1年後のニューイヤー駅伝に注目だ。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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