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岸田首相の前に置かれた「黒川」という安倍政権時の地雷

立岩陽一郎InFact編集長

その政権末期に疑惑の「地雷」を踏み続けて力尽きた感の強い安倍政権。その「地雷」はそのまま岸田首相に引き継がれる。その1つに黒川検事長の定年延長問題がある。岸田首相は「地雷」を踏むのか。

無理やり感の強い公文書

件名に「閣議請議案」と書かれた文書。加えて「閣議人事関係」と書かれている。注目は分類名称だ。「検察官人事」と書かれ、「人事異動(認証官)」と書かれている。認証官とは官僚の最上位で、天皇陛下による認証を必要とする人事だ。法務省で言えば、東京、大阪を筆頭に全国に8人いる検事長がそれにあたる。

この文書こそが、安倍政権にとって「地雷」となった黒川弘務東京高検検事長(当時)の勤務延長を求めた法務省内の決裁書だ。当時の森まさこ法務大臣以下の押印がなされている。

その無理やりな手続きが問題となった上に、黒川氏本人が緊急事態宣言下に新聞記者らと賭け麻雀をしていたことが発覚して話は消えたが、あらためて文書を見ると、無理やり感は強い。

起案日は令和2年、2020年1月29日。そしてその日に決済を受けていることまではわかる。しかし「取り扱い区分」「施行」などは何も書かれていない。そして、内閣総理大臣宛に法務大臣から「閣議の上、然るべくお取り計らい願います」とした文書には日付も無い。

文書は神戸学院大学の上脇博之教授が開示を受けたものだ。その上脇教授は黒川氏の定年延長をめぐり法務省内で法解釈を検討した文書の開示を求めていた。その際に、唯一開示されたのがこの文書だ。しかしこれでは何が何だかわからない。そこで開示されなかった文書について開示を求める訴えを1月13日に大阪地方裁判所に起こしている。

あらためて書くが、独立性の高い検察官については、国家公務員法の定年延長は適用されないとの政府答弁が1981年に国会でなされている。国家公務員法とは別に検察庁法によって規定されているからだ。それを急遽、黒川氏が定年になる前に延長させるとなって政府内でドタバタ劇が生じた・・・としか思えない動きが始まるわけだが、そのドタバタ感が冒頭の文書から感じられる。

上脇教授は「検察官に勤務延長は適用されないとしてきた国家公務員法の解釈を変えたのだから、その文書が無ければならない」と話す。当然だろう。

1月13日の訴状によると、実は法務省の上脇教授への回答は「不存在」、つまり、そうした文書は存在しないということだった。法解釈を法務省が変える際に、その経緯を残す記録も作らなかったという説明だ。

ドタバタ劇だった政府答弁

そもそもが、これについての政府の説明は、二転三転だった。その象徴が、2020年2月19日の衆院予算委員会で答弁に立った当時の人事院局長の「つい言い間違えたということでございます」だろう。これは立憲民主党議員だった菅野志桜里氏(当時は山尾志桜里氏)に対する答弁だ。

何を「つい言い間違えた」のか? この一連の解釈変更について政府の当時の説明を見ておく。2020年。

  • 1月17日 法務省から解釈変更について内閣法制局に相談
  • 1月21日 内閣法制局が「了とした」。
  • 1月22日 法務省は人事院に相談
  • 1月24日 人事院から解釈の変更を認めるとの回答を得た

ところが、2月12日の衆院予算委員会で国民民主の後藤祐一議員が解釈変更の有無を問うた際に、その局長は、「現在までも、特にそれについては議論はございませんでしたので、同じ解釈を引き継いでいるところでございます」と答えているのだ。

それを問うた菅野氏に対して、人事院の担当の局長が「つい言い間違えた」と語ったわけで、無理やりな答弁だ。あり得ない。あり得ないことを、あり得たことにした「つい言い間違えた」との答弁だった。当時、これについて議論をした検察官出身の弁護士は私に対して、「仮に被疑者がこうしたアリバイを主張していたとすれば、これは検察官ならアリバイは崩れたと判断するでしょう」と話している。

それが冒頭に紹介した無理やり感の強い公文書となるのではないか?1月17日から24日に行われた「手続き」とは何なのか?素朴な疑問だ。

実は、当時の安倍政権の幹部らが、そもそも1981年の政府答弁を知らなかったとの指摘も有る。その事実を菅野氏が2月10日に示した際に、当時の森法務大臣は答弁ができなかった。

「まともな国なら」

上脇教授はこうした国会の審議を踏まえて、2020年6月に法務省に文書開示を求める訴訟を起こしている。この訴訟の中で、国側は「国会審議という公の場で、野党からの追及にもかかわらず、法務大臣、人事院総裁、内閣法制局長官という各行政機関の長、及び内閣人事局人事政策統括官が、何れも本件閣議決定前に(中略)勤務延長制度の検察官への適用に関する協議を行った事実を答弁していることは、相互に信用性を補強するもの」と述べている。

人事院の答弁が混乱していたことは書いた。森大臣にいたっては、いきなり東日本大震災の時に検察官が被災地から逃げたといった脈絡の無い答弁を始め、驚いた菅野氏が、「それは政府としての見解か?」と問うと、メディアからの情報と言い放って謝罪に追い込まれている。ドタバタ劇としか表現できない政府答弁を「相互に信用性を補強するもの」と呼べるのか?不思議にさえ思える。

その後、検事総長を除く検察官の定年は引き上げられている。当初からその点に異論は無かった。問題は、内閣が必要と認めた特定の検察官について、定年を迎えても最長で3年間にわたってポストにとどまれるという点で、そこに安倍政権の狙いがあったことは否定しにくい。狙い通りにいかなくなった後の事実関係だけ書いておく。

  • 2020年08月28日 安倍首相が退陣表明
  • 2020年12月   東京地検特捜部が「桜を見る会」で捜査着手が報じられる

この捜査が仮に現職首相の事務所に対するものだったら、政権の受けた痛手は相当だっただろう。

2度目の訴訟となった点について上脇教授は次の様に話す。

「最初の提訴と今回の提訴は恐らく併合されて審理されることになると思う。まともな国で法の解釈を変えた文書が無いとは思えずに文書の開示を求めるものだが、ひょっとしたら、政府は、そういう文書を作らずに法の解釈を変えることをしていたのかもしれないとの危惧を抱きはいじめているのも事実だ。その為、今回の訴訟では、予備的に、文書が仮に無い場合は国の責任は重いとして10万円の賠償の支払いを求めている。私としては、そんなことは無いと信じたい」

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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