北朝鮮ルポ 訪朝から見る金正恩政権の狙い

私の訪朝の直後に板門店での米朝会談が実現(写真:ロイター/アフロ)

去年の春、私は訪朝した。ベトナムでの2度目の米朝会談が決裂で終わったものの、私の訪朝の直後にトランプ大統領と金正恩委員長との板門店での会談が行われている。先は読めないものの必ずしも悲観的な状況ではなかった頃だった。現状が当時より良い方向に行っていると見る人は少ないだろう。軍事的な衝突への懸念も語られるようになっている。これまでもYahoo個人にこの訪朝記について書いてきたが、2020年の年頭にあたって、これまで触れていない事実を紹介したい。(取材、文、写真:立岩陽一郎)

 

隠せない制裁の影響

最初の訪朝となった2018年に私が体験した停電は1度だけだった。それはホテルではなく、朝鮮対外文化連絡協会(以後、対文協)幹部らと平壌駅近くのレストランに繰り出した時で、時間にして数分という短いものだった。それでも、停電は珍しくないことは、その時の彼らの様子でわかった。部屋が暗くなっても慌てずにビールを飲み食事を続けていたからだ。停電が珍しい日本ではそうはいかないだろう。「停電か?」「何が起こった?」とちょっとした会話になるはところだろう。それが無い状況に、停電が身近なものであると理解した。

平壌駅前
平壌駅前

しかし私が宿泊していたプドンガンホテルでは少なくとも停電は無かった。これについて、5月1日のメイデイにあわせて平壌に集中的に電力をもってきているという説明をする人もいる。事実はわからないが、少なくとも去年の平壌滞在中に私が体験した停電は一度で、それは滞在先のホテルではなかった。

外国人向けホテル「プドンガンホテル」のロビー
外国人向けホテル「プドンガンホテル」のロビー

ところが、2019年の滞在時にはその同じプドンガンホテルで度々、停電に見舞われた。長い時間ではないが、夜にラウンジで対文協の日本局員らと酒を飲んでいたりすると何度か明かりが消えた。

これについて日本局員が興味深いことを言っていた。

「もう外国人向けのホテルに優先的に電力を回すようなことは止めることにしたのです」

つまり、去年、ホテルで停電が無かったというのは、私が滞在していたホテルが外国人向けの施設だったために優先的に電力が供給されていたということだったようだ。そして、そうした特別扱いはもうしないということになったのだという。その結果、今年のホテルでは度々停電を経験することになったということだった。

「それだけ制裁の影響が出ているということですか?」

そう尋ねると、日本局員は、これまで通りの回答を繰り返した。

「我が国はずっと制裁の中でやってきました。影響が出ていると言えば出ているし、出ていないと言えば出ていません」

ただ、次がこれまでと違う点だった。

「外国人を特別扱いすることはしないということです。そのままの姿を見せれば良いということです」

とは言え、電力は少なくとも平壌市内については深刻ではない。例えば、メイデイの夜、柳京ホテルはその巨大な二等辺三角形の壁面に国旗を彩った明かりを放っていた。時折発生する停電もさほど長い時間を待たずに回復していた。

これには理由が有る。平壌市内の2つの火力発言所があり、それがフル稼働しているからだ。平壌火力発電所と平壌東火力発言所だと教えられた。しかし、そこからも制裁の影響を垣間見ることは可能だ。その二つの発電所の煙突からは太い黒煙が何本も立ち上がり、それが空に広がっているのが確認できた。何れも石炭火力発電所だ。制裁で重油がこの国に入らない。一方で、この国では石炭はほぼ無尽蔵にあるとされる。石炭は、制裁前は重要な輸出産品の1つだった。今、それは少なくとも平壌市民の電力供給の重要な資源となっている。

平壌の大気汚染

その結果は明らかだった。大気汚染だ。発電所の煙突からは太い黒鉛が空に向かって伸びていた。平壌市内の空はお世辞にもきれいとは言えない。個人差はあるだろうが、私は3日目くらいから喉に異変を感じた。

平壌火力発電所から出る黒煙
平壌火力発電所から出る黒煙

重油も制裁で入らない。その影響は道路事情にも現れている。平壌から板門店までの約170キロはこの国の南北を結ぶ幹線道路だが、そのアスファルトはいたるところに亀裂が入っている。このため車の中は激しく揺れる。亀裂が広がっている個所もあり、そうしたところは避けながら走っていた。

勿論、それは死活問題ということではないのだろう。亀裂をよけながら走る車の中で、日本局員も、「うっかり眠ると舌を噛みますから気を付けてください」などと言って笑っている。

幹線道路のアスファルトは亀裂が目立った
幹線道路のアスファルトは亀裂が目立った

この程度なら「我が国はずっと制裁の中でやってきました」という言葉の範囲なのかもしれない。勿論、金正恩政権が米国や韓国に制裁の解除を求めていることは間違いないだろうが、制裁がこの国に深刻な状況をもたらすというところまで行っているのかどうかは、この滞在では判断できなかった。

日本の存在感が失われていく

訪朝した外国人は、原則として必ず、建国の指導者である金日成(初代国家主席)の生家に行くことになっている。私も今回訪ねたが、そのとき、日本語で説明してくれる女性ガイドのリ・チャンヨンさんがこんなことを言っていた。

「今、日本人はほとんどここに来ませんから、私の日本語は錆びつきそうです」

中国語も話すリさんは毎日、中国からやってくる多くの訪問者の対応に忙しい。逆に、日本語を話す機会はほぼなくなっているということだった。

金日成主席の生家
金日成主席の生家

訪ねてくる日本人が少ないだけではない。この国の人々が日本に行く機会も当然ながら皆無だ。たとえば、流暢な日本語で通訳を務めてくれる日本局員も、日本に来ることはできない。

なぜか。それは日本政府が制裁措置として、この国の国籍を持つ者の日本入国を禁じているからだ。そういう事態が続けば続くほど、両国が対話できる可能性はどんどん先細りしていく。同時に、この国での日本の存在感も失われていく。

この国の政府内で日朝関係を前進させようとしているのは、まぎれもなく対日政策遂行の担当者たちだ。しかし、日本に行けず、日本からの訪問者も少ないとなっては、彼らの情報収集能力は限られたものとなり、従って組織内の発言力は確実に弱まる。更には、日本について学んだり、日本に関する仕事をしたりする意味も薄くなって、日朝関係の改善など望むべくもなくなる。

そういう現状を象徴するエピソードがある。政府の対日政策担当者たちの大半は平壌外国語大学を卒業している。私を担当した2人の対文協日本局員も例外ではない。しかし、今、その大学には彼らが学んだ日本語学部はない。定員を満たせなくなったために最初は学科に格下げされ、その後、廃止になったという。

朝鮮対外文化交流協会 
朝鮮対外文化交流協会 

日本語を学んでも、日本との関係が断たれている上、訪日もできず、対日問題の専門家としてキャリアを築く望みも持てない。これでは日本語を学ぼうという若者がいなくなるのも無理はない。

帰国前日の夜

帰国前夜、私はホテルのバーで対日政策を長年担ってきた北朝鮮政府の幹部と会っていた。最初は側近らも交えて酒を飲み、歌を歌うという定番の宴だった。しかし、暫く楽しんだのち、側近らが席を外した。そして、幹部は、顔を近づけてこう切り出した。

「安倍政権は共和国と向き合う気は有るのでしょうか?」

私にはそれは、金正恩政権の問いには聞こえなかった。それは、政権内の対日政策者の問いということだろう。

「確かに、安倍政権はこれまでは対話を拒否する姿勢を示してきましたが、既に米朝も動いていますし、日ロ交渉も進展していないことを考えれば、朝鮮との対話を進めるしか選択肢は無いと考えているかと思います」

勿論、私は官邸を取材しているわけではなく、それは先方も知っている。あくまで私の観測でしかない。もっとも、私の帰国直後に安倍総理は無条件での対話という方針を明らかにしている。幹部は続けて次のことを言った。

「共和国の姿勢は一貫しています。日本が戦争責任を認めて謝罪をすれば、金銭的な補償は求めない。この点は一貫しています」

これは昨今の日韓関係を意識して発言したのかもしれない。ひょっとして幹部は、私に何かメッセージを託したいのではないだろうか?それは残念ながらジャーナリストの仕事ではない。雲行きが怪しくなったので直球を投げてみることにした。

平壌市内のバー
平壌市内のバー

「金正恩委員長の方針としては、今後、経済重視ということなのでしょうか?」

幹部は即答した。

「科学技術を高めつつ、金日成主席、金正恩総書記の教えを徹底するというのが金正恩委員長の指示です」

金日成主席と金正日総書記を称えるモニュメント
金日成主席と金正日総書記を称えるモニュメント

そして続けた。

「それは今年4月12日の施政演説でも強調されています。あとで、日本語訳を渡すように言っておきます」

その返事を最後にお開きとなった。

翌日、平壌空港に向かう車中で、金正恩委員長の演説の日本語訳を渡された。「現代階における社会主義建設と共和国政府の対内外政策について」と題した演説の日本語訳で、「最高人民会議第14期第一回会議で行った施政演説」と書かれていた。

幹部が語った通り、先ずは金日成主席、金正日総書記の教えを徹底するとも書かれている。その上で、「人民経済の近代会、情報化を積極的に実現し、国の経済を知識経済に確固と転換させるべき」と主張している。それは中国式の対外開放路線の様な方向に進むのか?それを判断するにはまだ時間がかかるだろう。

平壌国際空港
平壌国際空港

ただ、これまでの日本の報道に見られるような脱北者の主張を鵜呑みにするだけでは、金正恩政権の実態や方向性は十分に分析することは難しいだろう。現地で何が行われ何が語られているかを注視することは、これまで以上に重要になる。それだけ、金正恩政権は従来と異なる対応を見せている。

トランプ大統領は弾劾への対応、11月3日の大統領選挙への対応で、支持者へのアピールを意識した政策にしか興味は無い。残念ながら東アジアの安定はトランプ大統領の支持者にアピールするものではない。つまり、アメリカを頼ることはできないと考えるべきだ。日本政府は、日朝双方の政府関係者の往来からでも始めるべきだ。

この記事は拓殖大学海外事情研究所の季刊誌に寄稿したものを同研究所の許可を得て加筆修正して掲載したものだ。現地での取材については批判的にとらえる人が多く、著名なジャーナリストから公に批判されることもあった。その批判は北朝鮮におもねった内容との批判のようだったが、読んで頂ければわかるが、そのような内容ではない。平壌の大気汚染などは、私に付き添った対文協も好ましいとは思わないだろう。

こうした中で専門性の高い拓殖大学海外事情研究所に評価して頂けたことは救いだった。Yahoo!個人連載での一連の訪朝ルポの最後にあたって、同研究所の関係者に謝意を表したい。