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三上紗也可が見せた夢 中国を追い詰めた実力に世界が沸いた日

田坂友暁スポーツライター・エディター
(写真:ロイター/アフロ)

『中国の牙城を崩せるかもしれない』

 女子3m飛板飛込の決勝で、そんな期待が、日本代表チームだけではなく、会場中に広がっていた。

 東京五輪が終わり、3m飛板飛込でトップをひた走っていた中国のベテランふたりが引退。すでにワールドカップ等で世界へのお披露目は済んでいたが、若手のCHANG YaniとCHEN Yiwenのふたりが今大会に一軍として参戦してきた。

 準決勝で1、2位を独占したCHANGとCHEN。3位以下に40ポイント以上の差をつけていたため、もうこのふたりのワンツーはほぼ確実で、残りひとつの表彰台を争う展開かと思われた。

 それを良い意味で裏切ったのが、三上紗也可である。1本目の405B(後踏みきり前宙返り2回半エビ型)で67.50を獲得し、いきなり2位につける。一方中国のふたりはというと、予選から好調だったCHENは70ポイントオーバーを獲得。だが20歳になったばかりのCHANGの技にキレがない。入水も乱れ、63.00の4位とまさかの出遅れを喫する。

 それでも2本目以降からまた盛り返してくるだろう、という大方の予想に反して、CHANGの調子は上がらない。2本目の205B(後ろ宙返り2回半エビ型)はさらに悪く61.50。ダイブランキング(そのラウンドで出したポイントのランキング)も7位という結果は、この時点で中国のひとりが優勝争いから脱落したことを意味していた。

 CHANGに変わって、もうひとりのCHENに食らいついていたのが、三上だ。2本目の107B(前宙返り3回半エビ型)ではCHENを上回る71.30の高評価を獲得し、ダイブランキング1位を奪取。今までの中国勢からすれば考えられない光景だった。

 このあたりからだろうか。会場も三上に対する期待を持ち始めたのは。

 続く305B(前踏み切り後ろ宙返り2回半エビ型)でも三上は67.50を獲得して2位をキープ。日本人が鬼門とする4本目、205Bでも67.50をマークして変わらず2位を保っていた。

 ここまで来ると、もう会場は三上の味方である。三上が飛ぶごとに拍手が起こり、得点が出るたびに期待が高まっていく。

 この三上への期待という名の高揚感は、今にも会場からはじけ飛んでしまいそうに膨らんでいたようにも感じられる。

写真:ロイター/アフロ

 そして勝負の5本目。三上は軽く屈伸をして自分を落ち着かせようとしているようにも見えたが、良く振り返って見れば三上が屈伸をする姿はさほど見たことがない。やはりどこか緊張していたのか。ひとつ大きく息を吐き、肩の力を抜く。三上本人の感覚としてはいつも通りのはずだった。しかし、身体は無意識下でいつもよりわずかに力んでいた。

 1、2歩といつも通りゆっくりと進み、ハードル(助走)の3歩目で高く飛ぶ。異変はここにあった。ここでいつもなら飛び板の先から1足分ほど手前で足をつくのだが、この時点でほぼ飛び板の先まできてしまった。何とか身体が前に出ようとするのを抑えたが、最後のジャンプのために両足で着地したときには、拇指球から足の指が飛び板からはみ出してしまっていた。

 本来であれば足の指で飛び板を掴みながら、拇指球からしっかりと飛び板を踏み込み、しならせて力強く飛ぶはずだった。その力を入れるべき部分が外れてしまったため、本来の高さを出すことができない。それでも何とかバランスを保ち5154B(前宙返り2回半2回捻りエビ型)を飛ぶ。高さがなかったために、最後の捻りから入水までがギリギリとなり、ほぼくの字の状態で入水へ。

写真:ロイター/アフロ

 風船から空気が抜けるように、会場中に張り詰めていた“何か”がシューッと音を立ててしぼんでいくようだった。

 なかなか点数が出ない。確かなところは分からないが、最後の捻りが足りないかどうかの判断に時間を要しているのだろうか。もし2回捻っていないと判断されてしまったら、Failed Dive、つまり失敗だ。

 時間が経つにつれ、会場もざわつき始めるが、バラバラと拍手も沸き起こる。ここまで中国を追い詰め、トップを走るCHENですら逆転できるかもしれないと世界中が期待した選手は、今まで現れもしなかった。それが今、現れたのである。

 確かに最後の5本目を決めることはできなかった。だが、近い将来この選手は、確実に世界の頂点を中国と争うことになるだろう。この場所にいた誰もが、そう感じた瞬間であった。

 そして得点が表示された。20.40。三上を指導する安田千万樹ヘッドコーチが、笑顔で三上を迎える。あの瞬間からすでに時間が経っているにもかかわらず、あの情景が鮮明に浮かび上がる。

 厳しくも、優しい安田ヘッドコーチに迎えられた三上も、ちょっと苦しそうな表情も見せたが、笑顔だった。

「本当にメダルのチャンスがあって、自分が思っていた以上の色のメダルが獲れた試合だったので、今は悔しい気持ちでいっぱいです。まだまだ練習が足りていないんだろうな、と思います。準決勝が終わって、失敗していた4本目(205B)の修正をずっとやってきて、納得いく形で決勝を迎えられたので、今日は不安はありませんでした。安田先生からは『すまん』と言われましたけど……。自分としては最後の5154以外はすごく良かったですし……。明日もあるし、今は次も頑張ろうという気持ちです」(三上)

写真は2021年FINAダイビングワールドカップ
写真は2021年FINAダイビングワールドカップ写真:西村尚己/アフロスポーツ

 今まで、様々な国が中国に挑み、敗れてきた。特にこの3m飛板飛込に関して言えば、世界選手権で中国が敗れたのは1998年にオーストラリア・パースでの大会で、ロシアのPAKHALINA Yuliyaが優勝したのを最後に、誰も中国の背中を掴むことすらできない試合が続いている。

 だが今、目の前にその中国の背中に触ろうとした選手がいたのだ。むしろ肩に手をかけていたかもしれない。なぜなら、三上が最後に飛んだ5154Bの難易率は3.4。今回優勝したCHENすら飛ばない難易率の種目である。絵空事ではあるが、難易率3.4の種目からは(10点満点を出せば)100を超えるポイントを獲得できる種目になる。つまり、完成度を上げれば上げるほど、逆転を狙える最大の武器になるのである。そして、中国からしてみれば、いくらリードしていても、最後に逆転されるかもしれないというプレッシャーのなかで演技をしなければならなくなるのである。

 しかも、三上はこの5154Bの完成度を着実に上げてきている。五輪のときはまだ完成度が低いために使わなかった。だが今大会では予選から使い、予選では61.20、準決勝では71.40にまで引き上げている。満点で100を超えるなら、伸びしろとしてまだまだ得点は伸びる可能性を秘めている。これほどの努力家の三上である。来年には、最低でも70ポイント、最高で80ポイントの演技に仕上げてくるだろう。そしてパリ五輪を迎えるころには、確実に中国を追い詰める最大の武器になっているはずだ。

 今までは中国を追いかけるばかりだった。だが、今や三上は中国に対してプレッシャーを与える存在になったのである。

 そんな存在の選手が、日本から現れたのである。その事実に、震えるほど感動した。飛込という世界で中国を破り、世界の頂点を本当に獲れるかもしれないという選手が、今目の前にいる。そして、その夢を必ず叶えてくれると、世界中の飛込ファンが確信したその瞬間に立ち会えたこと。それだけで心が躍る。

 三上は、まだまだ大きくなる。そして強くなる。三上は世界中が認め、世界中が応援する選手へと、成長していくことだろう。その成長を、これからも追い続けたい。

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

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